お問い合わせは ⇒ shiroimura.cortes☆gmail.com 迄、ご連絡くださいませ。(お手数ですが、☆を@に変更下さいませ)
コルテス村の地図 ⇒ こちら
【村の行事】2026年
祝日8月15日(土) 、壁のないフェスティバル 8月14日(金) &15日(土)、夏のフェリア8月20日(木) 〜23日(日)

2026/10/07

夏の名残から秋へ、白い村で過ごした9月

 9月が終わりました。

ChatGPT生成

振り返ってみると、今月はまだ夏の続きのような日々から始まり、最後には雨が少し降り、日暮れが早くなり、クリスマスの話まで出てくるという、季節の変化をはっきり感じる1か月でした。

コルテス・デ・ラ・フロンテラでは、9月に入ってもしばらく暑い日が続きました。

月の初めは友人宅でペットシッティングをしていました。犬たちと散歩をし、誰もいないプールで泳ぎ、夕方になると少し涼しくなった庭で過ごします。別の友人宅から続けて引き受けていたため、気がつけば1週間以上、自宅とは違う場所で暮らしていました。

人の家に住み、犬や猫の世話をしながら日常を送るのは、旅行とも自宅での生活とも違う、不思議な時間です。

暑い日には友人たちとプールに入り、ワインを飲みながら夕方まで水の中にいたこともありました。夏の観光地に出かけなくても、山の村にいながら十分に夏を楽しんでいたように思います。

ペットシッティングが終わり自宅へ戻る頃には、少しずつ人の動きも増えてきました。

セビリアからローラがやって来たり、久しぶりに村へ戻ってきた友人たちとバルで顔を合わせたりしました。

この村では、「何日の何時に会いましょう」と何週間も前から予定を決めるより、「今、村にいるよ」「じゃあバルに行こう」と、その日の流れで人が集まることがよくあります。

予定していたことが突然変わることもあります。

川へ行くつもりだったのに時間が遅くなり、結局近所のバルへ行くことになったり、チュロスを食べに行こうとしたら店が休みだったり。

思い通りにいかないことは珍しくありませんが、その代わり、思いがけず面白い時間になることもあります。

ある週末には、隣村までライブを聴きに出かけました。

また別の日には、ローラ夫婦と冷たい川へ行きました。夏ほど暑くはありませんでしたが、まだ川遊びができる気温です。

岸辺に荷物を置いて少し歩いただけなのに、スマートフォンや財布が入ったバッグが気になって仕方がありませんでした。

この辺りはとても安全なのですが、香港やロンドンで暮らした経験があるせいか、貴重品を置いたまま離れることに、私は今でも抵抗があります。

バルでスマートフォンをテーブルに置いたままトイレへ行く人を見るだけでも、こちらが落ち着かなくなります。

そんな自分と、のんびりした村の感覚の違いを改めて感じた出来事でした。

9月は、日本人と偶然出会うことも何度かありました。

朝食を食べに行ったバルでは、フエンヒローラに住む日本人女性とスペイン人のご主人に会いました。

こんな山の中の小さな村で突然日本語が聞こえると、それだけで少し不思議な気持ちになります。

別の日には、週末を過ごしに来ていた日本人のご家族とも偶然バルで会いました。

普段はほとんど日本語を使わない生活なので、こうした出会いはやはり嬉しいものです。

一方で、9月は仕事がかなり少ない月でもありました。

暇な日が続くと、「こんなことなら旅行でも計画しておけばよかった」と思います。

忙しい時には休みが欲しいのに、仕事がなくなると今度は不安になる。勝手なものです。

そんな時間を使って続けていたのが、友人の家族に残された古い手紙の整理でした。

スペイン内戦後、メキシコへ亡命した男性がスペインに残った妻へ送った、1940年代の手紙です。

癖のある手書き文字を一つずつ確認し、元のスペイン語を書き起こし、分かりやすい現代スペイン語に直し、さらに英語へ訳していきます。

AIを使えば以前より作業はずっと進めやすくなりました。それでも、読めない文字は人間の目で前後を考えながら確認しなければなりません。

一通の手紙を読むだけでも、驚くほど時間がかかります。

けれど、その時間をかけるからこそ、80年以上前に書かれた言葉が少しずつ現在によみがえってくるようにも感じます。

手紙を書いた人は、いつスペインへ帰れるのか分からないまま、遠く離れた妻や家族を思い続けていました。

何十年も後になって、その手紙を孫の世代が大切に保存し、それを私が読んでいる。

紙に残された言葉には、不思議な力があります。

私自身、日本の実家を片付けた時に、昔の手紙を大量に処分しました。若い頃にもらったラブレターまで出てきて、一通ずつ読み返してから捨てました。

今思えば、手紙というものそのものが、もう一つの時代の記録だったのだと思います。

9月は、この土地のもっと古い記憶に触れることもありました。

散歩やハイキングに出かけると、普段何気なく歩いている山道の中に、昔の道や建物の跡が突然現れます。

月末に歩いた道では、ローマ時代から使われていたとされる道を下り、その先でイスラム時代の見張り塔と思われる建物を見つけました。

何度も歩いている場所の近くに、そんなものが残っているとは知りませんでした。

ローマ時代の道があり、その上にイスラム時代の建物があり、その間を今の私たちが歩いている。

この辺りに暮らしていると、歴史は博物館の中だけにあるものではなく、山や道の中にそのまま残っているのだと感じます。

ただ、9月は穏やかなことばかりではありませんでした。

山の向こうに煙が見え、山火事の情報を気にした日もありました。

高圧線の事故があったり、道路工事が続いたりと、小さな村でも日々いろいろなことが起こります。

月末には、長い乾期のあと少しではありますが、初めて雨が降りました。

雨そのものは待ち望んでいたものですが、長く乾いた道路に最初の雨が降ると、路面に染み込んでいた油分が浮き上がり、とても滑りやすくなります。

友人夫婦の車も山道で滑り、360度回転して山側へ衝突しました。

幸い二人とも怪我はありませんでした。

雨が降れば一安心、という単純な話ではないことを改めて知りました。

そして今月は、なぜか細かなトラブルも続きました。

ソニーのカメラを久しぶりに使おうとしたら、バッテリーが膨張して取り出せなくなっていました。

少しずつ動かしながら、ようやく取り出した時には本当にほっとしました。

スマートフォンを階段の上から落としたこともあります。

約1.5メートルの高さから画面側を上にして落ちたのですが、幸い壊れませんでした。

ある朝には、バルコニーのローリングシャッターを上げようとした瞬間、紐が切れました。

シャッターが閉じたままになると、外に置いてある給湯用ガスボンベへ行けません。

単なる「シャッターの故障」では済まないところが、古い家で暮らす難しさです。

さらに、夜明け前に足首からアキレス腱の横あたりが激しくつり、痛みで飛び起きたこともありました。

昔はふくらはぎくらいしかつらなかったのに、最近は「なぜこんなところが」という場所までつります。

こうして並べてみると、ずいぶんいろいろありました。

それでも、その合間にはバルでタパスを食べ、友人とジントニックを飲み、英会話をしている友人のカナダ旅行の準備を手伝い、村を歩き、川へ行きました。

家の前では舗装工事が進み、いつもの風景も少しずつ変わっています。

そして季節そのものも、確実に変わっていきました。

9月の初めにはまだ水着でプールに入っていたのに、月末には長袖のTシャツを着る夜が増えました。

日が暮れる時間も早くなり、8時半頃には外が暗くなります。

夜になると、山の方からオス鹿の繁殖期の鳴き声が響いてきます。

あの低く大きな声を聞くと、「今年もこの季節が来たのだな」と思います。

夏の間、夜遅くまで明るかったアンダルシアにも、少しずつ秋がやって来ました。

そして9月最後の日。

村の友人の子供が販売している、クリスマス用のお菓子のカタログがスマホに送られてきました。

まだ9月なのに、もうクリスマスです。

スペインでは恒例のクリスマス宝くじの話も始まり、私も友人を通して早々に一枚買いました。

つい数週間前までプールに入っていたというのに、もう年末の話をしています。

季節は、人間が思っているよりずっと早く進んでいきます。

9月を振り返ると、特別な旅行をしたわけでも、大きな出来事があったわけでもありません。

友人と飲み、犬と歩き、仕事をし、古い手紙を読み、壊れた物に困り、雨を待ち、山を歩く。

そんな日々でした。

けれど、一つ一つを書き残してみると、その中には夏から秋へ変わっていく光や、遠い時代の記憶や、偶然出会った人たちとの会話が残っています。

小さなトラブルに振り回されながらも、結局、今月も人とのつながりに助けられました。

夏の名残をたっぷり楽しみ、少しずつ秋を迎えた9月。

10月には、この白い村にどんな景色が待っているのでしょう。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。