夕方、友人と飲みに出かけました。
本当はまだ明るいうちに出たかったのですが、空はすっかり曇ってしまい、どこか冬の名残を感じるような空気になってしまいました。
最初のうちは、正直なところあまり楽しめませんでした。自分にとって興味のない話題が続き、気持ちがなかなか乗らなかったのです。
けれど、人が入れ替わり、話題が少しずつ変わっていくにつれて、場の空気も自然と柔らかくなっていきました。
不思議なもので、「旅」の話になると一気に気持ちが弾みます。
友人たちは来年、メキシコに1〜2か月滞在する計画を考えているそうです。移動を重ねる旅ではなく、一つの場所に腰を落ち着けて過ごす旅。
その話を聞いた瞬間、思わず「私も行きます」と口にしていました。年齢とともに、旅のスタイルも少しずつ変わっていくのかもしれません。
帰り道、少し酔いの回った友人と歩いていると、17歳くらいの男の子が私たちを追い越しながら、
「美しい女性たち」
と声をかけていきました。
思わず顔を見合わせて笑ってしまいました。ほんの一言ですが、その日の印象をふっと明るくしてくれるような言葉でした。
この出来事をきっかけに、言葉の持つ距離感について改めて考えました。
スペインでは、見知らぬ相手に対しても「セニョーラ」や「セニョール」といった丁寧な呼び方が自然に使われます。
一方で、「ティオ」「ティア」という言葉もあり、こちらは本来「おじ」「おば」を意味しますが、親しい友人同士で気軽に呼び合う場面でも使われます。
つまり、関係性によって言葉がはっきりと使い分けられているのです。
そういえば先日、X(旧Twitter)で、ひろゆきさんと小池百合子さんに関する話題を目にしました。
小池百合子さんが「おばさん」と呼ばれることへの違和感について触れられていて、それに対してひろゆきさんが「年齢的には自然ではないか」といった趣旨の発言をされていた、という流れだったと記憶しています。
細かな文脈は正確ではないかもしれませんが、そのやり取りを見ていて、自分の中でも引っかかるものがありました。
少なくとも私は、見ず知らずの大人の男性から「おばさん」と呼ばれることには抵抗があります。
自分の姪や甥にそう呼ばれるのは自然なことですし、小さな子どもに言われても気になりません。
けれど、関係のない相手からの呼び方となると、やはり違和感が残ります。
日本語の中でもこの言葉には、距離の近さと同時に、どこか無遠慮な響きが含まれているように感じます。
興味深いのは、これにぴったり対応する言葉が、スペイン語や英語には見当たらないことです。少なくとも、同じニュアンスで他人に直接呼びかける言葉は一般的ではありません。
先ほどの男の子の「美しい女性たち」という一言は、とても自然で、そして心地よいものでした。
ああいう言葉をさらりとかけられるのは、日常の中で人との距離の取り方を身につけているからなのかもしれません。
そんなことを考えながら家路につくと、しばらくして風が急に強くなりました。
天気予報では深夜から荒れると言われていましたが、それよりも早く、空気が一変したようでした。
それでも、日中のやわらかな暖かさや、ふと目にした春の花の色が、どこかに残っています。
何気ない一日でしたが、小さな出来事がいくつも重なり、静かに印象に残る一日となりました。
最後までお読みいただきありがとうございました。


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