今朝も綺麗な雲海がバルコニーの前に広がっていました。
お昼は友人のイサベルの家に招かれ、セマナ・サンタ(聖週間)にちなんだ料理をごちそうになりました。
この時期は本来、カーニバルの後からセマナ・サンタまで、およそ40日ほどの「節制の期間」とされています。キリストが受難へ向かう道のりを思い起こしながら、人々も少し慎ましい生活を送るという考え方です。
ただ、私たちの村のカーニバルは少し遅い時期に行われるため、セマナ・サンタまでの期間は実際には三週間ほどしかありません。
昔はこの期間、子どもたちは甘いものを控え、大人は肉を食べなかったり、お酒を飲まないようにしたりする習慣があったそうです。今ではそこまで厳しく守る人はほとんどいませんが、食文化にはその名残が残っています。
この時期によく食べられるのが、塩漬けのバカラオ(干し鱈)を使った料理です。イサベルが作ってくれたその料理は、とても素朴で、そしてとても美味しいものでした。
食卓を囲みながら、自然と話題は今年のカーニバルのことへ移っていきました。
昔のカーニバルは、もっと賑やかなものだったと言います。若者たちは「ボテジョン」と呼ばれる、外で集まってお酒を飲む文化を楽しんでいました。バルで飲むとお金がかかるため、広場や通りに集まり、仲間同士で飲みながら夜を過ごすのです。それもまた、若者文化のひとつでした。
しかし今では、そのボテジョンも禁止されています。未成年の飲酒を心配する親の声もありますし、今は誰もがスマートフォンを持ち、写真や動画が簡単に撮られる時代です。昔のように自由に騒ぐことは難しくなり、若者たちが自然に集まる場所も少なくなってしまいました。
そうなると、祭りの雰囲気も少しずつ変わってきます。やはり村の行事というのは、若い人たちが楽しんでこそ活気が生まれるものです。大人だけが集まっても、どこか静かなものになってしまう。そんな話をしながら、「この村の行事も、少しずつ変わっていくのかもしれないね」と話していました。
私がこの村へ来たのは、2001年のクリスマスイブでした。そしてその数か月後、初めて村のカーニバルを経験しました。たしか二月の終わりか三月の初めだったと思います。
その時のことは、今でもよく覚えています。小さな村なのに、驚くほど多くの人が集まっていたのです。人々は思い思いの仮装をし、グループごとにテーマを決めて衣装を作り、通りを歩いていました。近くの町や別の村からも人が集まり、村はまるで別の場所のような賑わいでした。
ドラァグクイーンの衣装を着た人と話したこともあります。彼は美容師さんでアルヘシラスから来たと言っていました。そんなふうに、色々な場所から人が集まってきていたのです。
当時は村に大きなディスコテカ(ディスコ)もありました。そこは満員で、身動きが取れないほどの人でした。もちろん他のバルもすべて満席です。こんな小さな村が、これほど人であふれるのかと、本当に驚いたものです。
白い村の祭りの日程は、あえて他の村と少しずらすことがあります。そうすることで別の村から若者たちがやって来て、ここで出会いが生まれることもあるからです。そして、その出会いが結婚につながることもありました。
昔の若者たちは、そうした出会いを求めて、苦労して他の村の祭りへ出かけていったものです。しかし今は車もあり、インターネットもあります。遠くの人とも簡単につながることができる時代です。わざわざ村の祭りに出かけて出会いを探すという文化も、自然と減っていったのでしょう。
スペインでも少子化が進み、若い世代そのものが減っています。そうした社会の変化も重なり、村の風景も少しずつ変わってきているのだと思います。二十年以上この村に住んでいると、そうした時代の移り変わりをふと感じることがあります。
帰り道、嵐のあとに咲き残った花を見つけました。先日の強い風にも負けず、枝いっぱいに咲いています。アーモンドの花かと思いましたが、よく見ると少し違うようです。何の花なのかは分かりませんが、淡い色の花びらがとてもきれいでした。
そんな小さな景色を眺めながら、イサベルとの楽しい昼食の時間を思い出していました。彼女はスペイン人ですが、長くフランス語圏で暮らしてきた人です。今は一年の半分ほどをこの村で過ごし、残りの時間は別の国で暮らしています。
セマナ・サンタの料理は、今回が初めて作ったと言っていましたが、とても美味しく出来ていました。
カーニバルが終わり、村はまた少し静かな日常へ戻っていきます。季節はこれから春へと向かい、次はセマナ・サンタの準備が始まります。
こうして一年は、ゆっくりと次の季節へ進んでいきます。
最後までお読みいただきありがとうございました。




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