昨日の午後、少し悲しい知らせが届きました。
かつてこの村で、外国人たちがよく集まっていたバルがあります。その店を引き継いで営業していた方がいたのですが、そのご主人が亡くなったという連絡でした。
しばらく前から病気をされていて、一時は回復もされたようでした。それでも最近は、散歩している姿を見かけるたびに、ずいぶん弱ってこられたように感じていました。
いつかはお迎えが来るのだろうと思ってはいましたが、実際に知らせを聞くと、やはり胸が痛みます。
夕方、村の共同墓地の横にあるチャペルへ向かいました。
スペインでは、人が亡くなると葬儀の準備は比較的早く進みます。多くの場合、亡くなってから24時間ほどのうちに葬儀が行われます。
チャペルの中に安置所があります。壁には十字架とイエス・キリストの像があり、その下に棺が置かれます。周囲にはたくさんの花が飾られ、静かな空気が流れています。そこに弔問客が訪れるのです。
前の夜に亡くなられたそうで、病院からすぐに村へ戻り、そこに安置されたとのことでした。午前中から、村の人たちが次々と訪れていたようです。
午後6時になると、棺は霊柩車に乗せられました。
その後ろにご家族が並び、さらにその後ろに村の人たちが続いて、ゆっくりと教会へ向かって歩きます。
教会でミサが行われ、そのあと再び外へ出て、今度は墓地の方へと歩いて戻ります。村の人たちは、その列の後ろに静かに続いていくのです。
私もその列に加わりました。
この村に来てから、こうした場に足を運ぶのはもう何度目になるでしょう。たぶん十回くらいにはなると思います。顔なじみの方や、友人の親戚などのときには、できるだけ行くようにしています。
人生には、誰にでもいつか終わりが訪れます。
それでも残された人にとっては、やはり大きな出来事です。
奥さんは、多分私と同じくらいの年齢でしょうか。長く一緒に暮らしてきた伴侶がいなくなるというのは、どれほどの気持ちなのだろうと考えてしまいます。時間だけが、少しずつその寂しさを和らげてくれるのかもしれません。
私は長い間ひとりで暮らしているので、ひとりでいることには慣れています。けれど、昔一緒に暮らしていた愛犬が旅立ったときのことは、今でも忘れられません。毎日涙が止まらず、抱きしめたときの感覚も、いまでも鮮明に残っています。
葬儀のあと、何人かでバルに寄り、少しだけ飲みました。
夜は冷えていましたが、冬のような厳しい寒さではなく、どこか気持ちのよい冷たさです。空気の中に、もう冬が終わったのかもという気配がほんのり感じます。
話をしているうちに、予定より少し飲みすぎてしまいましたが、みんなで静かに語り合う時間になりました。
帰り道、友人のイサベルが少し酔っていて、歩く足取りが少しおぼつかない様子だったので、彼女の家の前まで一緒に歩きました。
その途中、道端にガスボンベがいくつも並べて置かれているのに気づきました。
するとイサベルが、「どうしてこれが置いてあるか知ってる?」と聞いてきます。
知らないと答えると、「ガスの値段が上がるのよ。だからみんな早めに買うのよ」と教えてくれました。
それを聞いて、私も明日ガスを注文しておこうと思いました。
別の友人も、「ガソリンも満タンにしておいた方がいいよ」と言っていました。燃料の値段もどんどん上がっているそうです。
世界では、不安定な出来事が起きています。
政治や国の動きの中で、一般の私たちの生活も影響を受けます。
値段が上がるという話を聞くだけでも少し気が重くなりますが、実際に争いの中で暮らしている人たちのことを思うと、胸が痛みます。
なぜ人は、平和に暮らすことができないのだろうか。
そして今朝、目が覚めてバルコニーに出ると、村はどっぷりと曇に包まれていました。
静かな朝の空気の中で、雲に覆われた村の景色が、不思議なほどきれいに見えていました。
最後までお読みいただきありがとうございました。


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