この日も朝からよく晴れていました。空には雲がまったくないわけではありませんが、ここしばらくの不安定な天気を思えば、ようやく春らしい空が戻ってきたと感じます。
朝の空気はまだ冷たく、日陰に入ると身が引き締まるような寒さがあります。それでも、日向に出て太陽の光を浴びると、体が温まります。長かった冬も、いよいよ終わりに向かっているのだろう。そんな気持ちになりました。
見上げると、空には何本もの飛行機雲が伸びていました。
ちょうど二機、続けて飛んでいるのも見えます。白い線が青空の上を横切っていく様子はきれいではあるのですが、あれもまた大気汚染なのだと思うと、澄んだ空気の下から見上げると複雑な気持ちにもなります。
そんなことを考えながら、公園の中を通り抜けました。木々の上からは鳥の声がよく聞こえてきます。耳を澄ますと、あちらからもこちらからも鳴き声が返ってきて、季節が確実に移っていることを知らせてくれるようでした。
ふと見ると、公園の一角に立派なキャンピングカーが二台停まっていました。
一台はフランスのナンバーで、もう一台はスペインのレンタル車のようでした。飛行機で来て、現地で車を借り、1週間、2週間かけて旅をする人も多いのでしょう。アンダルシアの春は、そんな旅人たちを誘い出す力があります。
このあたりでは、オランダのナンバーを付けた大きなキャンピングカーもよく見かけます。退職後の時間を楽しんでいるような夫婦が、ゆったりと旅をしている姿も珍しくありません。
そうした旅行者について、地元では「村であまりお金を使わない」という話を耳にすることもあります。車の中に生活のすべてが整っているので、滞在先では最低限の買い物しかしない、というわけです。
もちろん、これは昔から語られてきた一つの見方にすぎません。今は人の暮らし方も価値観もずいぶん変わりましたし、国ごとの特徴をひとくくりにすることはできません。
それでも、異なる土地の人たちがどんなふうに旅をし、何を大切にしているのかを眺めていると、文化の違いが垣間見えて興味深く思います。
そういえば、村の近くに家を持っていて、数か月単位でこちらに来るオランダ人のカップルがいます。25年以上連れ添っていますが、昨年結婚したんです。オランダ人は結婚していないカップルがとても多いです。
そんな中、結婚した理由は、共同で所有する不動産が増え、何かあった時の手続きが複雑になるから、というものでした。特に自国以外に家を持っている場合、法的な立場を明確にしておくことがとても大切になるのです。
異国で暮らすというのは、景色の美しさや気楽さだけではなく、現実的な書類や制度とも向き合うわないといけないのです。
歩きながら木々に目をやると、アーモンドの実がもうだいぶ育ってきていました。
花が咲いていた頃のやわらかな景色とはまた違い、季節が次の段階へ進んでいることがわかります。春は花だけで終わるのではなく、その先に実りの準備をしっかり進めているのだと、こういう場面で思い知らされます。
途中で、以前誰かに招かれた食事の席のことも思い出しました。オランダの人たちのもてなしは、良くも悪くもとても簡潔で、拍子抜けした記憶があります。
食事に招かれると聞くと、スペインではたいてい料理が次々に並び、卓を囲む時間そのものに重きが置かれます。ですから、同じ「夕食に来てください」という言葉でも、国が違うと中身がずいぶん違うのです。
南ヨーロッパでは、食べることそのものが生活の中心に近いところにあります。何を食べるかだけでなく、誰と食べるか、どれだけ時間をかけるかまで含めて大切にされます。その感覚に慣れていると、他の国の簡素なやり方に驚くことがあります。
けれど、逆に考えれば、そこまで肩肘張らずに人を招ける気軽さでもあります。
以前15人ほどの焼き鳥ナイトを催したことがあります。準備に数日かけて疲れはててしまいました。それ以来そういう催しをすることに躊躇しています。
文化の違いは、優劣ではなく、何を基準に心地よいと感じるかの違いなのだと思います。
さらに歩いていると、道の上に小さなカタツムリがいるのを見つけました。こんな場所にいては、誰かに踏まれてしまうかもしれません。
しばらく眺めてから、少しだけ手を貸して、反対側の草むらへ移しておきました。
本当はそのカタツムリがどちらへ向かっていたのか分かりませんし、余計なことだったかもしれません。
それでも、あのまま道の真ん中に置いておくよりはよいだろうと思ったのです。
殻にぴたりと身を縮めていたので、乾かないようにじっとしていたのでしょう。夜になって湿り気が戻れば、また動き出すのかもしれません。
そう考えると、昼と夜とでまるで別の時間が流れているようで、足元の小さな生き物にもそれぞれの都合があるのだと気づかされます。
耳元では、また蜂の羽音が聞こえてきました。蜜を集める蜂なら気になりませんが、食べ物に寄ってくる大きな蜂はやはり少し身構えてしまいます。
田舎で暮らすようになってから、蜂にもいろいろな役割があることを知りました。花粉を運ぶものもいれば、別の形で自然の循環を支えるものもいます。
以前はただ「蜂は怖いもの」としか思っていませんでしたが、今ではそれぞれがこの土地の一部として働いているのだと感じます。
自然の中では、一見すると厄介に思えるものにも、きちんと役目があります。人間の都合だけで見ていると見落としてしまいますが、少し立ち止まって眺めてみると、この季節の景色はそうした小さな命の働きで支えられているのだとわかります。
青空を横切る飛行機雲も、木の上でさえずる鳥も、足元を這うカタツムリも、みな春の一日の中にいました。大げさな出来事があったわけではありません。
それでも、こうして歩いていると、季節の移ろいも、人の暮らしも、異なる文化の感覚も、すべてがひと続きにつながって見えてきます。
旅先で出会う風景の魅力は、有名な名所だけにあるのではありません。こんなふうに、公園を歩きながら目に入るもの、耳に届くものに心を向けていると、その土地らしさはむしろ何気ない場面の中にこそ宿っているのだと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。






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