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【村の行事】2026年
祝日4月3日(金) Viernes Sano、3月29日(日)〜4月5日(日) セマナサンタ

2026/03/31

3月24日(火) 雲が晴れていく午後に、春の気配

今日の午前中から昼過ぎにかけては、どこか落ち着かない空模様でした。空は厚い雲に覆われ、晴れるのか崩れるのか、はっきりしないまま時間だけが過ぎていきます。

今年は「ぐずついた天気」が長く続き、いつになったら太陽を燦々と浴びれるのでしょうか。こんなお天気だと気分まで少し引きずられてしまうような感覚があります。

今日もまた、そんな一日になるのだろうか、そんなふうに思いながら、空の様子を何度も眺めていました。

ところが、午後3時を過ぎた頃から、空気がふっと変わります。

気がつけば、それまで広がっていた雲がすっと引いていき、青空が顔を出し始めました。あれほど重たく感じられた空が、まるで最初から何もなかったかのように澄み渡っていきます。

この変化の速さは、スペインの空らしいところかもしれません。

特にアンダルシアの内陸にある小さな村では、天気が一日の中で大きく表情を変えることがあります。

朝は冬の名残を感じるような空気でも、午後には一転して春の光、時には初夏を思わせるような空気に包まれる。そして日が落ちるとまた冬が戻ってくる。そんな瞬間に立ち会うたびに、この土地の豊かさを実感します。

雲が消えたあとの空を見上げながら、これからしばらくは穏やかな天気が続くのではないか、と自然と思えてきました。

長く続いた不安定な空模様のあとだからこそ、こうした晴れ間には特別な価値があります。気持ちも少し軽くなり、外へ出てみようかという前向きな気分が湧いてきます。

季節は確実に春へと進んでいます。

そしてその変化は、こうした何気ない午後の空の中に、静かに現れているのかもしれません。

最後までお読みいただきありがとうございました。

2026/03/30

3月23日(月) 雲海の朝と、セマナ・サンタを待つ村

目を覚まして外を見ると、昨日の予感どおり、見事な雲海が広がっていました。

最近では「これは雲海になりそうだ」と、空の様子だけでなんとなく分かるようになってきました。少し前の自分では考えられなかったことです。

田舎に住む人が、空や風の匂いで天気を言い当てる、そんな話をどこか遠い世界のことのように思っていましたが、気がつけば自分も少しずつ、自然の変化を感じ取れるようになってきたのかもしれません。

ふと気配を感じて振り返ると、黒い鳥がじっとこちらを見つめていました。そんな何気ない瞬間にも、この土地での暮らしが、自然とゆるやかにつながっていることを実感します。

同じ朝でも、場所によって景色はまったく異なります。

ロンダの方角はすでに霧が上がり、青空が広がり始めているのに対して、地中海側へ向かう谷には、まだ深い霧が残っていました。

もし昨日まで滞在していた友人の家にいたら、きっと一面の霧の中だったでしょう。

散歩に出ると、鳥のさえずりに混じって草刈り機の音が聞こえてきます。さらにこの時間帯は、小学校のお迎えを知らせる音楽も流れ、どこか賑やかな朝です。

その音楽は、まるで夜のカクテルバーのようなジャズの音楽。登校する子どもたちにとって、この音楽が一日の始まりとして合っているのか少し不思議な気もしています。

今日はよく晴れていて、本当ならバルで朝食を取りたい気分になります。けれどスペインでは、土日に営業する分、月曜日を休みにするバルも多く、いつもの店も閉まっています。

結局、家に戻って朝食をとり、やるべきことを片付ける一日にすることにしました。

道ばたには黄色い花が咲き始め、春の訪れを静かに知らせています。

そして来週からはいよいよ、スペイン、とりわけアンダルシアの大きな行事である「セマナ・サンタ(聖週間)」が始まります。

特にセビリアやマラガでは、荘厳な行列が街を練り歩きます。ひとつの行列に千人以上が参加し、夕方に始まって夜通し続き、朝に終わることもあるほどです。

その規模と熱気は圧倒的で、初めて見たときはただ驚くばかりでした。

一方、この小さな村では、もう少し素朴な形で行われます。それでも金曜日には多くの人が集まり、女性たちは美しく装い、村は一気に華やぎます。

ただ気になるのは天気です。今年は予報が変わりやすく、雨の心配がつきまといます。セマナ・サンタの行列は、雨が降ると中止になることも珍しくありません。

かつて、セビリアの行列が中止になり、涙を流す若者の映像をテレビで見たことがあります。当時はなぜそこまで悲しむのか分かりませんでしたが、今ではその気持ちが少し理解できるようになりました。

それは単なる行事ではなく、信仰や誇り、そして人生の一部でもあるのです。

そして夕方。

週末にペットシッターをしていた家の友人と会う約束をしていたのですが、待ち合わせのバルがまさかの休業。普段はほとんど閉まることのない店なので、少し心配になるほどでした。

結局、ガソリンスタンドの横にある別のバルへ移動すると、友人たちが次々と集まり、思いがけずにぎやかな時間になりました。

ペットシッター先の方からは、カディスのお土産もいただきました。名産のマグロをオリーブオイルで漬けた保存食で、スペインらしい一品です。

トーストにのせても良し、ご飯と合わせても良し。日本のお米があればさらに楽しめそうですが、こちらのお米でどう味わうか考えるのもまた一興です。

この日の午後、天気予報にはなかった雨が突然降り出しました。強く降ったかと思えば、15分ほどで止んでしまう、そんな気まぐれな天気です。

まだ少し肌寒さは残りますが、そろそろ太陽の光を思いきり浴びたい、そんな思いが日に日に強くなってきています。

最後までお読みいただきありがとうございました。


2026/03/29

3月22日(日) ペットシッター最終日は川辺を散歩

この日は、預かっている犬と一緒に川のほうへ散歩に出かけました。

車で駅の村の中を抜けしばらく行くと、かつて愛犬と一緒に歩いた懐かしいコースに出ます。ほんの一部ではありますが、その道を踏みしめると、当時の記憶がよみがえります。景色は大きく変わらないのに、時間だけが静かに流れているのだなって感傷に浸ってます。

2月の大雨の影響はまだ残っていて、川の流れも速く、水かさもまだ多いです。

預かっているワンちゃんなので、自由に放すわけにはいきません。伸縮式のリードを少し伸ばして様子を見ていたのですが、次の瞬間、勢いよく川へ入ってしまいました。

慌てて引き戻しながら声をかけます。幸い、泥が乾いていた場所だったため大事には至りませんでしたが、足元は少し汚れてしまいました。

それでも、ワンちゃんはどこか満足そうで、その様子を見ていると、こちらも自然と笑ってしまいます。こうした予想外の出来事も、犬との散歩の楽しさですね。

そして、帰りに駅の村に住んでいるクリスティーンに会い、一緒にバルコーヒータイム。その後、ワンちゃんをお家に入れて、荷物をまた引っ越しのように車に詰めてコルテス村へ戻りました。

私が家を後にしたのは午後3時ごろ。飼い主からは5時頃に帰宅すると聞いていましたが、実際には4時過ぎに戻ったとの連絡が入りました。犬も長い時間ひとりで待つことにならず、ほっとひと安心です。

そういえば、出かけるときに猫ちゃんに「またね」と声をかけるのを忘れていました。姿が見えなかったとはいえ、少しだけ心残りです。

家に戻って一息つこうかと思っていたところ、友人から連絡が入り、そのままバルへ。

話を聞くと、私が川沿いを散歩して汗ばんでいた頃、コルテス村は一日中どんよりと曇り、肌寒かったそうです。わずかな距離でこれほど気候が違うことに、あらためて驚かされます。山に囲まれたこの地域ならではかもしれません。

バルでは顔なじみのマルコスがやって来ました。来週は彼の犬の世話を頼まれています。今度の犬は少し大きめで、元気いっぱいです。田舎の家らしく敷地がとても広いため、必ずしも散歩に連れて行く必要はないのですが、それでもできれば外を歩かせてあげたい気持ちもあります。

ただ、自分の犬ではない以上、他の犬との関わり方には少し気を使います。小型犬であれば抱き上げることもできますが、大型犬となるとそうはいきません。

そんな流れの中で、思いがけない話題が持ち上がりました。

「君も一緒に泊まるんだよね?」と、一緒にいた友人にマルコスが言いました。

どうやら私が一人だと退屈だろうから、ということでそういう話になっていたようです。

けれど、正直なところ、私はあまり気が進みません。

外で友人と会い、バルでおしゃべりをするのは楽しい時間です。けれど、自分の生活空間に誰かと長時間一緒にいるとなると、話は別になります。私は昔からひとりで過ごす時間が好きで、孤独な空間に心地よさを感じるタイプなのです。

もちろん、昔ながらの気の合う友人であれば話は別です。以前、パリから友人が訪ねてきてくれたときは、4日間があっという間で、「もっと長くいてほしい」と思ったほどでした。けれど、それはごく限られた相手にだけ感じる特別な感覚です。

誰とでも同じように過ごせるわけではありません。バルで会うにはちょうど良い距離でも、同じ屋根の下で時間を共有するとなると、少し違和感を覚えることもあります。

この村で日本人ひとりで暮らしていられる理由も、結局はそこにあるのだと思います。ひとりでいることが苦ではなく、むしろ自然でいられる。寂しさを感じることも、ほとんどありません。

結局、その話はその場では曖昧なままになりました。

外に出ると、空にはうっすらともやがかかり、どこか湿った空気が漂っています。

「これは明日、雲海が出そうだね」

誰かがそう言い、皆で空を見上げました。

何気ない一日の終わりに、次の日の楽しみがひとつ生まれる。

そんな小さな予感とともに、この日は静かに幕を閉じました。

最後までお読みいただきありがとうございました。

2026/03/28

3月21日(土) ペットシッター2日目、そしてにぎやかな夜へ

前の晩に降った雨のおかげで、朝の空気は少し湿り気を帯びていました。空はどんよりとしていて、今にもまた雨が降り出しそうな気配。それでも、雨はひとまず持ちこたえてくれています。

そんな曇り空の下、朝はワンちゃんを連れて近所を少しだけ散歩しました。

ペットシッティングで来ているお家の周りは、自然に溢れています。

この植物は食べられます。

本当なら、このまま一日をのんびりここで過ごしたいところですが、この日は村の美容院に予約が入っていました。車で15分ほどの距離とはいえ、一度村に戻ります。

村の美容院で感じる、スペインらしさ

この美容院は、イギリス人の友人の奥さんが営んでいる場所です。今回は根元のカラーだけなので、1時間ほどで終わる気軽なものです。

店内には、地元のお年寄りが髪を洗ってもらっていたり、別のお客さんはセットだけしに来ていたりと、地元らしい生活に溶け込んだ美容院です。またおしゃべりも絶えません。

そんな中、印象的な出来事がありました。

美容師さんの娘さんから電話がかかってきたのですが、そのやり取りがとにかく情熱的。声の大きさもスピードもすごくて、何か大変なことが起きたのではないかと心配になるほどでした。

さらにその後は、息子さんとも電話で言い合いのようなやり取りが続きます。

「一体何が起きたのだろう」と思い、電話を切った後に聞いてみると、

理由はなんと、「喉が痛い」というだけ。

思わず拍子抜けしてしまいましたが、これがスペインの親子らしいやり取りなのかもしれません。感情を隠さず、全力で表現する。そのエネルギーに、改めてこの国らしさを感じました。

自由なスタイルが当たり前

髪を染めてもらった後は、いったんにワンちゃんたちのもとへ戻ります。

そして夕方には再び村へ。

自宅に戻り、身支度を整えて向かったのは、友人の誕生日サプライズパーティーでした。この日の主役は50歳。日本で言えば「落ち着いた年齢」と思われがちですが、こちらでは少し違います。

そのカップルはとても個性的で、いわゆる「パンク風」のスタイル。

男性は短く刈り込んだ髪型、そして女性は片側だけ長い髪で、もう半分は大胆に刈り上げています。

こうしたスタイルでも、まったく違和感なく社会に溶け込んでいるのがスペインの面白いところです。

実際、ヒッピーのような格好をした高校の数学教師もいるほどで、「見た目より中身」という価値観が受け入れられているように感じます。

旅行で訪れるだけではなかなか見えない、こうした自由さもスペインの魅力のひとつです。

にぎやかすぎるサプライズと、少し物足りなさ

パーティーは夜7時半に集合。会場を暗くして主役を待ちます。

とはいえ、25人ほどしかいないのに、なかなか静かになりません。サプライズのはずなのに、みんなしゃべるしゃべる。

主催者が静かにさせるのに苦労している様子が、なんともスペインらしい光景でした。

そして扉が開けた瞬間、灯りがついてサプライズは大成功。会場は一気に歓喜に包まれました。

バースデーボーイと

料理はシンプルで、ピザやトルティージャといったスペインらしい軽食が並びます。

ただ、この日は車で戻らなければならなかったため、お酒は飲めず。周りは昼から飲んでいる人も多く、すでにいい感じに出来上がっています。

こちらはノンアルコールビール片手に、少しだけ取り残されたような気分。車に乗らなくてよければ、きっと一緒に思いきり楽しんでいたと思います。

静けさに戻る夜

会場はかつてクラブだった場所で、現在は営業していないものの、こうしてイベント用に貸し出しされているようです。

このあと11時半頃にはDJも来たそうで、きっと朝方まで盛り上がったでしょう。

私は少し後ろ髪を引かれながら、10時頃に会場を後にしました。

車で15分ほどの帰り道。驚くほど静かで、すれ違う車もほとんどありません。都会の喧騒とはまるで別世界です。

家に戻ると、ワンちゃんが少し寂しそうな顔で迎えてくれました。猫ちゃんたちも外から戻ってきて、すぐにソファで気持ちよさそうに眠り始めました。

この家には2匹の猫がいて、1匹は村で保護された黒猫。もう1匹は毛の長いゴージャスな猫ちゃんです。北の地域から来たそうで、この南スペインの暑さは少し大変かもしれません。

静と動、その両方がある暮らし

こうして、動物たちに囲まれながら一日が静かに終わっていきます。

朝の静かな散歩から始まり、昼の人間味あふれるやり取り、そして夜のにぎやかなパーティー。

この一日を振り返ると、スペインの魅力は「コントラスト」にあるのだと感じます。

穏やかさと情熱、静けさとにぎやかさ。その両方が自然に共存しているからこそ、ここでの暮らしは飽きることがありません。

スペインを訪れる際には、観光地だけでなく、こうした日常の風景にもぜひ目を向けてみてください。きっと、旅がより深く、豊かなものになるはずです。

最後までお読みいただきありがとうございました。


2026/03/27

3月20日(金) ペットシッター初日、スペインの村で

午後からは、車で15分ほどの場所にある、駅に近い友人宅へ向かいました。

今回の目的は、ペットシッティングです。友人夫婦が、ご主人の誕生日に合わせてカディスへ旅行に出かけるため、その間、ワンちゃん1匹と猫ちゃん2匹の世話を任されることになりました。

ただ、ひとつ誤算だったのは滞在日数です。てっきり一泊だと思い、軽い気持ちで準備をしていたのですが、実際には二泊でした。そのため持ち物を見直したり、予定を調整したりと、出発前は少しばたばたしてしまいました。

とはいえ、距離は車でわずか15分ほど。ガソリン代の高騰は少し気になるものの、この近さだからこそ、こうした頼み事も気軽に引き受けられるのだと感じます。

滞在中には、もう一つ予定が加わりました。明日の夜、50歳の誕生日パーティーに参加することになったのです。

こちらではよくあることですが、突然WhatsAppのグループに追加され、気づけば参加メンバーに入っていました。

最初は誰の誕生日なのか分からず、何人か思い浮かべてみたものの、予想は外れました。

ご両親がこの村の出身で、本人は現在ビルバオ在住。休暇のたびにこの村へ戻ってくるよく知る人でした。

従兄や子供の頃からの友人も多いため、彼女がこの村でサプライズパーティーを開くことにしたそうです。どんな夜になるか、今から楽しみです。

今回あえてコンピューターは持って行きませんでした。仕事はできませんが、たまにはこうした時間も必要なのかもしれません。

その代わりに、iPadを大型テレビに接続してYouTube動画を流しながら過ごしました。Netflixも見られるようパスワードは教えてもらっているのですが、持参したiPadが古く、テレビとの互換性がなく映せませんでした。

それでも、YouTubeが見られれば十分です。何もしない時間を気楽に楽しめるのも、こうした滞在の魅力だと感じます。

こちらの家には、パレットヒーターが設置されています。スイッチひとつで部屋が暖まる、とても便利な暖房です。

以前は薪を使う暖炉が主流でしたが、今ではこの地域でもパレット式に切り替える家庭が増えています。薪の運搬や保管、火の管理、煙の問題などを考えると、どうしても手間がかかるからです。

もちろん、暖炉のある暮らしには独特の魅力があります。炎の揺らぎや見た目の温かさは、やはり心惹かれるものがあります。ただ、日常の使いやすさという点では、現代の暖房設備の方がはるかに実用的です。

とはいえ、足元の冷えはまた別です。そのため私は、いつも小さな電気ヒーターを持参しています。部屋全体は暖かくても、足元にもう少しぬくもりが欲しくなるのです。

この家の持ち主は、フランス人とアイルランド人のカップルです。この地域にはイギリス人をはじめ、いわゆる「外国人」と呼ばれる人たちの家が点在しています。

そうした家には、どこか共通した雰囲気があります。壁には写真や絵が飾られ、楽器がさりげなく置かれ、空間全体が丁寧に整えられています。この家でも、ご主人が描いた油絵が飾られ、ギターが置かれていました。

ただ、個人的に少し気になる点があります。それは照明です。

雰囲気を大切にした間接照明が多く、全体的に光が柔らかいのです。確かに温かみはあるのですが、私にはやや暗く感じます。

どちらかといえば明るい空間が好きなので、普段であれば作業用のライトを持参するところですが、今回はコンピューターを持ってきていないため、それも置いてきました。

そのせいか、夜になると「少し暗いな」と感じながら、居心地は良いのに、どこか物足りなさがありました。というか、「暗〜い!」と時々叫び、ワンちゃんを驚かせてしまいました。

一泊のつもりが二泊になり、予定もいくつか重なりましたが、ここではこうした直前の変更はごく普通のことです。

仕事から少し離れ、静かな家でワンちゃんと猫ちゃんと過ごす時間。そこに、にぎやかな誕生日パーティーが加わり、思いがけず変化のある週末になりそうです。

いつもの生活から少しだけ離れ、束の間のホリデー気分を味わっています。

最後までお読みいただきありがとうございました。


2026/03/26

3月19日(木)「美しい女性たち」と言われた夜|スペインで感じた言葉の距離感

夕方、友人と飲みに出かけました。

本当はまだ明るいうちに出たかったのですが、空はすっかり曇ってしまい、どこか冬の名残を感じるような空気になってしまいました。

最初のうちは、正直なところあまり楽しめませんでした。自分にとって興味のない話題が続き、気持ちがなかなか乗らなかったのです。

けれど、人が入れ替わり、話題が少しずつ変わっていくにつれて、場の空気も自然と柔らかくなっていきました。

不思議なもので、「旅」の話になると一気に気持ちが弾みます。

友人たちは来年、メキシコに1〜2か月滞在する計画を考えているそうです。移動を重ねる旅ではなく、一つの場所に腰を落ち着けて過ごす旅。

その話を聞いた瞬間、思わず「私も行きます」と口にしていました。年齢とともに、旅のスタイルも少しずつ変わっていくのかもしれません。

帰り道、少し酔いの回った友人と歩いていると、17歳くらいの男の子が私たちを追い越しながら、

「美しい女性たち」

と声をかけていきました。

思わず顔を見合わせて笑ってしまいました。ほんの一言ですが、その日の印象をふっと明るくしてくれるような言葉でした。

この出来事をきっかけに、言葉の持つ距離感について改めて考えました。

スペインでは、見知らぬ相手に対しても「セニョーラ」や「セニョール」といった丁寧な呼び方が自然に使われます。

一方で、「ティオ」「ティア」という言葉もあり、こちらは本来「おじ」「おば」を意味しますが、親しい友人同士で気軽に呼び合う場面でも使われます。

つまり、関係性によって言葉がはっきりと使い分けられているのです。

そういえば先日、X(旧Twitter)で、ひろゆきさんと小池百合子さんに関する話題を目にしました。

小池百合子さんが「おばさん」と呼ばれることへの違和感について触れられていて、それに対してひろゆきさんが「年齢的には自然ではないか」といった趣旨の発言をされていた、という流れだったと記憶しています。

細かな文脈は正確ではないかもしれませんが、そのやり取りを見ていて、自分の中でも引っかかるものがありました。

少なくとも私は、見ず知らずの大人の男性から「おばさん」と呼ばれることには抵抗があります。

自分の姪や甥にそう呼ばれるのは自然なことですし、小さな子どもに言われても気になりません。

けれど、関係のない相手からの呼び方となると、やはり違和感が残ります。

日本語の中でもこの言葉には、距離の近さと同時に、どこか無遠慮な響きが含まれているように感じます。

興味深いのは、これにぴったり対応する言葉が、スペイン語や英語には見当たらないことです。少なくとも、同じニュアンスで他人に直接呼びかける言葉は一般的ではありません。

先ほどの男の子の「美しい女性たち」という一言は、とても自然で、そして心地よいものでした。

ああいう言葉をさらりとかけられるのは、日常の中で人との距離の取り方を身につけているからなのかもしれません。

そんなことを考えながら家路につくと、しばらくして風が急に強くなりました。

天気予報では深夜から荒れると言われていましたが、それよりも早く、空気が一変したようでした。

それでも、日中のやわらかな暖かさや、ふと目にした春の花の色が、どこかに残っています。

何気ない一日でしたが、小さな出来事がいくつも重なり、静かに印象に残る一日となりました。

最後までお読みいただきありがとうございました。


3月19日(木) スペインは自由だけど厳しい?ID社会と学校のリアルなルール

3月も半ばを過ぎ、冬の終わりを感じる日が増えてきました。

この日は空一面が雲に覆われていたものの、寒さはそれほどでもなく、厚手のコートを着る必要はありませんでした。家の中でもガスヒーターをつけると少し暑く感じるほどで、季節の移り変わりを実感します。

そんな穏やかな一日の中で、ふと日本のニュースが目に入りました。修学旅行中の痛ましい事故についての報道です。それをきっかけに、スペインの学校行事について改めて考えました。

スペインでも、小学校や高校の節目に旅行へ行く習慣があります。いわゆる修学旅行のようなものですが、その準備の仕方は日本とは少し異なります。

たとえばクリスマスの時期になると、子どもたちがチョコレートやお菓子を販売します。家族や地域の人たちがそれを買い、その売り上げを旅行費用として積み立てていくのです。さらに、お祭りの際には保護者が臨時のバルを出し、その収益を充てることもあります。

もちろん最終的には各家庭の負担もありますが、それだけではなく、地域全体で少しずつ支えていく仕組みが自然と根付いています。

こうした背景から見えてくるのは、「子どもたちの経験はコミュニティで支えるもの」という考え方です。単なる学校行事ではなく、地域に開かれたイベントでもあるのです。

一方で、スペインで生活していると強く感じるのが、「身分証明」の重要性です。

スペインでは、国民にはDNI(国民ID)、外国人居住者にはNIE番号とそれに紐づくカードがあり、この番号が生活のあらゆる場面で必要になります。医療、契約、行政手続きなど、ほとんどすべてがこの番号に紐づけられています。

名前だけでは不十分で、「個人を特定できること」が前提となっている社会です。

例えば、子どもを学校へ迎えに行く場合でも、誰が迎えに行くのか事前に登録し、その人物の身分証明が求められることがあります。

実際に、友人の高校生の娘さんを迎えに行くよう頼まれた際には、事前に私のID番号を伝え、当日も提示が必要でした。スペインでは同じ名前の人が多いこともあり、こうした確認はとても現実的な仕組みだと感じます。

また、友人の話では、10代前半でIDを取得したと言っていました。サッカーの遠征で他の町へ行く際に、身分証明が必要だったそうです。

(※スペインではDNIの取得は義務ではあるものの、取得時期は家庭や必要性によって多少の違いがあります)

日本では比較的柔軟に対応される場面でも、こちらでは明確なルールが存在します。

団体での移動やイベントについても同様で、学校や団体が主催する場合には保険加入や許可が前提となっており、責任の所在がはっきりしています。

こうした仕組みを見ていると、スペインでは「ルールがあるから守る」というよりも、「守らせるためにルールを明確にする」という考え方が強いように感じます。

この違いは、言葉の使い方にも表れているように思います。

日本では「〜してください」と丁寧に依頼する表現が多く使われますが、スペインでは安全や規則に関する場面では命令形が一般的です。たとえば飛行機の安全案内なども、「お願い」ではなく「守るべき指示」としてはっきり伝えられます。

これは、専門性や責任に基づいたコミュニケーションの違いとも言えるかもしれません。

スペインで暮らしていると、自由でおおらかな印象を受ける一方で、このように制度やルールの面では非常に明確で現実的な側面も見えてきます。

一見すると相反するようにも思えるこの二つが共存しているところに、この国のバランスの面白さがあるのかもしれません。

最後までお読みいただきありがとうございました。


2026/03/25

3月18日(水) 春の気配と、軽やかな一泊の支度

家の中にいると、少しずつ気温が上がってきたように感じます。春が近づいているのかもしれません。

それでも外へ出るとなると、まだ油断はできません。冬用のジャケットを羽織りつつ、一枚減らして出てみたのですが、やはり風に当たると少しひんやりします。

ここ数日、朝の散歩に出ていなかったこともあり、今日は久しぶりに外の空気を吸おうと思い立ちました。

髪を洗ったばかりで、完全に乾かないまま外へ出てしまったせいか、風の冷たさがいつも以上に身にしみます。

空は曇りがちで、また天気が崩れる気配もあります。それでも、この季節特有の清々しさがあり、心地よく感じられます。

今週末は、少しだけ特別な予定があります。

車で15分ほどの場所に住む友人夫婦が、カディス方面へ一泊で出かけるため、その間、家に滞在してワンちゃんと猫ちゃんの世話を頼まれているのです。

これまでは数日から一週間ほどペットシッティングをすることが多く、そのたびにちょっとした「引っ越し」のような準備をしていました。

仕事用のパソコンに加え、外付けハードディスクやキーボード、さらにはポータブルモニターまで持参します。普段から画面が二つないと落ち着かないため、どうしても荷物が増えてしまうのです。

さらに、キッチンペーパーやトイレットペーパーなど、日常的に使うものも自分のものを持っていくことがあります。気兼ねなく使える安心感があるからです。

こうして振り返ると、自分の生活そのものを一式持ち運んでいるような感覚になります。

けれど今回は一泊だけ。

思い切って荷物を減らし、iPadひとつで過ごしてみることにしました。テレビに接続すれば大きな画面で動画も見られますし、何より天気が良ければ、犬と一緒に散歩したり、ゆったりとした時間を過ごすことのほうが中心になるはずです。

小さなヒーターだけは持参する予定です。春が近いとはいえ、朝晩の足元はまだ冷えますから。

散歩を続けていると、日陰ではまだ空気がひやりとしていますが、村の外れの道に出た途端、太陽の光が直接降り注ぎ、一気に暖かさを感じます。

こうした温度差も、この時期ならではのものです。

ふと道端に目を向けると、つい先日まで白い花を咲かせていた木が、今は青々とした葉を広げています。季節は確実に、次の段階へと進んでいるようです。

そのとき、携帯にメッセージが届きました。

どうやら誰かの50歳の誕生日サプライズパーティーの誘いのようです。ただ、送り主の名前だけでは誰のことなのか分かりません。おそらくあの人だろうと思いながらも、返事は保留のままにします。

週末の予定と重なりそうで、少し迷います。金曜日からペットシッティングの予定ですが、土曜日の時間帯によっては顔を出せるかもしれません。スペインではこうした集まりも大切な時間なので、うまく調整したいところです。

道を歩いていると、誰かの忘れ物らしきものが目に入りました。

そういえば以前、自分も帽子を落としたことがあります。雨の日に犬の散歩へ出かけ、途中で脱いだままどこかに置き忘れてしまったのです。翌日見つけたときには、すっかり汚れてしまっていました。

ここでは、落とし物が必ずしも元に戻ってくるとは限りません。誰かが持ち去ることもあるし、そのままどこかへ消えてしまう場合もあります。

友人の話では、道で拾った財布をポストに入れたことがあるそうです。「郵便局の人が何とかしてくれるだろう」、という考え方です。

日本のように交番へ届けるという習慣とは異なり、土地ごとの文化の違いを感じる場面でもあります。

散歩の終わりに立ち寄ったのは、いつもの八百屋さんでした。

今日は野菜をいっぱい買って帰ろうと思ったのですが、不運なことに、いつも不機嫌そうに接客する店員さんが私の担当になったんです。

誰に対しもそうなのか、それとも私だけなのかは分かりません。もしかすると外国人が嫌いなのか、アジア人の私が嫌いなのか。

5ユーロ分の野菜を注文したところで、私はもう買うのをやめました。そして、もう二度と彼女からは買わないと、と強く思ったんです。

折角気持ちよく歩いてきたのに、少しだけ気分が沈んでしまいました。

そこで、気分を切り替えるようにパン屋さんに寄り、セマナ・サンタの時期に見かける甘いお菓子を購入。

家に戻り、コーヒーと一緒にゆっくり味わうと、気持ちもほどけてきます。

小さな出来事に心が揺れるのも、また日常の一部。

そんな一日を重ねながら、春は少しずつ近づいてきています。

最後までお読みいただきありがとうございました。


2026/03/24

3月17日(火) 夜更かしの理由は、少しの会話と一杯のワイン

一日中、家にこもって仕事をしていました。

外の様子をほとんど気にすることもなく、気がつけば夕方。こういう日は、時間があっという間に過ぎていきます。

この村での暮らしは静かですが、その分、家の中で過ごす時間が長くなることもあります。特に仕事に集中している日は、人と会話をすることもなく、一日が終わってしまうことも珍しくありません。

そんな日の夜、久しぶりに音声チャットアプリ「Clubhouse」を開きました。

しばらく使っていなかったのですが、ちょうど知人たちが部屋を開いていて、自然とそこに入ることになりました。

ヨーロッパの各地や日本に住んでいる人たちと、他愛のない会話を交わす時間。

特別な話をしているわけではないのに、不思議と心がほぐれていきます。顔は見えなくても、声だけでつながる距離感が、かえって心地よく感じられるのかもしれません。

彼女たちと知り合ったのは、コロナ禍のころでした。

自由に外出することができず、人との距離が物理的にも心理的にも広がっていた時期です。

当時のClubhouseはとても活気があり、ほぼ毎日のように誰かが部屋を開いていました。

いつものメンバーが集まることもあれば、部屋を移動して、知らない人の話を聞いたり、自分も会話に加わったり。あの頃は、まるでどこかの国のラジオに自由に入り込んでいるような、不思議な感覚がありました。

けれど、時間が経つにつれて、そうした熱気も少しずつ落ち着いていきます。

今では、あの頃のように頻繁に部屋が開くことはなくなりました。この日も「久しぶりに開いたね」と言い合うような、そんな再会でした。

それでも、顔を合わせたことがないはずの人たちに、どこかクローズフレンドのような親近感があります。

同じ時間を共有してきたという感覚は、思っている以上に強く残るものなのかもしれません。

楽しかった余韻に浸りながら、キッチンへ行き、残っていたワインをグラスに一杯だけ注ぎました。

本当に「一杯だけ」のつもりでした。

そのまま、少しだけ動画を見ようと思ったのですが、これがよくある流れです。

気軽に再生した一本が、次の一本を呼び、さらにもう一本へと続いていきます。

気がつけば、時計は深夜2時を回っていました。

本当は、もう少し早く眠りにつきたいと思っているのですが、夜の静かな時間には、どうしても気が緩んでしまいます。

昼間はあれだけ時間に追われていたのに、夜になると、ようやく自分の時間が戻ってきたような気がしてしまうのです。

静かな部屋の中で、遠くの誰かとつながった余韻と、ゆっくり流れる時間。

その心地よさに包まれながら、今日もまた少しだけ夜更かしをしてしまいました。

最後までお読みいただきありがとうございました。


2026/03/23

3月16日(月) 古い手紙がテクノロジーで蘇るとき

今日は風が少し強い一日でしたが、昼間はよく晴れて、思いのほか暖かくなりました。春が近づいているのを感じさせるような穏やかな陽気です。

けれど、この村では太陽が山の向こうへ隠れると、空気が一気に変わります。山の影がそのまま村全体に広がり、それと同時に気温もすっと下がっていきます。ついさっきまでの春のような暖かさが消え、まるで季節が一歩戻ったかのように感じられるのです。

今日は午後、友人の家へ行ってきました。

村から車で少し離れた場所にある家で、道幅は車がぎりぎり二台すれ違えるくらい。周囲には畑や野原が広がり、いかにもアンダルシアらしい風景が続いています。

近いうちに彼女が数日間旅行に出ることになり、その間、私が犬の世話をすることになりました。いわゆるペットシッターです。

これまでにも何度か泊まりに行ったことのある家なので、大体のことは分かっています。それでも田舎の家というのは、細かな決まり事や注意点が多いものです。念のため、もう一度一緒に確認しておこうと思い、訪ねてきました。

その友人の名前はカルメン。

イギリスで育った人ですが、お母さんがスペイン人で、スペイン語も上手に話します。ただ本人の感覚としては、英語とまったく同じレベルというわけではなく、完全に同等なバイリンガルとは少し違う、そんな立ち位置のようです。

犬の世話の話がひと段落すると、自然と別の話題へ移りました。

彼女がいま取り組んでいるのは、お祖父さまが残した手紙の整理です。

お祖父さまはスペイン内戦の時代にさまざまな苦難を経験し、国外へ逃れるような出来事もあったそうです。その時代に書かれた大量の手紙が残されており、カルメンはそれを一通ずつ読み、文字に起こし、英語に翻訳する作業を続けています。

すでに四年ほど取り組んでいるそうですが、とにかく量が多い。昔の人は本当によく手紙を書いたものだと、あらためて感じます。

その話を聞きながら、私も以前、日本で荷物を整理したときのことを思い出しました。

古い手紙がまとまって出てきて、「こんなにやり取りしていたのか」と驚いた記憶があります。普段は忘れている時間が、紙の束と一緒に残っているのだと、そのとき初めて実感しました。

けれど、カルメンのお祖父さまの手紙は、それよりもはるかに多く、まさに山のように残っているのです。

問題は、それがすべて手書きだということでした。

古い筆跡を読み取り、それを打ち込み、さらに翻訳する。想像するだけでも気の遠くなるような作業です。

そこで私は、最近のAIを使ってみたらどうかと提案しました。

彼女のMacで作業中のファイルを見せてもらうと、操作にはあまり慣れていない様子でした。

AirDropの使い方も知らなかったので、まずはそこから説明します。私は眼鏡を持っていかなかったため画面が少し見えにくく、彼女はマウスを使わずトラックパッドだけで操作しているので、なかなか思うように進みません。

それでも何とかファイルを送ってもらい、AIで翻訳してみました。

すると、あっという間に英語訳が表示されました。

カルメンはかなり驚いていました。

さらに別の手紙では、薄くて読みにくい筆跡の中に船の名前が書かれていたのですが、それがどうしても判読できなかったそうです。そこでその手紙を写真に撮り、同じようにAIに読み込ませてみました。

すると文字がきちんと読み取られ、船の名前まで特定されました。しかも、その船がどのような船だったのか、歴史的背景まで説明が出てきたのです。

「すごい……」

彼女は本当に驚いた様子でした。

ただ翻訳するだけではなく、分からないことを質問すれば、背景や歴史まで教えてくれる。そんな使い方もできると伝えると、強い関心を示していました。

無料でも使えるけれど、これだけ資料があるならサブスクを利用した方が良いかもしれない、という話にもなりました。

帰宅してから、私はAIで整理した内容をGoogleドキュメントにまとめ、リンクをWhatsAppで送っておきました。

するとカルメンから、

「私のこの四年間は一体なんだったの?」

というメッセージが届きました。

これまで彼女は、手紙を読み、タイプし、翻訳し、そのすべてを手作業で積み重ねてきたのです。そう思うのも無理はありません。

けれど考えてみれば、ここまで技術が進んだのは本当にここ一年ほどのことです。翻訳の精度も、手書き文字の読み取りも、急速に進化しました。少し前までは難しかったことが、今では驚くほど簡単にできてしまいます。

もちろん、誰にも知られたくない資料であれば、手作業で進めるしかありません。ですが、今回のように歴史的価値のある手紙であれば、できるだけ早く整理し、形として残していくことにも意味があるように思えました。

そんなことを考えていると、あらためて自分の手紙のことが思い出されます。

私は以前、日本でかなりの手紙を整理しました。実家もほぼなくなり、保管する場所も限られていたためです。大きな段ボール二箱に収まる分だけ思い出を残し、それ以外は一通ずつ読みながら手放していきました。

手紙を読み返すと、その時の自分の生活がふっとよみがえります。

「ああ、この人とこんなやり取りをしていたのか」と、思いがけず記憶がつながることもありました。

今では、メッセージは一瞬で届きます。

とても便利な時代ですが、手紙のやり取りにはまた別の時間の流れがありました。文字を書き、封筒に入れ、何日もかけて相手に届く。その間に、相手のことを思い、想像する時間がありました。

そんな時代も、確かに存在していたのです。

今日は、ワンちゃんのお世話の打ち合わせから始まり、古い手紙と新しいテクノロジーの話へと広がった一日でした。

山の影が落ちる静かな村で、過去と現在が少しだけ交差したような、そんな時間でした。

最後までお読みいただきありがとうございました。


2026/03/22

3月15日(日) 夕暮れの散歩と、思いがけないアリの世界

午後になってから、ようやく空が明るくなり、気持ちの良い天気になりました。

昼食を終えてしばらくゆっくりした後のこの時間は、散歩にちょうど良い時間帯です。太陽が裏山に隠れるまで、まだ1時間半ほどあるでしょうか。近所の人たちも同じことを考えているようで、あちこちで歩いている人の姿を見かけます。

スペインの小さな村では、こうした夕方の散歩が日常の風景です。のんびりとした空気の中で、季節の変化を肌で感じることができます。

そんな穏やかな散歩の途中、ふと思い出したニュースがあります。YouTubeで見たもので、ケニアの空港で中国国籍の人が逮捕されたという話でした。理由はなんと、アリの密輸です。何千匹ものアリを国外へ持ち出そうとして捕まったというのです。

最初は「アリ?」と驚きました。ニュースの映像を見ると、アリは試験管のような小さな容器に入れられ、綿のようなものが詰められていました。1つの容器に大量のアリを入れるのではなく、1匹か2匹ずつ丁寧に分けて運ぼうとしていたようです。

一体なぜそんなことをするのか不思議に思い、AIに尋ねてみました。

すると、世界にはアリを飼育し、コロニーが広がっていく様子を観察する愛好家がいるのだそうです。透明な容器の中で、女王アリが巣を作り、働きアリが増えていく。その過程そのものを楽しむのだとか。

珍しい種類になると高額で取引されることもあり、それが密輸の理由になっているようでした。

そういえば、以前Instagramで、アリのコロニーを販売している人を見かけたことがあります。確かシンガポールかどこかの人でした。趣味の世界とはいえ、思いがけないところに価値が生まれるものだと、少し驚かされます。

さらに調べてみると、売買の中心になるのは「女王アリ」だそうです。コロニーを作るのは女王アリだからです。羽を持った女王アリは空を飛び、空中で交尾を行い、その後地上に降りて羽を落とし、新しい巣を作る場所を探します。

スペインのこの村でも、年に一度、不思議な光景を見ることがあります。雨が降った後のある日、大きな羽アリが一斉に飛び立つのです。ははっきり覚えていませんが、多分10月です。その日だけは空がざわめくように感じられるほど、多くのアリが舞います。

そして翌日になると、地面には羽アリの死骸が無数に落ちています。

羽を落としたアリ

これまで何気なく見ていた光景でしたが、その仕組みを知ると、まったく違って見えてきます。生き残ったメスが新しい場所で巣を作り、そこから新しいコロニーが始まっていくのです。

女王アリは一度の交尾で一生分の精子を蓄え、それを使って働きアリを産み続けるのだそうです。そしてコロニーが成熟すると、再び羽アリを生み出し、その循環が繰り返されていきます。自然の仕組みの巧妙さには、本当に驚かされます。

この辺りには、かなり大きなアリもいます。見かけると、1.5センチ、もしかしたら2センチ近くあるのではないかと思うほどです。

アリの巣

昔、犬を飼っていた頃、田舎の家で餌を与えていたことがありました。ドッグフードにビスケットを混ぜて置いておくと、それを大きなアリたちが運んでいくのです。

8匹ほどのアリが協力して、大きな欠片を壁伝いに運んでいく様子は見事でした。あの小さな体でどうやって、と感心しながら、しばらく見入ってしまったのを覚えています。

調べてみると、大型のアリにも様々な種類があり、珍しい女王アリになると1匹で2,000ユーロほどすることもあるそうです。本当かどうかは分かりませんが、そんな話を聞くと、アリの世界もずいぶん奥深いものに感じられます。

最近は、こうした疑問をすぐにAIで調べることができます。ふと気になったことに、その場で答えが返ってくるのは、ありがたい時代だと感じます。

そんなことを考えながら歩いていると、今日の天気の良さがいっそう心地よく感じられてきます。

駅の村では、昨日と今日がカーニバルでした。昨日は寒く、天気もあまり良くなかったので、今日は晴れて本当に良かったと思います。やはりお祭りは、青空の下の方が何倍も楽しいものですよね。

ただ、太陽が沈めば、空気は一気に冷え込みます。今は暖かくても、あと少しすればまたジャケットが必要になるでしょう。

ふと見ると、道の向こうにロバがいます。のんびりと立ち、こちらをじっと見ています。

スペインの田舎では、こうした風景もまた、何気ない日常の一部です。

「かわいいね」

思わず声をかけて、手を振ります。

ロバは静かにこちらを見たまま、ゆっくりと耳を動かしていました。

「アディオス」

小さく挨拶をして、また歩き出します。

春がもうすぐそこまで来ている、そんな気配を感じながら、夕方の散歩は静かに続いていきます。

 

2026/03/21

3月14日(土) アンダルシアの闘牛文化と、少し距離を置く私の気持ち

昨日はよく晴れていたのですが、今日は朝から空がどんよりと曇っています。なんとなく重たい空気の一日です。天気予報では今夜は雨になるかもしれないとのこと。そして明日は、また少し晴れ間が戻りそうです。

夕方、少し外に出てみました。寒いだろうと思って厚着をして出たのですが、歩いているうちにだんだん暑くなってしまいました。どうやら着込みすぎたようです。

外へ出た理由は、村で闘牛が行われる日だったからです。午後5時半から始まる予定になっていました。特に見に行くつもりはなかったのですが、どんな様子なのか少しだけ見てみようと思い、闘牛場の近くまで歩いてみました。

途中、闘牛士の姿を見かけました。

昨日から、アンダルシアのテレビ局Canal Surの中継車が来ており、今日は中継が行われるようです。

闘牛場の裏手には、鎧のような装備をつけた馬の姿も見えました。闘牛では、騎馬闘牛士が馬に乗り、槍で牛と対峙する場面もあります。その馬たちが会場に連れてこられていたのです。

歩いている途中、ばったり友人に会いました。すでに出来上がっていて、少し呂律が回っていない様子でしたが、「チケットがあるからあげるよ」と声をかけてくれました。入場料は15ユーロです。

ありがたい申し出でしたが、丁寧にお断りしました。

闘牛場では最初に、闘牛士たちが並び、主催者や村長に挨拶をするセレモニーがあります。その場面だけは少し見てみたい気もしたのですが、そのためだけにチケットをもらうのは気が引けました。それなら、本当に見たい人に使ってもらった方がいいと思ったのです。

それに正直なところ、私は闘牛を最後まで見ることができません。

この村の闘牛場はそれほど大きくないため、牛が苦しむ声がはっきりと聞こえてしまうのです。

実は、ずいぶん昔に何度か闘牛を見に行ったことがあります。当時は、闘牛というものをよく知りませんでした。赤い布をひらひらと操りながら、闘牛士が美しく牛と向き合う、そんなパフォーマンスのようなものだと、漠然と思っていたのです。

中継から

しかし実際には、最後には牛を仕留めることになります。それを初めて目にしたとき、「ああ、これは無理だ」と感じました。

通常、闘牛では3人の闘牛士が登場し、それぞれが2頭ずつの牛と対峙します。つまり、1回の闘牛で6頭の牛が使われます。牛たちは専用のトラックで運ばれてきますが、互いに接触しないよう、一頭ずつ仕切られています。

闘牛用の牛は特別に飼育されています。牧場は頑丈な鉄の柵で囲まれていることが多く、以前ドライブの途中でそうした場所を見かけたときは驚きました。「もしかして闘牛の牛がいるのでは」と思い、慌ててその場を離れたことを覚えています。

闘牛の牛は、できるだけ人間と接触しないように広大な土地で育てられるそうです。餌を与えるときも、人が直接近づくのではなく、トラックで運び、さっと置いて去る。そうして人に慣れないようにするのだといいます。

牛はとても賢い動物なので、人間に慣れてしまってはいけないのだそうです。

そして、およそ4年ほど放牧で育てられた後、闘牛場へと連れて行かれます。

そこに出された瞬間、周囲360度を観客に囲まれることになります。人々の歓声に包まれるその光景は、まるで古代ローマのグラディエーターの世界のようにも感じられます。

この村では、特に夏祭りのときに行われる闘牛が大きなイベントになります。その日は観客席も華やかで、女性たちはフラメンコの衣装をまとい、色鮮やかなドレスで会場を訪れます。村の女性たちが美しく着飾って集まる様子は、とても印象的です。

そして牛が倒れた瞬間、会場には大きな歓声が上がります。

私はその場面を見ることができず、思わず横を向いていました。ふと周りを見ると、美しく着飾った女性たちが笑顔で、食い入るようにその様子を見つめながら拍手をしています。

その光景を見たとき、「ああ、やはり文化が違うのだな」と強く感じたことを覚えています。

村の友人にその話をしたことがあります。彼自身も闘牛が特別好きというわけではないそうですが、子どものころ、祖父に連れられて夏祭りの闘牛を見に行った思い出があるのだそうです。だから今でも、その記憶の延長として闘牛を見に行くことがある、と話していました。

闘牛では、闘牛士がいかに素早く、牛を苦しめずに仕留めるかが重要だと言われます。その出来栄えによって観客は拍手を送ったり、時にはブーイングをしたりします。審判役である村長が評価を示すと、闘牛士には牛の耳や尾が「賞」として与えられます。

繰り返しになりますが、歓声に包まれるその様子は、まさにグラディエーターの世界を思わせ、ちょっとゾッとします。

夕方、家のバルコニーから闘牛場の方を眺めてみました。観客席には多くの人が集まり、馬を連れてくる人の姿も見えます。ただ、距離があるため音は聞こえません。

空は相変わらず曇ったままです。

せっかくのイベントですから、天気がもってくれるといいのですが、雨で足元が滑れば、牛にも人にも危険が及びます。

闘牛については、さまざまな意見があります。

この土地に根付いた長い文化のひとつであることは確かです。それでも私は、複雑な気持ちを抱きながら、少し距離を置いて眺めています。

そして最後に、ほんの少しだけテレビをつけて中継を見てみました。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。