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【村の行事】2022年
6月11日(土)〜12日(日) Feria de Artesania ヒメラ村
8月18日(木)〜21日(日) フェリア(夏祭り)

2014/05/31

5月31日(土) ロンダの行事 "Ronda Romántica"


こんにちは。
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本日も暖かい一日になりました。\(^o^)/





犬のお散歩の後、ガソリンスタンドに行き、ガソリンを入れた後、横のバルでコーヒーを飲み、昨夜一緒に行くって言っていた友人方を少し待ってみましたが、きっと昨夜は遅くまで飲んでいたのでしょう、誰も来ないので、一人で行くことにしました。

昨夜から明日まで続くロンダの行事で、これは今年で2回目という新しいものです。

"Ronda Romántica" (ロンダ・ロマンティカ)
 と言います。

1840年頃の村民に味方の山賊 "bandolero" の愛の物語を再現したものです。そしてその当時は、ナポレオン軍隊のスペイン侵攻があり、ロンダでは大きな戦いがあったそうです。

ロンダでは、スペイン隊と民兵が一緒になってナポレオン軍隊と戦ったそうです。

コルテス村にもナポレオン軍隊が通り、コルテスの民兵と戦いがあったそうです。

先日行った、ガウシン村の行事もこれと同じです。

そして、ロンダでは、その頃の衣装をまとったロンダ市民が沢山いました。

これは行事に参加する人が着る衣装というわけではなく、誰でも着てよいんです。とっても可愛い衣装なので、来年は私も着ようと思っています。(^^)

宝くじ売りのお姉さん、コルテスにも以前来ていました。

真ん中は山賊、右はナポレオン隊の方

スイーツ売りも昔風

仮設バルが沢山

ごった煮って感じです、それとティント・デ・ベラーノ(夏のワイン)

沢山の人です。

お人形さんみたい。

アロス(パエージャ)もあります。

スイーツ屋さんもあります。

ヤギのチーズ、こんなの初めて見ました。

ビールを持ってにこやかに可愛くポーズを取ってくれました。

いつもは静かな公園が、沢山の人です。

我がコルテス村のブースです。

彼女も綺麗^^

馬車も昔風

お~、山賊が飲んでます。

ビデオを撮りましたので、是非雰囲気を味わってみて下さいね。^^


こちらは、劇のフルバージョンです。↓↓



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2014/05/30

5月30日(金) 村のロックバンドのライブ


こんにちは。
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本日はまた急に暑くなってきました。
こういう温度の差は体に堪えます。^^;






そろそろ草を刈るシーズンがやってきました。

馬が埋もれそうな程の背丈になっています。


この草は刈られたら、馬たちの夏の食糧になります。

ここに来るまでは、干し草というのは、冬の間の家畜の食糧だと思っていたんですが、ここでは、夏は乾期になり、また灼熱の太陽で草が育たず、 冬は雨季なので、雨の合間に出る太陽の日差しで結構緑豊富なんです。

また、この自然乾燥した草花を刈らないと、山火事の危険にもなります。もし刈らずに山火事になった場合、ヘリコプターや飛行機で消火活動が行われた費用を負担しないといけないらしいです。

そんなことになっては一大事なので、土地を持っている方々は、今頃から草刈りを始めます。或いは、馬や羊などを借りて、草を食べてもらったりします。


そんな草刈り後の乾燥した草の小さな埃は、私の目に入りチカチカして痛いんです。これも花粉症と同じ症状です。なのでまだまだダテメガネは放せません。(^^)

そんな埃がまだ舞っている中、今日はコルテスのアマチュアロックバンドの「ロス・マウロス」のライブがガソリンスタンドの横のバルでありました。

花粉症の症状がひどくなったら戻ってくればよいので、近所だし、ライブを聴きに行ってきました。

以前はもう一人ギターがいて、4人だったんですが、 仕事が忙しく練習がなかなかできないという理由で、退団してしまいました。

でも、3人でも十分良かったです。

ドラムは村のスペイン人のホワニート、ベースがイギリス人のジョン、そしてギター兼ボーカルがフランス人ティエレです。とっても国際色豊かです。(^^)


以前は、ボーカルを二人でしていたので、喉を休める時間が有りましたが、一人ボーカルになってしまったので、ず~っと歌っていて、ライブが終わってから、アンコールのリクエストが何度も出ましたが、最後は声がもう出ないって言って、終了しました。

ライブの様子を私がずっとビデオで撮ったんですが、まだティエレが動画を確認していないので、ブログには載せられません。

ティエレからOKが出たら、また Youtube のお知らせをしますね。


ライブが終わった後は、みんなで楽しく飲んでいましたが、日が欠けたらまたぐっと気温が落ち、また鼻も詰まって来たので(花粉症)、みんなより一足先に家に帰ることにしました。

きっとみんなは明け方まで飲むんでしょうね、みな日本で言うところの「中高年」ですが、そんなことひとかけらも思ってないようです、って私もですが。 (6 ̄  ̄)ゞ


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2014/05/29

5月29日(木) 若い幼稚園の先生方


こんにちは。
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本日は青空が広がりました。





ですが、今朝はとっても寒いです。車にほんおり霜が降りてます。


今夜は西英交換クラブ(インターカンビオ)の日なので、バル「ラ・フエンテ」に行ってきました。

バルにはすでにメンバーが来ていたんですが、本日は新メンバーが沢山いました。彼女たちは村の幼稚園の若い先生方でした。なので、とっても今日のインターカンビオは華やいでいました。

スペインの女性は目鼻立ちがはっきりしていて、若い人は特にスタイルも良く、綺麗な人が多いです。

彼女たちはロンダの語学センターで英語を学んでいます。

というのも、今スペインでは英語の普及に力を入れていて、先生や公務員は英語がある程度喋れることが必須になるようです。

なので、彼女たちも勉強を始めたそうです。

でも、その語学センターでは、会話の練習は十分できないそうで、このインターカンビオに参加することにしたそうです。

彼女たちが来てくれたので、本日はイギリス人とスペイン人が半々くらいでした。なので、私も幼稚園の先生と一対一でお話しました。

彼女にとっては私のスペイン語は3歳児くらいですから(^^)、幼稚園の先生らしく、分かり易くスペイン語で話をしてくれました。

と、その時、インテリのイギリス人のフィルから「フランコ」という言葉が出てきました。

そうしたら、先生方から少しざわめきが起こりました。

政治の話は良いですが、スペインの暗い歴史の独裁主義時代の話は、ちょっと重いです。

彼女たちが生まれる前の話ですが、ご両親、そしてお爺さんお婆さん方はその時代に生きているので、そういう話は家では聞いているでしょうけど、こういう場では話したくないようでした。
 
どこの国も近代史は難しいですね。

インターカンビオが終わり、家に戻ってからしばらくして犬の散歩に出ました。

木曜日だというのに、綺麗に着飾ったティーンが沢山外にいるのでどうしてかなって思ったら、そう言えば、Facebook でも沢山写真がアップされていましたが、本日は高校の卒業式があったんです。なので、今夜は卒業パーティーがいたるところで催されようです。

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一言西語

本日は「卒業」です。

英語は、
"graduation" (グラジュエイション)

* 英語の "r" の発音を説明した動画はこちらです。
http://youtu.be/geD38rbMPm4

そしてスペイン語は、
"graduación" (グラドゥアスィン)
* "ci" は、英語の "th" の発音です。

です。

綴りはほとんど同じですね(^^)
 

第1回 男性名詞 女性名詞
http://youtu.be/srp5fcflX0E

第2回 主語の省略
http://youtu.be/7gU76JUcMbI

第3回 動詞の活用
http://youtu.be/isUBdwPfNbo

第4回 発音について
http://youtu.be/XILdMQf67uE

規則動詞、不規則動詞
http://youtu.be/lwaTc2Xv1g8

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2014/05/28

5月28日(水) モロッコにまた行きたいです。


こんにちは。
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少し雨が降りました。

スペインでは、5月40日になるまで、お天気が不安定なので、冬服はしまうなって言います。

5月40日なんてあるの?

って思われるともいますが、これは6月10日頃までという意味です。



明日からローラが5日間ほどモロッコの旅に出るので、バル「パイパイ」で一緒に少し飲みました。

モロッコのシェフシャウエン (Chefchaouene) という青い村に行くんです。

そこには、ここの村の近くに住んでいるキットとペニーが "Dar Gabiel" というホテルを持っていて、そこに友達と3人で遊びに行くそうです。

シェフシャウエンの村人が作った、Pharrell Williams の "Happy" の動画です。


この動画を見ていると、私も一緒に行きたくなります。

モロッコには3度言ったことがあります。

一度目は、ここに住んでいるイギリス人のおば様方と5人で、タンジェ (Tanger) に日帰りで行きました。

村から大西洋側のタリファ (Tarifa) という所まで車で行き、そこから高速船に乗りました。船に乗ってから降りるまで約1時間ほどです。

そして一日お買い物やら食事やらを楽しんだ後、また船に乗り、タリファに行き、そして夜の11時頃戻って来ました。

二度目は、マラガから船に乗り、4時間ほどかけて、スペインの植民地であるメリリャ (melilla) に行きました。


そしてモロッコとの国境までバスで行ったんですが、その国境の混雑さにちょっと腰がひけ、ビビりました。

そして、フェス、カサブランカ、マラケッシュに行き、 10日間ほど楽しんだ後、列車でタンジェに戻って、船に乗ってスペインのアルヘシラスに戻って来ました。

3度目に行った時は、私の小さな車、ルノーのクリオで、行きました。

アルへシラスからフェリーに乗ったんですが、ゲートが開くまでは、みなちゃんと並んでいたんです。でも、ゲートが開いたら、みなそのゲートをめざし車がどんどん横入りしてきて、前後左右の車の間隔なんてほとんど無いに等しく、私は超ビビりまくりました。(私が運転手です^^)

そしてタンジェで一泊した後、車を走らせ、次はラバットの近くで泊り、そしてサハラ砂漠の手前の町、ワルザザートという所で1週間ほど過ごしました。

そして帰りはラバットで一泊してから、そこからは私一人でタンジェを目指しました。ラバットでは沢山の車の中を走り、なかなか町を出られず、1時間くらいぐるぐる彷徨いました。

そして信号で止まった時に、車の窓を開け、タンジェに行く高速道路の方角を聞きました。

「タンジャ」って言ったり、「タンヘル(スペイン語)」  って言ったりしましたが、全然通じないんです。

そうです、モロッコは、アラブ語かフランス語なんですね。

でも何とか分かってくれる人がいて、自分の車についておいでって親切に案内してもらい、高速に乗ることができたんです。

タンジェに着いた時は心底ホッとしました。

そして船の切符を買うのを手伝ってくれたり、パスポートコントロールのところを手伝ってくれたり、ネームカードを首からかけていたので、港スタッフだと思っていたら、なんてことはなく、最後はチップを請求されたりもしました。

そして税関では、車の中を隅々まで調べられ、スペアタイヤまで出して地面にボンボンと当てて調べていました。きっとこの時そっと何かを渡さないといけなかったのかなって、今では思いますが、その時はただ職員のすることを見ていただけです。

モロッコに入ると、物を売る人が寄ってきたり、客引きが来たり、ちょっとした買い物も値引き交渉をしなくてはいけなかったりと、とっても疲れますが、旅行が終わると、いつも良い思い出になります。

ローラも色々疲れる思いをするとは思いますが、きっと楽しいモロッコの旅を話してくれると思います。


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2014/05/27

5月27日(火) マラガの倉庫街へ


こんにちは。
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本日も青空が広がりました。




アーモンドの実もどんどん大きくなっています。


犬の散歩の後は、本日はマラガに向けて出発しました。

マラガ空港の近くの倉庫街(とっても大きいです)にある、中華系のお店に買い出しに行ったんです。


スペインは広い国なので、こういう景色がマラガに近づくまで続きます。



そしてマラガに行く時は必ず寄る、バル兼レストランの「メゾン・デ・ディエゴ」で朝食を取りました。

ここのバルの前は大きな駐車スペースがあり、大型バスもよく休憩に利用します。なので、大型バスが2、3台止まっていたら、寄らずに素通りします。バスの乗客が沢山いたら、コーヒーもなかなか出てこないし、トイレは長蛇の列を作るからです。

でも本日は行きも帰りも、大型バスはいませんでした。




そして、マラガに近づくにつれ、だんだんと雲が多くなってきました。想像していたより暑くなかったんですが、ちょっと湿気がありました。


マラガの倉庫街は、中華系の勢力が年々強くなっていて、ある通りはまるでチャイナタウンかと思うほど、道の両側に漢字の看板が並んでいます。

私が利用するウェアハウスは、ここでは老舗です。

看板も出ていないので、最初に行った時は、倉庫街をぐるぐる、随分時間をかけて探したものです。そしてここのお店の周りには中華系のお店はありません。

最初にお店に入った時は、結構冷たく対応されましたが(香港に住んでいたので、そういうのは結構慣れてます)、何度も行くうちに、少しずつ、顔に笑みが見えるようになり、今日は和やかにお買い物ができました。

今日は、こんなものを入荷したよ、ってBull-dog のとんかつソースを持って来てくれました。どうやって使うか知らないって言われたのに、「買う買う」って喜んだだけで、何の料理に使うものか、教えてあげるのをすっかり忘れてしまいました。(6 ̄  ̄)ゞ
 
2時間もかけて、マラガ空港の近くまで来たので、そのほかの場所でもう少しお買い物をした後に、中華料理を食べることにしました。倉庫街は中華系のお店が増えているので、レストランくらいあるはずです。

なので、お店の人に、どこか美味しい中華レストランはないか尋ねたら、どこもないって返事が返って来て、結構がっくりしました。いわゆる、「メイヨー」です。

では、「お店のみんなはどこに食べに行くんですか?」って尋ねたら、スペイン料理のレストランに行くって返事が返って来て、ちょっとこけました。^^

でも向こうに行ったら中華レストランはあるって言われたので、折角来たんですから、その指を差した方角に向かって車を走らせることにしました。

レストランを探す前に、こんなエスニックな商品を扱うウェアハウスが出来ているので、中に入って少々お買い物。



そして、お買い物も終わり、車を走らせ、レストランを探します。

香港に住んでいたので、レストランを意味する中国語看板、「酒楼」「酒家」は分かります。

なので、すぐに一軒目を見つけました。

中に入ると、8人掛けの丸いテーブルが4つほどあり、別室には麻雀のテーブルが2つほどありました。

お店の女性に食事がしたい旨を伝えたら、このレストランではメニューはないそうで、他のレストランを勧められました。

こういう時に北京語ができたらなってつくづく思います。私の片言のの広東語では拉致があかず、というか彼女は広東語は全然分からないようでした。

海外のチャイナタウンに行くと、広東語は大きな勢力を持っていますが、こんなスペインの端では、どこかの地方の中国語と、北京語だけしか通じません。

まあ、食べたい料理はあっても説明できないので、彼女の勧める通り、他のレストランに行くことにしました。

行った先は、中華レストランというより、スペインのバル兼レストランが中国人経営になったというものです。レストラン側には中華のバイキングがありましたが、バル側でアラカルトを頼むことにしました。

先ずは、春巻きを注文し、その後は、点心を頼んだんですが、 あまり中身の入っていない、小龍包のようなものが出てきました。


そして、ちょっと塩っぽいお肉を使った炒飯です。これは美味しかったです。^^


私達が食事をしていると、中国人のお客さんが数人来て、麺類を頼んでいました。なので、次回からは、中国人の方が注文した料理を見てから、美味しそうだったら、「あれ下さい」って注文することにしようね、なんて話してました。でも次回はいつだろう。。。(^^)

そして、お腹も一杯になったところで、一路コルテスに向けて車を走らせました。
 


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