今日は雲が綺麗に空を覆っています。
夕方、ガソリンスタンドの横にあるバルへ行きました。少し座って、そこにいた人たちと話をした後、最近運動不足だったので散歩に出ることにしました。
ガソリンスタンドから田舎道を少し歩きます。長い散歩ではありません。全部で20分ほどでしょうか。それでも、バルに座っているだけよりは、少し体を動かした気分になります。
ひと回りして再びガソリンスタンド横のバルへ戻り、しばらく話をした後、今度は村のいつも行く闘牛場の横のバルへ寄りました。
そこには、この村に住んでいるフランス人の友人と、フランスから来ているその友人たち、それにイギリス人の知り合いもいました。
どういう流れだったのか、話題はいつの間にか「言葉」になりました。
そこで、カナダのケベックで話されているフランス語の話になりました。ケベックのフランス語には、現在のフランスではあまり使われなくなった昔の言葉や表現が残っている、という話です。
それを聞いて、昔イギリスへ語学留学していた頃のことを思い出しました。
最後に部屋を借りていた家の大家さんは、フランス語圏のスイス人女性でした。その人が、ケベックのフランス語について、「ケベックでは100年前のフランス語を話すのよ」と言ったのを、なぜか強く印象に残り、今でも覚えています。
今回フランス人の友人にその話をすると、やはり同じようなことを言います。
考えてみれば、スペイン語にも似たところがあります。スペインから遠く離れた中南米には、スペインでは変化したり使われなくなったりした言葉や表現が、今も残っているそうです。
言葉は発祥の土地だけで変化していくのではなく、海を渡った先でも、その土地なりの形で残ったり、変わったりしていくのでしょう。
そんな話をしているうちに、今度は私が香港で働いていた頃の出来事を思い出しました。
30年ほど前、香港でクレジットカード関連の仕事をしていたことがあります。海外で何か問題が起きた時に問い合わせを受けたり、現地へ連絡したりする仕事で、勤務先はフランス系の会社でした。
ある時、仕事で台湾へ電話をしたことがあります。
電話に出た方が非常に流暢な日本語を話すので、最初は日本人だと思っていました。ところが会話の途中で、不意に、今の日常会話ではほとんど聞かないような言い回しが出てきたのです。
昔の小説の中から、そのまま言葉が出てきたような感じでした。
一瞬、「あれ?」と思いました。
そこで、台湾だということを改めて思い出しました。台湾には日本統治時代に日本語教育を受けた世代がいます。その方も、おそらくそうした時代に日本語を学ばれたのでしょう。
日本語そのものが驚くほど達者で、それだけに、会話の途中に突然現れた古い言葉遣いが、とても印象に残りました。
言葉というものは、ある場所では使われなくなっても、別の場所ではそのまま残ることがあるのです。
では、英語にも同じようなことがあるのでしょうか。
そこにいたイギリス人に聞いてみると、やはりあると言います。例えば、イギリスでは「autumn」と言うことが多いけれど、アメリカでは昔からある「fall」という言葉が今も普通に使われている、と教えてくれました。
フランス語から始まり、スペイン語、日本語、そして英語へ。
村の小さなバルで、いつの間にか世界中の言葉の話になっていました。
こういう話は、何か結論が出るわけでもありません。それでも、違う国から来た人たちが、それぞれ自分の知っている言葉や昔の記憶を持ち寄って話していると、思いがけないところで話がつながります。
そんな話をしながら、金曜日の夜は過ぎていきました。



