朝からしとしとと雨が降っている。今日は一日中、この優しい雨が続くらしい。
山にとっては、まさに恵みの雨だ。乾季が長引いて乾燥していたので、こうして静かに地面へ染み込んでいく雨は、植物にも土にもありがたい。激しく叩きつけるような雨ではなく、静かに、確実に潤すような雨。そんな雨の日を待ち望んでいた。
朝食をとりに、「カフェテリア・マリア」へ出かけた。
ここでいただく“モジェテ(Mollete)”という丸い薄焼きパンが、とても気に入っている。半分に切って軽くトーストし、オリーブオイルとトマトの摩り下ろしをたっぷり塗り、そしてほんの少し塩を振る。それだけなのに、驚くほどおいしい。素材が生きている味だ。
一緒に行ったのはイギリス人のリンダ。
村で英会話の先生をしていて、私のオンラインの生徒さんとも会話をたまにしてもらったりもする。旅行関係の仕事の経験もあり、物書きとしての顔も持つ女性だ。話していると、世界の広さと人生の深さを感じる。
シベリア鉄道の話から
朝のカフェでの話題は、トランス・シベリア鉄道。
彼女はその列車に何度か乗ったことがあるという。モスクワから極東まで、何日もかけて走る長旅。しかも仕事でお客さんを連れて行ったそうだ。私はすぐに、昔出会った二人の旅人のことを思い出した。
ひとりは、1988年の秋、ウィーンで出会った女性。
当時私は鉄道を利用してヨーロッパを一人で旅していた。東欧から戻りウィーンに滞在していたとき、同年代の日本人女性と出会った。夕食を一緒にしたのか、コーヒーだけだったかは、今になっては思い出せない。
彼女は、「シベリア鉄道を利用してヨローッパに入り、このまま陸路でアフリカに入り、バスで縦断する」と話していた。私も一人旅、彼女も一人旅、ただアフリカ大陸に行く勇気は当時の私にはなかった。もしまた彼女と会えるチャンスがあったらアフリカ旅行の話を聞かせてもらいたい。
もうひとりは古い友人。
ソ連時代の80年代にトランス・シベリアに乗ったことがあり、「かなりきつかったよ」と笑っていたのを思い出した。駅に止まっても観光はできず、30分ほどの休憩でまた出発。そんな生活を何日も続けるのだから、確かに過酷だ。
今度リンダに会ったら、どんなクラスの車両に乗ったのか、どんな部屋だったのか、どんな食事がでたのかなど、色々聞いてみようと思う。
私の夜行列車の思い出
列車の旅というと、子どものころの夜行列車を思い出す。
夏休みになると、母の実家へ行くために夜行に乗った。カーテンの隙間から夜の景色を眺めながら、窓辺でうとうとしたあの時間。いまでも鮮明に覚えている。
中学生の頃には、従兄と二人で夜行に乗ったこともあった。
今思えば私は少し良い寝台を用意してもらったらしい。ベッドの頭の方に窓があるのではなく、横に大きな窓があって、寝具も着替えもちゃんと用意されていた。眠るのがもったいなく、窓の外を眺めていた、ちょっとした旅の贅沢を味わった。
ヨーロッパを旅したときにも夜行を利用した。
ベルリンへ向かう列車では、3段ベッドの狭い寝台で、何もなくただ横になる感じだった。3段目に寝たので、随分高かった記憶がある。車掌さんがやってきてパスポートを預けなくてはならず、少し不安な夜を過ごした。途中列車が停まり、そっと窓の外を見ると東ドイツの兵隊さんが列車を検査していた。ベルリンの壁が崩れる約1年前。
もう一度はロンドンからエジンバラへの夜行列車。二段ベッドの個室で小さな洗面台が付いていた。私は下の段のベッドで、もう一人はご年配の女性。車掌さんが一緒にいて、下の段を譲ってほしいと言われ、私は上のベッドへ移動。喜んでいたその女性の笑顔が今でも忘れられない。
どの旅も、小さな出来事が心に残っている。
雨の中を歩いて帰る
カフェを出ると、雨はまだ静かに降り続いていた。
車で来ようか少し迷ったけれど、やっぱり歩いて来て良かった。帰りものんびりと、濡れた石畳を踏みしめながら、さっきまでの会話を反芻する。トマトの酸味、コーヒーの香り、列車の窓の風景――それらが混ざり合って、ひとつの小さな旅のような朝だった。
最後までご覧いただきありがとうございます。


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