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【村の行事】2026年
祝日8月15日(土) 、壁のないフェスティバル 8月14日(金) &15日(土)、夏のフェリア8月20日(木) 〜23日(日)

2026/08/06

7月30日(木) 古い手紙を読み解き、文字を追い続けた一日

前日の夜は、車検に無事合格した帰りにプールのバルへ寄り、マリたちと合流しました。ピザを食べながらビールを飲み、少し酔って帰宅したため、この日はいつもより遅い朝になりました。

ここ数日は暑さが少し和らいでいます。厳しい暑さが続いている時は、朝早くから目が覚めてしまうのですが、涼しくなると不思議なほど眠れます。そんなわけで、一日の出だしは遅くなりました。

少し仕事をした後、またカルメンの家へ向かいました。続けているのは、彼女の祖父が祖母に宛てて書いた古い手紙の文字起こしです。この日は作業が順調に進み、五通を終えることができました。目に見えて成果が出ると、やはりうれしいものです。

少し前まで扱っていたのは、タイプライターで打たれた手紙でしたが、現在は手書きのものに移っています。昔の筆記体は癖が強く、私にはほとんど読めません。それでもAIがかなり正確に読み取り、その結果をカルメンが原本と照らし合わせながら確認していきます。

カルメンの母親はスペイン人ですが、カルメン自身はイギリスで生まれ育ちました。子供の頃、休暇のたびにスペインを訪れ、親戚や周囲の人たちとの会話を通してスペイン語を身につけたそうです。本人はそれを「ストリート・スパニッシュ」と呼んでいます。

私からすれば十分すぎるほど流暢ですが、話せることと、昔の手書き文字を読めることは別のようです。カルメンも、最初にこの手紙を見た時には全く読めなかったと言っていました。それが作業を重ねるうちに、少しずつ読めるようになったそうです。

ただし、面白いことに、よく読める日と、全く頭に入ってこない日があるのだとか。ある日は文字が次々と意味を持って見えてくるのに、別の日には同じような手紙を見ても、なかなか言葉として捉えられないそうです。

古い手書き文字を読むことは、目だけでなく頭も使う作業なのでしょう。それでも、長い年月を経た家族の手紙を少しずつ読み解いていくカルメンの姿を見ていると、本当にすごいことだと思います。

作業を終えて家に戻ると、その日のうちに提出しなければならない仕事が残っていました。少し休んでから取りかかり、結局、夜中の1時半頃まで作業を続けることになりました。

手紙の文字を読み、帰宅後は仕事の文章に向き合う。ずっと文字を追い続けた一日で、さすがに少し疲れました。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

2026/08/05

7月29日(水) 愛犬を思う夜、車検を終えて村のバルへ

夜になると、驚くほど涼しい風が吹いています。ヨーロッパ各地では厳しい暑さが続いているようですが、この村の夜は別世界のようです。

7月29日は、私にとって忘れられない日でもあります。かつて一緒に暮らしていた愛犬、モンスターが生まれた日です。

モージョー、モンスター、トラちゃん

うちで生まれたので、文字どおり私の手の中に落ちてきたようなものでした。母犬のトラちゃんが私をじっと見つめるので、急いで羊膜を破り、子犬をトラちゃんのそばに置いたことを今でもよく覚えています。

その年の夏も、ヨーロッパは大変な暑さでした。

モンスターは、それから12年間を私と一緒に過ごしました。元夫が「モンスター」と名付けたのですが、私がその名前で呼ぶのは、何かを叱る時くらいでした。普段は「もんたーちゃん」や「モンスィー」など、少しずつ呼び方を変えていました。

本当に大好きな犬でした。母犬のトラちゃんも、私にとってかけがえのない、可愛い犬でした。

犬たちと過ごした時間は、私に愛することを教えてくれた12年間だったように思います。7月29日が来るたびに、モンスターが生まれた日のことや、一緒に暮らした日々を思い出します。

そんな思いを抱きながら過ごした一日でしたが、夕方には車検へ行く予定がありました。

スペインの車検は「ITV」と呼ばれています。私はつい英語とスペイン語を混ぜたような発音をしてしまい、スペイン人にもイギリス人にも聞き返されることがあります。

そのたびに、かつて香港で数字を言う時に英語と広東語が混ざり、相手に不思議そうな顔をされたことを思い出します。

長く外国語に囲まれて暮らしていると、時々どの言葉の発音なのか、自分でも分からなくなることがあります。

今回は再検査です。前回指摘されたタイヤとヘッドライトを直し、夜8時前の予約に合わせて出かけました。

検査場まではどこにも寄らず、検査を受けると、そのまま村へ戻りました。結果は無事に合格です。これで、また1年間は安心して車に乗ることができます。

村に戻ると、友人たちがプールのバルにいるというので、そこをこの日の最後の目的地にしました。ちょうど誕生日を迎えた人もいて、皆で話をしながら、ビールを飲み、ピザを食べました。

昼間の暑さが和らぐと、村の人たちは一斉に外へ出てきます。テラスには人が集まり、あちこちから話し声が聞こえてきます。夏の夜らしい、にぎやかでありながら穏やかな時間です。

モンスターも、晩年の夏はよくバルコニーで眠っていました。私もその横に寝ていました。家の中には昼間の熱がこもるため、涼しい外の方が過ごしやすかったのでしょう。

私は蚊に刺されながら眠っていましたが、モンスターはバルコニーから外を眺めるのを楽しんでいるようでした。

今夜も村にはたくさんの人が出ていて、空にはきれいな月が浮かんでいました。その景色を見ていると、モンスターもここから同じように村を眺めていたのだろうと思います。

大切な思い出に浸り、車検にも無事合格し、最後は友人たちと楽しく過ごすことができました。懐かしさと安堵が静かに重なる、夏の一日でした。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

2026/08/04

7月28日(火) タイヤ交換と、初対面の家族を訪ねた午後

朝は夏とは思えないほど涼しく、仕事のアプリを開いてみると、珍しく何も入っていませんでした。

午前中には、友人でもある生徒さんとの英会話レッスンが予定されていたため、その準備をしていました。すると、日本にいる彼から、住んでいる地域で雷を伴う激しい雨が降り、停電しているという連絡が入りました。

しばらくして電気は復旧したものの、雨と雷は収まらず、いつまた停電するか分からないとのことでした。そのため、この日のレッスンは中止にすることになりました。

ちょうどその頃、修理工場から、注文していたタイヤが届いたという連絡がありました。先日の車検では、タイヤの交換と、曇ったヘッドライトの修理が必要だと言われ、不合格になっています。そのため、前もって新しいタイヤを注文してもらっていたのです。

午前11時頃に車を持ってきてほしいと言われ、村の外れにある修理工場へ向かいました。

作業が終わるまで工場で待つこともできましたが、ほかにも用事があったため、歩いて家へ戻ることにしました。修理工場から村までは上り坂です。朝は涼しかったものの、11時を過ぎると日差しが強くなり、できるだけ日陰を選びながら歩きました。

村の中心部に入ると、メインストリートの上に日除けを取り付ける作業が進んでいました。夏祭りは8月の第3週ですが、それまでにも週末ごとにさまざまな催しがあります。暑い季節に備えて、通りを覆う日除けの準備が早くも始まっていたのです。

銀行の用事を済ませて家に戻り、午後の外出の準備をしながら、細かな作業を片付けました。もし仕事が入っていたら、かなり慌ただしい一日になっていたでしょう。何も入っていなかったのは、むしろ幸運でした。

そうしているうちに、修理工場からタイヤ交換が終わったという連絡が入りました。翌日に取りに行くことも考えましたが、やはりその日のうちに受け取ることにしました。

今度は坂を下り、再び修理工場へ向かいます。かなり暑くなっていましたが、下り坂だったので、行きよりは楽でした。代金を支払い、車を受け取って家へ戻りました。

タイヤ交換が終わると、次に気になったのは車検の再検査です。木曜日には村の外へ出かける予定があります。近場とはいえ、不合格のまま走るのは落ち着きません。万が一、警察に止められれば、罰金を科される可能性もあります。

車検の結果を記した書類にはQRコードが付いていました。読み取ると自分の車の情報が表示され、修理を行った工場の名前と事業者番号を登録できるようになっています。

手続きを進めると、翌日の夜8時前に空きがあったため、急遽予約を入れました。これで一つ、気がかりが減りました。

午後2時半には、マリが迎えに来てくれました。知人が海側の町に所有している家があり、普段は定期的に異常がないか確認しています。その持ち主が御家族とともに滞在しているというので、会いに行くことになったのです。

目的地までは、車でおよそ2時間かかりました。以前はもう少し早く着いたのですが、途中の道路に速度監視カメラが設置され、制限速度が時速60キロになった区間があります。かつては車がかなり速く走っていた場所ですが、今ではゆっくり進まなければなりません。

そこを抜けて高速道路に入り、二つほど先の出口で降りて、ゴルフ場の多い地域へ向かいました。

電話では何度も話していましたが、直接会うのは初めてです。家には御本人と息子さん、お孫さんがいらっしゃいました。よく知っている間柄ではないうえ、「来ていただけますか」と頼まれて訪ねたものの、何を目的に呼ばれたのかが、私にはよく分かっていませんでした。

楽しく話をしながらも、何を求められているのか、私がどこまで手を出してよいのかを考えていました。

海外に長く住んでいると、希望や必要なことをはっきり言葉にする習慣が身に付きます。相手の気持ちを察することが重んじられる日本とは、少し違います。

私も香港に住んでいた頃、日本へ帰ると「言い方がきつい」と言われることがよくありました。はっきり伝えなければ物事が進まない環境に慣れていたからでしょう。

今回も、ゴルフクラブの会員資格がどうなっているのか調べてほしい、というような話が出ました。ただ、書類も連絡先も手元になく、本人でなければ確認できない内容もあります。電話で問い合わせても、私に個人情報を教えてくれるとは思えません。

そこで、話を続けるよりも直接行った方が早いと思い、皆で近くのゴルフクラブへ向かいました。私も初めて訪れた場所です。建物の中にはゴルフ用品の売り場と受付があり、その前にはすてきなレストランもありました。

受付で事情を尋ねてみましたが、会員に関する手続きはそこではできず、平日の午前8時から午後2時まで開いている事務所へ行かなければならないとのことでした。その時間はすでに閉まっていたため、この日は確認できませんでした。

銀行の手続きもうまくいっていないという話が出たので、必要であれば翌日一緒に行けると伝えました。ただ、そこまでの手助けを望んでいるのか、御家族で対応するつもりなのかは、その時はよく分かりませんでした。

海側の町では英語が通じる場所も多いため、私でも英語なら交渉できます。しかし、息子さんからは、自分たちで何とかしてみるという返事がありました。こちらからあまり前に出るのも違うように思え、そのままにしました。

そもそも、初めてスペインを訪れた方ではありません。海側の町に家を持ち、長年この地域で過ごしてきた方です。土地のことを何も知らないわけではないため、私があれこれ提案しすぎるのも失礼になるかもしれません。

ただ、息子さんや、特にお孫さんには、せっかくのスペイン滞在を楽しんでもらいたいと思っています。私の住む村まで来ていただけるなら、まずはバルで何かを食べ、その後、コルク樫の森を案内できればと思います。

日本では、コルク樫を実際に見る機会はほとんどありません。樹皮を剝がした木を見て、幹に触れてもらえば、この地域らしい体験になるはずです。観光地を巡るだけでは分からない、アンダルシアの自然に触れてもらえるのではないでしょうか。

帰り際には、日本から持ってきてくださったお土産をたくさんいただきました。小袋に分かれたお煎餅、ずっしりと重い羊羹、そして何種類もの即席味噌汁です。これだけの物を運んでくるのは大変だっただろうと思います。

羊羹を食べるのは久しぶりです。日本茶が少し冷凍庫に残っていたはずなので、一緒にいただくのを楽しみにしています。

帰り道では、ガウシン村のバルに立ち寄りました。お腹が空いていましたが、厨房が休憩に入っている時間帯で、温かい料理はありませんでした。そこで、エンサラディージャ・ルサというスペイン風のポテトサラダを食べることにしました。私はビールを、マリはコーラを注文しました。

いただいたお煎餅を一袋マリにも勧めると、「おいしい」と喜んで食べていました。日本のお煎餅は、こちらの友人たちにも意外なほど好評です。

村へ戻ると、ガソリンスタンドの隣にあるバルで、友人のトムを見かけました。少し一緒に飲みながら話をしていると、山の上から黄金色の月が昇ってきました。丸い光がゆっくりと姿を現す様子は、線香花火の火の玉を逆さにしたようで、とてもきれいでした。

トムは歯の調子が悪く、硬いお煎餅は遠慮していました。その代わり、即席味噌汁を一つ渡しました。英国人の彼は味噌スープをよく知っているので、喜んでいました。

その後、もう一杯飲もうということになり、プールのバルへ向かいました。途中でホアニートとビクトリアに会い、一緒に飲むことになりました。二人にもお煎餅と味噌汁を分けると、特に味噌汁を楽しみにしている様子でした。スペイン人の二人は、おそらくまだ飲んだことがないのでしょう。

この辺りでは、日本の食品は簡単には手に入りません。日本から何か送ってもらったり、お土産をいただいたりしたとき、分けられる物があれば、私は少しずつ友人たちに渡すようにしています。日本にはこんな食べ物があるのだと、知ってもらえたらうれしいからです。

結局、予定していたよりも何杯か多く飲んでしまいました。少しふらつきながら、重い羊羹の入った袋を大事に抱えて家まで歩きました。

車の修理に始まり、長いドライブと初対面の方との会話、そして夜のバルまで、盛りだくさんの一日でした。家に着いた頃には、体も気持ちもすっかり疲れていました。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

2026/08/03

7月27日(月) 進まない電気の手続きと、夕方の涼しい風

今日は一日、仕事に追われていました。夕方になってようやく仕事を切り上げましたが、その後は、なかなか進まない電気の手続きに再び向き合うことになりました。

7月上旬に、知り合いのホリデーハウスの契約電力を増やす申請をしています。しかし、三週間近くたっても、いまだに変更されていません。しかも知り合いは到着してすでに5日ほど経ってます。

問い合わせの電話は内容が複雑で、私のスペイン語では細かな説明を正確に理解するのが難しいため、今回もマリに手伝ってもらいました。

状況を確認してもらいましたが、やはり手続きは完了していませんでした。そこで正式に苦情を申し立ててもらい、受付番号も受け取りました。

こちらとしては、もう返事を待つしかありません。何度電話をしても話が進まず、夏のスペインでの手続きの難しさを改めて感じます。

そんな少し気の重い用事を終えた頃には、昼間の暑さも和らぎ、外はとても過ごしやすくなっていました。

この辺りの夏は、日中こそ強い日差しが照りつけますが、朝晩には涼しい風が吹きます。特に夕方から夜にかけての空気は心地良く、田舎の村ならではの静かな時間が流れます。

地元の人たちは湿気が多いと言いますが、日本や、以前暮らしていた香港の蒸し暑さを知っている私には、それほどでもありません。日陰に入りさえすれば空気は比較的乾いていて、暑さの中にも逃げ場があります。

昼間の厳しい暑さと、夕方の涼しい風。その差を感じながら過ごすのも、スペインの田舎の夏らしさなのかもしれません。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


2026/08/02

7月26日(日) 仕事に追われた日曜日、夜は氷入りの白ワイン

今日は一日中、仕事をしていました。日本時間の火曜日までに仕上げなければならない翻訳があり、こちらでは月曜日中が締め切りです。

前日は、次の翻訳者に引き継ぐには少し区切りの悪いところで作業を終えていました。そのまま渡すのも気になったので、今日は切りのよいところまで進めることにしました。随分頑張ったつもりですが、締め切りまではまだ作業が残っています。明日も引き続き、仕事に集中する一日になりそうです。

外は相変わらず暑いものの、少し前までの厳しい暑さに比べると、幾分和らいだように感じます。今年一番の暑い時期は、ようやく通り過ぎたのかもしれません。

夜は寝る前に少しだけゲームをしました。何か一杯飲みたい気分になったものの、家にはこれといったものがありません。そこで、残っていた白ワインに氷を入れ、少しだけ飲みました。

仕事ばかりの日曜日でしたが、一日の終わりに冷たいワインを口にすると、ようやく肩の力が抜けました。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

2026/08/01

7月25日(土) 涼しい風に誘われて、友人たちと過ごす土曜日

朝9時を少し過ぎた頃、散歩に出ました。昼間は暑くなりますが、朝は涼しい風が吹いています。前日の夜はかなり風が強く、嵐というほどではないものの、窓の外で風の音が続いていました。それも朝には収まり、歩くには気持ちのよい天気になっていました。

日差しはすでに強いのですが、今のところは冷たい風の方が勝っています。時間がたつにつれて太陽の力が上回り、やがて肌がじりじりと焼けるような暑さになります。それでも朝と夜には涼しい風が戻ってくる。この寒暖差が、この土地の夏のよいところです。

夏は暑過ぎるから嫌だという人も多いのですが、私はここの夏が好きです。

日本や香港の夏は湿気が多く、外に出ると体にまとわりつくような暑さを感じます。香港では冷房の効いた建物の中で過ごす時間が長く、外に出るのは短い時間だけでした。日本では外を歩く機会も多いうえ、建物の中もそれほど冷えていないことがあります。夜になっても蒸し暑さが残り、なかなか体が休まりません。

こちらでも地元の人が「今日は蒸し暑い」と言うことがあります。しかし、日本の夏を知っている私には、思わず「これを蒸し暑いと言うのだろうか」と感じてしまいます。

散歩道の途中には、今年植えられた樫の木が4本あります。

まだ幹も細く、この暑い夏を無事に乗り越えられるのか、少し心配です。根がしっかり張るまでには時間がかかるでしょう。

その近くには、緑の葉を大きく茂らせた木が2本立っています。10年以上前、まだ愛犬がいた頃に植えられた木です。当時は3本ありましたが、1本は根付かず、残った2本がここまで大きく育ちました。

今年植えられた4本も、せめて1本でもこの夏を乗り越え、いつか葉を茂らせてほしいものです。

散歩を終えた後は、銀行へお金を下ろしに行きました。別の銀行のATMへ向かおうとしたところで、友人のアンディと息子さんに会いました。

アンディは内装工事の仕事をしています。夏は暑さが厳しいため、朝7時頃から仕事を始めるそうです。スペインでは10時前後に朝食休憩を取ることがありますが、その時間までにできるだけ仕事を進めておかないと、暑さで体がもたないのでしょう。

この日は気温が低く、外にいても快適でした。二人と一緒にバルへ入り、昔の話や、アンディが日本を訪れた時の話をしました。私はコーヒーを飲み、二人は朝食を食べていました。

別れた後、ATMで支払いを済ませて家に戻り、少し仕事を始めました。すると、友人のベロニカから「今からプールへ来ない?」と連絡が入りました。

「まだ仕事をしているから、後で行くね」と返すと、「後って、いつ?」と聞かれました。昼食の後に行くつもりだと伝えましたが、その後も「いつ来るの?」という連絡が何度も届きます。

スペインの人たちの押しの強さには、時々驚かされます。ただ、それくらい強く誘ってもらわなければ、私は仕事を切り上げて出掛けようとは思わなかったでしょう。

結局、プールのバルへ着いたのは午後5時過ぎでした。

友人のトニーも来ていて、プールで泳いだ後、ベロニカと一緒にバルで過ごしていました。

この日は本当に気温が下がっており、風も絶えず吹いていました。午後5時を過ぎているのに、日陰では肌寒く感じるほどです。真夏のスペインで寒いと感じることが、何だか不思議でした。

三人でいろいろな話をし、楽しい時間を過ごしました。その後はベロニカと別のバルへ移動し、またフライドチキンを食べてしまいました。

仕事をしている時には、何度も誘われることを少し面倒に感じていたのも事実です。それでも、こうして「おいで」と声を掛け、家から連れ出してくれる人がいることは、本当にありがたいことだと思いました。

一人で暮らしていると、仕事を理由に、そのまま一日を終えてしまうこともあります。この日は友人たちのおかげで、涼しい風の中で話をし、笑い、土曜日らしい夕方を過ごすことができました。

夜空には、半月を少し過ぎた月が浮かんでいました。満月へ向かう途中の月は明るく、静かな村の夜をきれいに照らしていました。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


2026/07/31

7月24日(金) 誕生日の夜に思い出した、冷戦時代のブダペスト

ロンダから戻った後、遅めの昼食を取り、少し休んでから仕事を始めました。もう少し続けようと思っていたところに、友人の息子ちゃんから連絡が入りました。私は彼のことを、スペイン語で「mi sobrino(私の甥)」と呼んでいます。


「飲みに行こう」と誘われたので、仕事を切り上げて家を出ました。時刻は夜9時を過ぎていましたが、夏のスペインはまだ明るい時間です。


一緒にタパスを食べながら話していると、その日が彼の誕生日だと分かりました。「mi sobrino」と呼んでいながら、誕生日をすっかり忘れていたのです。それでも、そんな大切な日に声を掛けてくれたことが、何より嬉しく感じられました。


彼の年齢を聞き、私自身が同じ年齢だった頃のことを思い出しました。当時は香港に住んでいて、失恋のため毎日のように泣いていました。その頃は心が痛み、生きていることさえ辛く感じていましたが、今となっては遠い思い出です。彼の年齢をきっかけに、長い間忘れていた記憶が、突然よみがえってきました。


彼は少し前、妹ちゃんが暮らしているブダペストを訪れ、週末を含めて4日ほど過ごしたそうです。その話を聞いているうちに、今度は私が初めてブダペストを訪れた時のことを思い出しました。


それは1988年9月中旬、まだ東西冷戦が続いていた時代です。ウィーンでビザを取り、列車でハンガリーへ向かいました。

1988年ドナウ川

駅で、日本から来た大学生と、ニューヨークから来た日本人男性に出会いました。3人で同じコンパートメントに座り、ブダペストまで一緒に旅をすることになりました。

国境付近に着くと、係官が車内に入ってきました。乗客を立たせ、座席の上や下を懐中電灯のようなもので照らしながら、誰かが隠れていないかを調べていました。車内には物々しい空気が漂っていました。

入国時の詳しい手続きまでは覚えていませんが、国境で感じた緊張感は、今でも記憶に残っています。

ブダペストでは宿を予約していませんでしたが、ニューヨークから来た日本人男性が泊まる予定だというホテルに、3人で向かいました。とても立派なホテルで、それぞれ部屋を確保することができました。

ホテル代が幾らだったのか、どのように支払ったのかは、今では覚えていません。それでも、思いがけず立派なホテルに泊まることができ、嬉しかったことは覚えています。

スパや大きな温水プールなども備わっていたようです。しかし、当時の私はそのようなホテルに慣れておらず、残念ながら十分に楽しむことができませんでした。

夜は3人で外へ出て、見つけた食堂に入りました。トレーを持ち、並んでいる料理から好きなものを選ぶ、カフェテリアのような店です。私たちはいろいろな料理を取りましたが、残念ながら、あまり口には合いませんでした。

周囲を見ると、現地の人たちはパンとスープ程度の食事をしていました。その中で私たちだけが何皿も並べていたため、残すのが申し訳なく感じられました。私は、取った分を何とか食べ切りました。その時の光景も、なぜか強く印象に残っています。

翌日は一人で街を歩きました。細い道に入ると、建物の壁に銃弾と思われる跡が幾つも残っていました。戦争の傷跡です。

その後に訪れた市場では、安くておいしいソーセージを食べました。街を見渡せる丘のような場所を歩いた記憶もあります。

タクシーに乗った時、運転手さんが「この国の体制は、あと2年ほどで変わる」と話していました。その時は半信半疑でしたが、実際には、その約1年後に東ヨーロッパを取り巻く状況が大きく変わりました。

ベルリンの壁が崩壊したというニュースを見た時、ブダペストの運転手さんの言葉を思い出しました。

今の美しく明るいブダペストを訪れれば、当時の記憶はきっと上書きされてしまうでしょう。それも悪いことではありませんが、暗さや緊張感を含めたあの時代の印象を、私はもう少しそのまま残しておきたいと思っています。

そんな昔話をしながら、夜は過ぎていきました。

翌24日の朝は、9時前に久しぶりの散歩へ出ました。

昼間の暑さが嘘のように、朝の空気はひんやりしています。標高の高いこの村は、日中は気温が上がっても、朝晩には涼しさが戻ります。日本でいえば、長野県などの山間部に近い気候かもしれません。

昨夜は思いがけず遠い昔まで記憶をたどりましたが、朝になると、目の前にはいつもの村の景色が広がっています。涼しい空気の中を歩いていると、頭も気持ちもすっきりしました。

乾季なのに健気に咲く花

散歩の後は、スーパーへ向かう前に郵便局へ寄りました。いつも窓口にいる女性の姿はなく、代わりに見慣れない男性が座っていました。どうやら、彼女は夏の休暇に入ったようです。

スペインでは、1か月ほどの休暇を取ることも珍しくありません。働く人に認められた権利なので、夏になると多くの人が当然のように休暇を取ります。小さな村の郵便局も例外ではありません。

その後、銀行へ行き、ATMで現金を下ろそうとしました。ところが、機械が動いていません。まだ朝の9時です。朝一番から現金を引き出せないとは思いませんでした。

郵便局ではいつもの担当者が休暇に入り、銀行ではATMが止まっています。夏のスペインでは、何もかもが普段よりゆっくりと動いているように感じます。

涼しく気持ちのよい朝でしたが、最後にはやはり、スペインの夏らしい出来事が待っていました。

祭の準備

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


2026/07/30

7月23日(木) 崖崩れの迂回路を通り、ロンダで電力手続きと車検

朝は曇り空で、外に出ると意外なほど涼しく感じました。この日は友人のマリと一緒に、ロンダへ向かいました。

現在、村からロンダへ向かう道の一部が通行止めになっています。以前の嵐で崖崩れが起き、今も各地で修復工事が続いているためです。そのため、まず隣の隣りの村のベナオハンへ行き、そこから普段とは反対方向のモンテハケ村を通って、大きな道路へ出る迂回ルートを使いました。

山間部には道幅の狭い場所もあり、さらに幹線道路へ出てからも、何か所かで工事のために車を止められました。

特に驚いたのは、巨大な重機が崖を削っているすぐ下を、車で通り抜けたことです。日本では、作業中に一般車を通すことはまずないだろうと思いながら、慎重に進みました。

別の場所では、崖に落石防止用の鉄網を設置していました。作業員が崖の途中に宙づりになり、機械で岩に穴を開けています。作業のたびに砂煙が噴き出し、近くで見るとなかなか迫力のある光景でした。

工事による停止も重なり、ロンダまでは結局1時間10分ほどかかりました。

今回ロンダへ行った目的は、電力会社の事務所を訪ねることでした。以前から契約電力を上げる手続きをしているのですが、なかなか変更されず、電話をしても話が進みません。ロンダのガソリンスタンド内に電力会社の窓口があるため、直接相談してみることにしたのです。

マリはその後、ヘレス方面へ仕事に向かう予定でしたが、時間を作って一緒に来てくれました。私のスペイン語だけでは難しいと思ったからです。

マリにも、すべてを正確に説明できるわけではありませんが、不思議なことに私の言いたいことをよく理解してくれるのです。言葉だけではないところで、通じ合っているのだと思います。

事務所に着いたのは午前10時10分頃でした。いつもは待っている人が多いのですが、この日は誰もいません。すぐに対応してもらえると思ったものの、肝心の担当者も不在でした。

こちらでは午前10時から10時半頃まで、朝食休憩を取る人が多いです。窓口の担当者は一人だけでしたが、その人もきちんと休憩に出ていました。

番号札を取り、しばらく待つと、10時半になってようやく戻ってきました。それからゆっくりコンピューターを立ち上げ始めます。

私はこの後に車検の予約があり、マリも仕事へ行かなければなりません。内心では早くしてほしいと思いましたが、こちらの時間はいつも通り、ゆっくり流れていました。

それでも私たちは一番目に呼ばれ、これまでの書類を見せながら事情を説明しました。しかし、残念ながら、この事務所では対応できないとのことでした。

代わりに、これまで電話していたカスタマーサービスではなく、技術部門の電話番号を教えてもらいました。

その後外に出てマリが電話をかけてくれました。この時も案内の音声が流れ、なかなかつながりませんでしたが、ようやくスペイン国内の担当者につながりました。

ただ、そこでできることも、申請に「緊急」と記録を加えることだけでした。できる限りのことはしたので、今はもう待つしかありません。

マリにお礼を言い別れ、私は車検場へ急ぎました。毎回時間には余裕を持って行くようにしていましたが、この日は本当にぎりぎりでした。

今の車検場では、事務所に入ると機械が設置されていて、車のナンバープレートを入力すると、登録済みのクレジットカードで支払いができます。手続きが終わったら外で待ち、電光掲示板に自分の番号と検査レーンが表示されたら、そこへ車を進めます。

昔は、この案内が構内放送だけでした。ナンバーとレーン番号をスペイン語で読み上げられるのですが、音が割れていて、ほとんど聞き取れません。

呼ばれたことに気づかないでいると、近くで待っている人が「今、呼ばれたよ」と教えてくれたりしました。知らない者同士でも、自然に声を掛けてくれる人が多く、何度も助けられたものです。

今は番号が画面に表示されるので、ずいぶん便利になりました。

この中に進みます

この日の検査担当者は、とても陽気な人でした。作業をしながら村の話をしたり、知り合いのバイク店の名前を出したりと、終始にぎやかです。

途中で突然、スペインの首相であるサンチェス氏が好きかと聞かれました。移民に手厚い政策を取っているため、外国人である私も恩恵を受けていると思われたようです。

私は「何も恩恵を受けていませんけど」と答えました。できることなら、こちらこそ何か援助してもらいたいくらいです。

そんな会話をしながら検査は進みましたが、結果は不合格でした。

問題は二つありました。一つはタイヤの交換、もう一つは前照灯の曇りです。ライトが少し暗くなっていることは以前から分かっていましたが、今回はそこも指摘されました。

検査結果の用紙を受け取った時には、細かい内容がすぐには理解できませんでした。そこで、いつものガソリンスタンドにあるバルに寄り、アルコールの入っていないビールを飲みながら、用紙の写真をチャッピーに送りました。

問題の箇所を説明してもらうと、ようやく内容が分かりました。こういう時は、本当に便利です。

そのまま、いつも利用している修理店へ向かいました。

タイヤは、以前はブリヂストンを使っていました。しかし今回は入手できないとのことで、いくつか別のメーカーを提案されました。

安いタイヤも勧められましたが、メーカー名を聞くと、ある大陸の名前でした。さすがにそれは不安だったので断り、最終的には韓国製のタイヤを取り寄せてもらうことにしました。

タイヤが届いたら連絡をくれるそうです。

店の人からは、修理が終わるまでロンダなどへ出掛けようと考えないように、と念を押されました。車検に通らなかった車は、修理店や再検査場へ行く目的以外では、基本的に運転できません。

昔はその決まりを知らず、修理までの間も普通に乗れると思っていました。一度説明を受けてからは、気をつけるようにしています。

とはいえ、車はまったく動かさないと、今度はエンジンがかかりにくくなることがあります。必要な範囲で注意しながら動かすしかなさそうです。

朝は涼しかったものの、午後になると暑くなりました。空は一日中、青ではなく灰色がかっていました。

強い日差しが見えないのに、空気そのものが熱を含んでいるようです。これこそ熱波の空なのだろうと思いながら、長い一日を終えました。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

2026/07/29

7月22日(水) 車検前の洗車と、つながらない電気会社

翌日はロンダで車検を受ける予定です。そのため、車を洗い、オイルやラジエーターの冷却水も確認しておかなければなりません。

ところが、朝から急ぎの仕事が入り、なかなか手を止められませんでした。暑くなってから洗車に行くのは避けたかったので、何とか昼前に家を出ました。

車を洗っていると、どうしても水が少しかかります。夏はそれが意外と気持ちよく、私は結構気に入っています。洗車を終えた後は、オイルと冷却水を確認して帰宅し、再び仕事に戻りました。

この日は朝から厳しい暑さでした。前日に到着した方々とは、インターネットの回線状態が悪く、十分に話ができていませんでした。そのため、改めて電気の契約容量が低いことを伝えました。

ドライヤーなど、消費電力の大きい電化製品をほかの機器と同時に使うと、ブレーカーが落ちる可能性があります。実際にどの程度まで使えるのかは分かりませんが、現在はかなり低い契約容量になっています。

せっかく滞在しているのに、この暑さの中で電化製品を自由に使えないのでは困ります。

やはり心配になり、午後はマリに会うためプールへ向かいました。マリは泳いでいましたが、事情を話すと、再び電気会社へ電話をかけてくれました。

この電話が、なかなか大変です。最初から担当者につながるわけではなく、音声案内に向かって、用件や身分証明書の番号、住所などを口頭で答えなければなりません。番号を押して進む方式ならまだ分かりやすいのですが、機械とのやり取りが何度も続きます。

ようやく担当者につながりそうになったところで、一度電話が切れてしまいました。そのため、また最初からすべてやり直すことになりました。

以前、銀行へ電話した時は、番号を選びながら進める方式だったので、チャッピーの助けを借りて何とか自分でも対応できました。

しかし、電気会社の音声案内は私のスペイン語では難しく、マリに頼るしかありません。

長い時間をかけて、ようやく担当者につながりました。話し方からすると、南米にあるコールセンターのようでした。英語圏の企業がインドなどにコールセンターを置くのと同じように、スペイン語圏では南米に置かれているのでしょう。

ただ、遠く離れた場所にいる担当者に、スペインの猛暑の中、家で電化製品を十分に使えずに困っていると説明しても、こちらの切迫感まではなかなか伝わりません。

結局、契約容量の変更には、申し込みから最大14営業日かかると言われました。土日は含まれないため、まだ時間が必要だということです。

前回の電話では14日以内、21日か22日には作業が完了すると言われていました。それなのに、今回は説明が変わっています。対応する人によって言うことが違うため、いつまで待てばよいのか分かりません。

スペインでは、夏に長い休暇を取る人が多くなります。そのため、この時期は人手が少なくなり、さまざまな手続きが普段より進みにくいことがあります。今回も、夏休みの影響で作業が遅れているのかもしれません。

しかし、この暑さの中で電化製品を思うように使えないのは困ります。南米のコールセンターに何度電話をしても、これ以上は埒が明きそうにありません。

そこで、電話だけでは話が進まないと考え、翌日、電気会社の事務所へ直接行くことになりました。

私はもともと車検のためロンダへ行く予定です。マリもその後に仕事があるというので、それぞれの車でロンダへ向かい、先に電気会社の事務所へ寄ることにしました。

事務所での用事を終えた後、マリは仕事へ、私は車検場へ向かいます。

車検の準備をするだけのはずだった一日が、電気会社との長い電話によって、翌日の予定まで変わる一日になりました。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

2026/07/28

7月21日(火) 古い手紙と向き合う、暑い夏の午後

午前中に少し仕事をした後、カルメンの家へ向かいました。今回も、1940年代に離れ離れになった家族が交わした手紙をデジタル化するためです。

コンピューターをはじめ、作業に必要な物をいくつも持って家を出るだけで、ひと仕事を終えたような気分になります。外はすでに暑く、荷物を車に積み込む頃には汗をかいていました。車内にも熱がこもり、すぐに座るのをためらうほどでした。

カルメンの家は、村から少し離れた田舎にあります。到着して中に入ると、外の暑さが嘘のように涼しく感じられました。日差しが当たる側のシャッターをすべて下ろし、扇風機を回していたからです。

スペイン南部の夏は、窓を開ければ涼しくなるとは限りません。強い日差しを家の中に入れないことが大切です。昼間にシャッターを閉め、室内を薄暗く保つ昔ながらの方法は、簡単ですが効果があります。

午後1時過ぎに到着し、1時半頃から作業を始めました。この日は三、四通ほどの手紙をデジタル化しました。

古い筆跡を読み、文章を一つずつ確認していくため、思った以上に時間がかかります。手紙に書かれた言葉を追っていると、遠く離れた家族を思う気持ちが、何十年もの時を越えて伝わってきます。

作業の途中で、カルメンの夫のマルコスが軽食を用意してくれました。私は家を出る前に軽く昼食を済ませていたので、気にしないでほしいと伝えました。

それでも、「ヨーロッパの法律では、そんなに長く働かせてはいけない」と冗談を言いながら勧めてくれたので、少し休んで食事を取り、その後また手紙の作業に戻りました。

帰宅後にも片付けなければならない仕事が残っていたため、この日は寄り道をせず、そのまま家へ戻りました。暑い中を荷物を持って移動するのは疲れますが、涼しい部屋で古い手紙と向き合う、落ち着いた午後になりました。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

2026/07/27

7月20日(月) 電気を待ちながら、プールのバルで過ごす夕方

今日も暑い一日でした。

日中は仕事をし、夕方になってから村のプールへ向かいました。友人のマリがプールのバルにいるというので、会いに行ったのです。

知人が所有するホリデーハウスでは、長い間誰も滞在していなかったため、電気の契約容量を下げていました。使っていない家に高い基本料金を払い続けるのはもったいないので、最低限の容量にしていたのです。

ところが、私がフランスを旅行している間に、急にスペインへ来ることになったと連絡がありました。そのため、旅行から戻ってすぐに、電気の容量を上げる手続きをしました。電力会社からは、20日か21日には変更されると聞いていましたが、この日になってもまだ反映されていませんでした。

到着は明日です。このままでは、空調や電気コンロを使うと、すぐにブレーカーが落ちてしまうかもしれません。どうしたものかと思い、マリにもう一度、電力会社へ電話をかけてもらいました。

ただ、電話がつながったのは南米にあるコールセンターだったようで、スペインでの作業状況まではよく分からない様子でした。それでも、「緊急案件として記録するので、明日には変更されるはずです」と言われ、結局はそれを信じて待つしかありません。

電話を終えた後は、プールのバルで少しビールを飲みました。暑い日だったので、プールでは多くの人が気持ちよさそうに泳いでいます。私は今年、まだ一度も水に入っていません。

水着を持っていないわけではありませんが、そろそろ新しいものを買おうかと考えています。この年までビキニを着てきましたが、最近はもう少し体を覆う形のほうが落ち着くような気がして、Amazonで探してみようかと思っています。

スペインの女性たちは、年齢や体形をあまり気にせず、好きな水着を堂々と着ています。若い女性だけではありません。小さな子供を連れた母親も、年配の女性も、鮮やかで大胆な水着を身に着けています。

周囲の目を気にする様子もなく、皆が夏を楽しんでいる姿を見ると、こちらのほうが気にし過ぎなのかもしれないと思います。それでも私は、この日は水に入らず、バルから眺めているだけでした。

しばらくすると、プールでアクアジムが始まりました。音楽に合わせて水の中で体を動かす運動で、比較的年齢の高い人でも参加しやすそうです。

イギリス人の友人も、今年から参加していました。彼女はヨガのインストラクターをしているので、普段から十分に体を動かしていると思うのですが、「思っていた以上に良い運動になる」と話していました。外から見ているだけでも、腕や脚をしっかり動かしていて、確かに体力を使いそうです。

電気のことは気掛かりなままでしたが、プールの水面や、楽しそうに体を動かす人たちを眺めているうちに、少し気持ちが和らぎました。

日が傾いても暑さは残っていました。明日こそ電気の容量が上がっていますようにと願いながら、家に帰りました。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

2026/07/26

7月19日(日) 16年ぶりのスペイン優勝、村中に響くクラクション

朝からとても暑い一日でした。

この日の夜は、スペイン代表が出場する決勝戦です。村役場がパブリックビューイングを用意していたため、私も見に行くことにしました。

会場は役場前の広場ではなく、スーパーの前にある屋根付きのスペースです。普段から祭りや催し物に使われている場所で、この日はスクリーンが設置されていました。それほど大きな画面ではなく、映像も少しぼやけていましたが、若い人たちを中心に大勢が集まっていました。

用意された椅子だけでは足りず、自宅から折り畳み椅子やテーブルを持ってきている人もいます。スペインでは海や川へ出掛けるときにも、椅子やテーブルを車に積んでいく人が少なくありません。屋根の下に椅子を並べた光景は、どこか海辺のようでした。

仮設のバルは出ていなかったため、飲み物や食べ物は各自で持ち込みです。私は近くのバルでビールをプラスチックの容器に入れてもらい、それを持って会場へ向かいました。

初めは、座っている人たちのすぐ後ろに立って見ていました。画面を正面から見られる、なかなか良い場所です。

ところが、しばらくすると十代の女の子たちが隣に集まり始めました。友達が次々に加わり、私は少しずつ端へ押しやられていきます。最後には持ってきた椅子を私の足に当てながら場所を広げようとする子までいました。

椅子が当たって少し痛かったのですが、謝る様子もありません。国に関係なく、周囲への気遣いがない振る舞いを見ると気分の良いものではありません。

この左の椅子が私の足に直撃

その少し後ろには、知り合いの女の子がいました。今度中学校へ進むくらいの年齢です。その子は一部始終を見ながら、困ったような表情を浮かべていました。

同じ年頃でも、周りのことをきちんと見ている子もいます。もちろん、どこの国でも同じなのでしょう。

結局、その場所を離れ、近所のバルで続きを見ることにしました。

そこは普段から村のおじさんたちが集まる店です。この日は家族連れや小さな子供たちも来ていました。顔見知りのおじさんが椅子を出し、「ここに座ればいい」と場所を作ってくれました。先ほどの会場とは違い、落ち着いて試合を見ることができました。

ハーフタイムには、BTSのメンバーが出演するという話を聞いていました。スペインでも若い女性を中心に人気があり、友人の娘ちゃんもマドリードのコンサートへ行ったことがあります。

しかし、バルのおじさんたちは、ほとんど興味がないようでした。外へたばこを吸いに行く人もいれば、隣の人との話に夢中になっている人もいます。店内が暑かったこともあり、外へ涼みに出る人もいました。画面を見ている人も、何となく眺めている程度です。

スペインでは、テレビがついていても皆がよく話します。パブリックビューイングの会場でも同じで、試合前に出演者が登場しても、周囲の話し声でほとんど聞こえませんでした。

ハーフタイムの演出にも、大きな盛り上がりはなかったように思います。テレビにも観客席があまり映らず、出演者ばかりが映し出されていました。もしかすると、現地のスタジアムでも同じような雰囲気だったのかもしれません。

私は密かに、トム・クルーズが空から降りてくるような派手な演出を期待していました。しかし、もちろんそのような場面はありませんでした。アメリカでも、サッカー人気はまだほかの競技ほどではないのかもしれません。

試合は延長戦に入りました。誰もが、このままPK戦になるのではないかと思い始めた頃です。

ところが、延長後半が始まって間もなく、スペインが得点しました。残念なことに、その瞬間を私は見逃してしまいました。少し気が緩み、携帯電話でメッセージを確認していたのです。外へ出ていた人たちも慌てて戻ってきて、店内は急に騒がしくなりました。

そして、そのまま試合終了。スペインが16年ぶりの優勝を果たしました。

優勝が決まった瞬間、16年前のことを思い出しました。あのときは、どこで試合を見ていたのか、今でも覚えています。

当時、この村にはアルゼンチン出身の人たちが大勢暮らしていました。若い夫婦や小さな子供を連れた家族も多く、村全体に今よりも活気があったように思います。

今回のパブリックビューイングにも、アルゼンチンのユニフォームを着た人が何人か来ていました。しかし、16年前と比べると、その人数はずいぶん少なくなりました。試合を見ながら、村の変化や過ぎた年月のことまで考えていました。

試合が終わると、人々は車に乗り込み、スペイン国旗を振りながらクラクションを鳴らし始めました。しばらくの間、村中にクラクションの音が響き続けました。

静かな夜の村が、久しぶりに大きな喜びに包まれていました。

スペイン代表は、本当に素晴らしいチームでした。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

7月18日(土) 夜は生ハム切り職人の大会へ

朝5時ごろに高齢の父から電話があり、それからは半分眠りながら、半分起きているような状態になりました。この日は珍しく、日本からももう一本電話がかかってきました。

窓を開けると、空は曇っていて、思ったよりも涼しい朝でした。

前日の夜は車でバルへ行き、そのまま車を置いて歩いて帰ってきたため、朝のうちに取りに行かなければなりません。

いつもの夏なら、朝から暑くて歩く気になれません。しかし、この日はまだ耐えられる気温でした。昼には暑くなるという予報でしたが、せっかくなので、久しぶりに散歩を兼ねて車を取りに行くことにしたのです。

歩こうと思ったのには、もう一つ理由があります。

前日に友人と撮った写真を見て、自分の体にすっかり締まりがなくなっていることに気づいたのです。鏡を見ているだけでは、頭の中に昔の自分が残っていてフィルターがかかっています。しかし、写真に写ると、容赦なく今の姿を見せられます。

古い車は、時々動かさなければ調子が悪くなります。それは人の体も同じなのかもしれません。車ばかりではなく、自分自身ももう少し動かさなければならないと、改めて思いました。

村にはプールがありますが、知り合いが多い、いえ、ほとんど知り合いのため、水着になることを考えると少しためらってしまいます。

スペインに来たばかりのころ、海へ行ったことを思い出しました。連れて行かれたのは、上半身を裸にしている人や、何も身に着けていない人もいるビーチでした。

周りからは「あなたも脱げばいい」と勧められましたが、もちろん断りました。

周囲には珍しいアジア人は私だけだったため、ただでさえ目立ちます。

冗談半分に、「脱ぐなら日本代表として恥ずかしくない体でなければ無理」と言って、最後まで水着のままでいました。

あれから長い年月が過ぎ、今では上半身どころか、水着になることさえためらうようになりました。そんなことを考えながら歩いて、無事に車を取りに行きました。

昼になると、予報どおり暑くなりました。

空は澄んだ青ではなく、薄い青に灰色を混ぜたような色をしていました。夏にサハラ方面から熱い空気が流れてくると、この辺りの空はこのような色になります。青空ではあるものの、どこか白くかすんで見えるのです。

夜は、毎年恒例の生ハム切り職人の大会が開かれました。会場は村役場前の広場です。

スペイン語で生ハムを切る職人を「コルタドール・デ・ハモン」といいます。村出身の有名なコルタドールがいるため、この大会は毎年ここで開催されています。

参加者がスペイン各地から集まるのか、アンダルシア州内からなのかは分かりませんが、村の行事としてはかなり大きな催しです。

今年は初めて、参加者の中に女性がいました。

大会では、それぞれの職人が生ハムを一本ずつ切ります。

薄く切ったハムを一皿約100グラム、綺麗に並べてお皿を仕上げるのです。抜き打ちで重さを量ったりして、それも審査対象になります。

一本を切り終えるまでには、二時間以上かかります。

薄さを揃えるだけでなく、長時間立ったまま、同じ姿勢で切り続けなければなりません。華やかに見えますが、実際にはかなりの肉体労働です。

女性の参加者も大変だろうと思いながら、その手元を眺めていました。

審査用には、花びらのように美しく並べた皿も作られます。切られたハムは、会場の横に設けられたバルで販売されます。

広場には通常のバルがありますが、注文してから出てくるまでが驚くほど遅いため、今回は仮設のバルで買うことにしました。こちらは大勢が並んでいても、手際よく注文をさばいていきます。

友人が生ハムを一皿買ってきてくれて、一緒に食べました。

ただ、残念ながら、今年のハムもそれほどおいしくありませんでした。どれほど腕のよい職人が切っても、肝心のハム自体の質が高くなければ、味には限界があります。

以前、この大会で食べたハムは驚くほどおいしかった記憶があります。しかし、生ハムの値段も年々上がっています。予算の都合もあり、以前と同じ品質のものを用意するのは難しくなっているのかもしれません。

それでも、毎年この時期に広場へ出かけ、友人と生ハムを食べること自体が、村の夏の楽しみになっています。

切り終わった合図です。

表彰式が始まったのは、夜12時ごろでした。


その後はバンドの演奏があり、さらにDJが入る予定でしたが、私はバンドが始まる前に帰ることにしました。

夜になっても気温はあまり下がらず、涼しい風もほとんど吹いていませんでした。前日の夜に続いて、この日も大勢の人が外に出て、暑い夏の夜を過ごしていました。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

2026/07/25

7月17日(金) 車を走らせ、バルでイングランド戦を振り返る

この日は一日中家にいて、仕事をしていました。来週は車検があるため、夕方になってから車を少し動かすことにしました。時刻は午後8時ごろでしたが、夏のスペインではまだ十分に明るい時間です。

遠くまで行くつもりはなく、村の外れにある学校まで走り、そこから谷の下にある駅の村へ降りました。再び坂道を上って戻ってくるまで、全部で25分ほどです。短い距離でしたが、あまり動かしていない車には、ちょうどよい運転になりました。

そのまま家には戻らず、ガソリンスタンドの隣にあるバルへ寄りました。そこで、久しぶりに友人のベロニカに会いました。

彼女は、援助を必要とする人たちのために、幾つかの村を回ったりする公的な仕事をしています。高齢者と接することが多いようですが、正確な職種については、私はよく分かっていません。

話を聞いていると、彼女は今、自分の職場を安定させるための試験に向けて勉強しているそうです。スペインでは、公的機関に関係する仕事に就く際、安定した職を得るために試験を受けなければならないことがあります。

学校の先生も同じような仕組みです。正式な職を得るまでは一年ごとの契約で働き、アンダルシア州内のどこへ配属されるか分からないこともあります。新学期の直前になって赴任先を告げられ、慌てて引っ越す人もいるそうです。

ただし、臨時職員として働いた経験は点数として加算され、後に試験を受ける際に有利になります。経験を積みながら何度も試験を受け、最終的に希望する地域の安定した職を目指すのです。

ベロニカも毎年のように試験を受けていて、今年は三次試験まで進んだと話していました。仕事をしながら勉強を続けるのは大変そうです。それでも、この日は金曜日でした。久しぶりに会ったこともあり、勉強のことは少し忘れて、一緒に飲みながら話をしました。

しばらくすると、ほかの友人たちも集まってきました。日が暮れ始めた午後9時半から10時ごろ、今度はフライドチキンを出す別のバルへ移動することになりました。

そこには、友人の息子さんがいました。父親がイギリス人、母親がスペイン人です。ワールドカップでイングランドが敗れたばかりだったので、「残念だったね」と声をかけると、「その話には触れないでくれ」と言われました。

冗談めかしてはいましたが、本当に落ち込んでいるようでした。「まだ立ち直れない」「悲し過ぎる」と何度も話します。スペインにもつながりがあるので、残った試合をどこで見るのか尋ねると、家で一人で見るとのことでした。日曜日のスペイン戦も、翌日から仕事があるため、やはり自宅で見るそうです。

それでも、心から優勝してほしかったのはイングランドだったのでしょう。長い間優勝から遠ざかっていただけに、今回は大きな期待を寄せていたようです。

その様子を見ながら、日本のサッカーファンとの違いについて考えました。

日本代表が敗れたとき、私たちは「よく頑張った」「素晴らしい試合だった」と選手をたたえることが多いように思います。もちろん、それは悪いことではありません。私自身も同じように感じます。

一方、サッカーの強豪国では、代表チームが敗退すると、その後の大会にはほとんど興味を示さなくなる人もいます。以前、スペインが早い段階で敗退したときも、周囲では「スペインのワールドカップはもう終わった」と言う人が少なくありませんでした。ほかの国の試合を見る気にはならない、というのです。

代表が勝つことを強く信じているからこそ、敗れたときの落胆も大きくなります。

日本代表がさらに強くなり、勝つことへの期待が今以上に高まれば、日本のファンもいつか「よく頑張った」だけでは気持ちを収められなくなるのかもしれません。

友人の息子さんが、本気で悲しそうにイングランドの敗戦を語る姿を見ながら、そんなことを考えた夜でした。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。