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【村の行事】2026年
祝日2月28日(土) Dia Andalucia、3月6日(金夜)〜8日(日) カーニバル

2026/03/21

3月14日(土) アンダルシアの闘牛文化と、少し距離を置く私の気持ち

昨日はよく晴れていたのですが、今日は朝から空がどんよりと曇っています。なんとなく重たい空気の一日です。天気予報では今夜は雨になるかもしれないとのこと。そして明日は、また少し晴れ間が戻りそうです。

夕方、少し外に出てみました。寒いだろうと思って厚着をして出たのですが、歩いているうちにだんだん暑くなってしまいました。どうやら着込みすぎたようです。

外へ出た理由は、村で闘牛が行われる日だったからです。午後5時半から始まる予定になっていました。特に見に行くつもりはなかったのですが、どんな様子なのか少しだけ見てみようと思い、闘牛場の近くまで歩いてみました。

途中、闘牛士の姿を見かけました。

昨日から、アンダルシアのテレビ局Canal Surの中継車が来ており、今日は中継が行われるようです。

闘牛場の裏手には、鎧のような装備をつけた馬の姿も見えました。闘牛では、騎馬闘牛士が馬に乗り、槍で牛と対峙する場面もあります。その馬たちが会場に連れてこられていたのです。

歩いている途中、ばったり友人に会いました。すでに出来上がっていて、少し呂律が回っていない様子でしたが、「チケットがあるからあげるよ」と声をかけてくれました。入場料は15ユーロです。

ありがたい申し出でしたが、丁寧にお断りしました。

闘牛場では最初に、闘牛士たちが並び、主催者や村長に挨拶をするセレモニーがあります。その場面だけは少し見てみたい気もしたのですが、そのためだけにチケットをもらうのは気が引けました。それなら、本当に見たい人に使ってもらった方がいいと思ったのです。

それに正直なところ、私は闘牛を最後まで見ることができません。

この村の闘牛場はそれほど大きくないため、牛が苦しむ声がはっきりと聞こえてしまうのです。

実は、ずいぶん昔に何度か闘牛を見に行ったことがあります。当時は、闘牛というものをよく知りませんでした。赤い布をひらひらと操りながら、闘牛士が美しく牛と向き合う、そんなパフォーマンスのようなものだと、漠然と思っていたのです。

中継から

しかし実際には、最後には牛を仕留めることになります。それを初めて目にしたとき、「ああ、これは無理だ」と感じました。

通常、闘牛では3人の闘牛士が登場し、それぞれが2頭ずつの牛と対峙します。つまり、1回の闘牛で6頭の牛が使われます。牛たちは専用のトラックで運ばれてきますが、互いに接触しないよう、一頭ずつ仕切られています。

闘牛用の牛は特別に飼育されています。牧場は頑丈な鉄の柵で囲まれていることが多く、以前ドライブの途中でそうした場所を見かけたときは驚きました。「もしかして闘牛の牛がいるのでは」と思い、慌ててその場を離れたことを覚えています。

闘牛の牛は、できるだけ人間と接触しないように広大な土地で育てられるそうです。餌を与えるときも、人が直接近づくのではなく、トラックで運び、さっと置いて去る。そうして人に慣れないようにするのだといいます。

牛はとても賢い動物なので、人間に慣れてしまってはいけないのだそうです。

そして、およそ4年ほど放牧で育てられた後、闘牛場へと連れて行かれます。

そこに出された瞬間、周囲360度を観客に囲まれることになります。人々の歓声に包まれるその光景は、まるで古代ローマのグラディエーターの世界のようにも感じられます。

この村では、特に夏祭りのときに行われる闘牛が大きなイベントになります。その日は観客席も華やかで、女性たちはフラメンコの衣装をまとい、色鮮やかなドレスで会場を訪れます。村の女性たちが美しく着飾って集まる様子は、とても印象的です。

そして牛が倒れた瞬間、会場には大きな歓声が上がります。

私はその場面を見ることができず、思わず横を向いていました。ふと周りを見ると、美しく着飾った女性たちが笑顔で、食い入るようにその様子を見つめながら拍手をしています。

その光景を見たとき、「ああ、やはり文化が違うのだな」と強く感じたことを覚えています。

村の友人にその話をしたことがあります。彼自身も闘牛が特別好きというわけではないそうですが、子どものころ、祖父に連れられて夏祭りの闘牛を見に行った思い出があるのだそうです。だから今でも、その記憶の延長として闘牛を見に行くことがある、と話していました。

闘牛では、闘牛士がいかに素早く、牛を苦しめずに仕留めるかが重要だと言われます。その出来栄えによって観客は拍手を送ったり、時にはブーイングをしたりします。審判役である村長が評価を示すと、闘牛士には牛の耳や尾が「賞」として与えられます。

繰り返しになりますが、歓声に包まれるその様子は、まさにグラディエーターの世界を思わせ、ちょっとゾッとします。

夕方、家のバルコニーから闘牛場の方を眺めてみました。観客席には多くの人が集まり、馬を連れてくる人の姿も見えます。ただ、距離があるため音は聞こえません。

空は相変わらず曇ったままです。

せっかくのイベントですから、天気がもってくれるといいのですが、雨で足元が滑れば、牛にも人にも危険が及びます。

闘牛については、さまざまな意見があります。

この土地に根付いた長い文化のひとつであることは確かです。それでも私は、複雑な気持ちを抱きながら、少し距離を置いて眺めています。

そして最後に、ほんの少しだけテレビをつけて中継を見てみました。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


2026/03/20

3月13日(金) アンダルシアの夜、にぎやかなバルと静かな葛藤

夕方から天気が良くなり、ふと「少し外に出てみよう」と思い立ちました。日がまだ残るうちに、ガソリンスタンドの横にあるバルへ向かいます。

ついでにガソリンも入れようかと考えたのですが、表示された価格に思わず驚いてしまいました。最近の値上がりはやはり大きく、今回は見送ることにしました。タンクはまだ半分ほど残っているので、しばらくは大丈夫そうです。

バルに着くと、すでに多くの人でにぎわっていました。スペイン人の友人たちと合流し、その輪に加わります。テラスは活気にあふれ、何より印象的なのはその声の大きさでした。誰かが話しているというより、全員が同時に話しているような賑やかさで、自分の声がかき消されてしまうほどです。

それでも不思議と居心地が良く、笑い声に包まれながら楽しい時間を過ごしました。アンダルシアの人々特有の明るさとエネルギーを、あらためて感じるひとときでした。

その後、いったん村へ戻り、もう一軒のバルへ向かいました。こちらではイギリス人の友人とゆっくり話をすることができ、先ほどとはまた違った落ち着いた時間が流れます。

このバルは闘牛場のすぐ横にあります。ふと外を見ると、大きなトラックが停まっており、「Canal Sur」と書かれていました。アンダルシアのテレビ局です。聞けば、翌日に闘牛の中継が行われるとのことでした。

闘牛と聞くと、華やかな衣装をまとった闘牛士が優雅に牛と向き合う姿を思い浮かべる方も多いかもしれません。確かにそれは一面の真実ですが、実際の闘牛はそれだけではありません。

一頭の牛に対して複数の闘牛士が関わり、段階を踏んで進んでいきます。最初に牛を操り、その後、弱らせるための工程があり、最後に仕留める役割の闘牛士が登場します。牛の体にはいくつもの槍が刺さり、徐々に力を奪われていきます。

そして最後は、できるだけ苦しませないように一突きで仕留めることが、闘牛士の技量とされます。命がけの仕事であることも事実です。

ただ、この村の小さな闘牛場では、観客席との距離が近いため、牛の苦しむ声がはっきりと聞こえてしまいます。その声を耳にすると、どうしても直視することが難しくなります。

そのため、もし見に行くとしても、最初の入場や挨拶の場面だけを少し見る程度にしようか、と考えています。

それでも、この夜は久しぶりに多くの人と顔を合わせ、たくさん言葉を交わすことができました。

田舎の村の良さは、外に出れば誰かしら知り合いに会い、自然と会話が始まるところにあります。都会のように人は多くなくても、人との距離はぐっと近いのです。

にぎやかな声に包まれたバルの夜と、静かに考えさせられる闘牛の話。

その両方が混ざり合った、少し複雑で、それでもどこか温かい一日でした。

最後までお読みいただきありがとうございました。


3月13日(金) 鳥の声が響く朝、道端で見つけた春の味

気がつけば、また一週間があっという間に過ぎていました。

ついこの前月曜日だったような気がするのに、もう週末です。

昨日は友人との日本語レッスンの日でした。オンラインで時々、日本語を教えています。

ところがここ2週間ほど、レッスンはお休みになっていました。

最初の週は「セマナ・ブランカ」という、アンダルシアの学校が休みになる週でした。彼女は学校の先生なので、その期間は休暇だったのです。

そして先週は体調が悪いとのことで、またお休みになりました。

そんなことが続いたせいでしょうか。すっかり習慣から抜け落ちてしまい、昨日はレッスンの日だったことを完全に忘れていました。

しかも、彼女からメッセージまで届いていたのに気づかなかったのです。

今朝、携帯電話を見ると昨日のメッセージが残っていました。慌てて返信し、「すっかり忘れてた。ごめんなさい。来週は忘れないからね」と送りました。

やはり予定はカレンダーに入れておかないといけませんね。便利な機能があるのに使っていなかったことを、少し反省しました。

そんなことを考えながら、朝の散歩に出かけました。

外へ出ると、朝の空気はまだ冷たく、手や顔がひんやりします。

それでも太陽の光は明るく、空には青空が広がっていました。冬の名残のような冷たさですが、どこか気持ちのいい寒さです。

耳を澄ますと、犬の鳴き声と鳥のさえずりが聞こえてきます。

この村には都会のような騒音がほとんどありません。いわゆる「ノイズ・ポリューション(騒音公害)」がないのが、この場所の大きな魅力です。

数日前は驚くほど静かでしたが、今日は時々車が通ります。とはいえ、それでも十分に静かです。

都会に住んでいると常に様々な音が耳に入りますが、この村では自然の音のほうがずっと多く感じられます。

人の声もよく通ります。

空気が澄んでいるせいでしょうか、遠くで話している声が、まるですぐ近くで聞こえることがあります。

昔は携帯電話などなかったので、近所の人を呼ぶときは大きな声で名前を呼んでいたそうです。すると遠くにいる相手にも声が届き、そのまま会話ができたといいます。

鳥の声も、人の声も、この静かな村ではよく響きます。

そんな音を聞きながら歩いていると、道端に一本のアスパラガスが落ちているのを見つけました。

スーパーで売っている栽培されたアスパラではなく、この辺りの山に自然に生えている野生のアスパラガスです。

おそらく誰かが朝早く山へ採りに行き、持ち帰る途中に一本落としてしまったのでしょう。

この季節になると、村の人たちは野生のアスパラを採りに出かけます。たくさん採れる人は、大きな束を抱えて歩いているのを見かけることもあります。

野生のアスパラを見つけるには、ただ芽を探すだけではなかなか見つかりません。

まず「親株」を見つけることが大切だそうです。その株の周りから、新しい芽としてアスパラが出てくるのです。

ただし、この野生のアスパラはかなり苦味があります。

特に下の部分はとても硬いので、食べられるのは上の柔らかい部分だけです。料理に使うときも、長さの三分の一ほどしか使いません。

軽く下茹でしてから、卵と一緒に炒めてスクランブルエッグにします。

塩と胡椒で味をつけ、オリーブオイルを少し垂らすだけのシンプルな料理ですが、これがなかなか美味しいのです。

ほんのりとした苦味があり、「山の恵み」をいただいているような気持ちになります。

最初のころはその苦味が強く感じられ、正直あまり得意ではありませんでした。

でも不思議なもので、何度か食べるうちに季節の味として楽しめるようになりました。

空を見上げると、今日の空は深い青色をしています。アンダルシアの空は、ときどき驚くほど濃い青色になることがあります。

しばらく歩いているうちに、背中に太陽の光が当たり、体が少しずつ暖かくなってきました。

冷たい朝の空気の中で聞こえる鳥の声と、道端に落ちていた一本のアスパラガス。

それが、春の訪れを教えてくれたような朝でした。

最後までお読みいただきありがとうございました。


2026/03/19

3月12日(木) 足がつった朝、アンダルシアの散歩とテクノロジーの話

今日は目覚ましではなく、足の痛みで目が覚めました。

左足の小指のあたりが突然つってしまったのです。ふくらはぎの足の外側にかけて筋がぎゅっと縮まり、思わず目が覚めてしまいました。

原因はよく分かりません。体が冷えていたのかもしれませんし、同じ姿勢で寝ていたのかもしれません。足に力が入った瞬間に起きたような気もします。ビタミンやミネラル不足でも足がつることがあると聞いたことがあります。

とにかく、少し体を動かした方がよさそうです。

外はまだ寒いですが、散歩に出ることにしました。

アンダルシアの朝はまだ少し寒い

昼間は太陽が出ると暖かいのですが、朝晩はまだ冬の空気が残っています。今朝もひんやりとした空気でした。

それでも空を見上げると、雲ひとつない青空です。

「きっと昼間は暖かくなる」

そんな予感がする空でした。

歩いていると、道端の植物に目が留まりました。最初は松ぼっくりかと思いましたが、よく見ると違います。どうやら松ぼっくりになる前の花のようです。周りには小さな花もあちこちに咲いています。

「寒い、寒い」と言いながらも、自然は確実に春へ向かっています。

スペインの春も、こうした小さな変化からゆっくり始まるのだと感じます。

散歩しながら考えていたAIのこと

そんな朝の散歩をしながら、昨日のことを思い出していました。

昨日は「Claude Code」というAIエージェントについて、いくつか動画を見ていました。新しい技術ですが、正直なところまだほとんど理解できていません。

それでも、少し触ってみたいと思っています。

新しいものは、実際に触ってみないと分からないからです。

たとえ中途半端でも、やってみなければ何も見えてきません。

香港での経験が今につながっている

こうした考え方は、昔の経験から来ているのかもしれません。

私は以前、香港で働いていたことがあります。

その頃の香港は、コンピューターの導入がとても早い場所でした。

当時の日本では、まだコンピューターは珍しく、会社の部署に1〜2台あるかどうかという時代でした。しかし香港の職場では導入が進んでいる会社も多く、私にもコンピューターが1台与えられました。

私が務めていた会社には日本から駐在員が11名ほどいました。そして仕事の多くは手書きで行なわれていたんです。

秘書業務をしていた私には、

「これをコンピューターで打ってくれる?」

「このスケジュールを作ってくれる?」

といった仕事がよく回ってきました。

今なら簡単にできる作業でも、当時は試行錯誤の連続でした。どうすればできるのか、WordやExcelを駆使して自分で考え、工夫する必要があったのです。

その経験のおかげで、新しいツールに触れることへの抵抗がなくなったのだと思います。

オンラインで進む翻訳の仕事

現在している翻訳の仕事は、すべてオンラインで完結します。

翻訳者は世界中にいて、コミュニケーションにはSlack、タスク管理にはAsanaなどのツールが使われています。そうしたツールを通して、共同で翻訳を進めていきます。

この仕事を始めたとき、友人に

「どうしてそんなにすぐ慣れたの?」

と聞かれました。

特別なスキルがあったわけではありません。

ただ、ブログを書いたり、動画を作ったり、HTMLを少しかじったり、Codingを少し触ってみたり、そうした経験が少しずつ積み重なっていただけだと思います。

コードがしっかり書けるわけではありません。

ターミナルも少し触った程度です。

それでも「見たことがある」「触ったことがある」という経験は、意外と役に立つものです。

新しい技術に触れておきたい理由

だからこそ、AIのツールも今は日常的に使っています。

今人気のものでも、一年後にはどうなっているか分かりません。それでも少し触っておけば、次に新しい技術が出てきたときに完全な未知にはならないと思うのです。

実はもう一つ理由があります。

私は子どもがいません。

将来、テクノロジー関連で頼れる人が身近にいないのです。

もしどうしても誰かに頼らなければならなくなったとき、その人が何をしてくれているのか全く理解できないのは少し不安です。

細かく理解できなくても、「ああ、こういうことをしてくれているのだな」と分かるくらいの知識は持っていたいと思っています。

テクノロジーは日々進化しています。当然すべてについていけているわけではありませんが、その尻尾の毛の一本でも掴んでおける自分でいたいと思っています。

アンダルシアの春と花粉

歩いていると、遠くから草刈り機の音が聞こえてきました。

石が飛んでくることもあるので、あまり近づかないようにしています。

今はまだ乾燥の季節ではないので大丈夫ですが、六月頃になるとこの草刈りは少し大変になります。草が乾燥して、粉のように、そしてキラキラと舞うからです。

実は私はオリーブ花粉のアレルギーがあります。血液検査でも、それだけははっきりと反応が出ました。干し草にもおそらくアレルギーがあると思います。

アンダルシアはオリーブの大産地です。そしてスペインの田舎には干し草がたくさんあります。

春から初夏にスペインを旅行する方は、もし花粉症があるなら少し気をつけた方がいいかもしれませんね。

スペインの田舎の朝とパン屋さん

そんなことを考えているうちに、背中に太陽の光が当たってきました。冷えていた体が、じんわりと温まってきます。

散歩の途中、いつものパン屋さんの前を通りました。

少し甘いものでも買おうと思い、店に入ります。

店内には、いつも挨拶を交わしている身なりのきちんとしたおじさんがいました。

田舎の村では、ご年配の男性でも朝から身だしなみが整っている人が多いと感じます。奥さんが洋服にきちんとアイロンをかけていないと、周りから何か言われてしまうことがあるからです。

配偶者がいない場合は、娘さんたち。あるいは姉や妹、時には姪が世話をしていることもあります。そこに息子は登場しません。田舎ではよくある話です。

家族の誰かが整えてくれる環境があるからこそ、きちんとしているのかもしれません。

一方の私はというと、今日は「誰にも会わないだろう」と思って、身だしなみなど気にせず散歩に出てきました。

甘いものにつられて店に入ってしまった自分を少し後悔。

「もう少しちゃんとして来ればよかった」

と少し恥ずかしくなりました。

それでも、美味しいスイーツを手に入れて帰ることができました。

昼間は太陽のおかげで暖かくなりますが、夜になるとまだ冷え込みます。

アンダルシアの三月は、そんな日が続きます。

早く本格的な春になってほしいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。



2026/03/18

3月11日(水) 青空の朝と、3月11日の遠い記憶

今朝は雲一つない青空が広がっていました。

これから数日、天気予報には晴れのマークが並んでいます。昨日はかなり冷え込み、夕方にはみぞれのような雨も降りました。

朝起きたときには窓ガラスにびっしりと結露がついていて、まだ空気の冷たさが残っています。それでも今日は日差しが明るく、これから少し気温が上がりそうです。久しぶりに、穏やかな一日になりそうな気がしました。

週末もどうやら天気は良さそうです。ここから車で13分くらい下っていくとコルテス駅がありますが、そこにも村があり、今週末にカーニバルが開かれる予定です。本来はコルテス村よりも前の週に開催されるのですが、天候が悪く、日程が変更されたんです。

この辺りでは、村ごとに順番にカーニバルが行われます。例年はコルテス村が最後です。

本来カーニバルは、カディスの祭りが終わってから四十日ほどで聖週間へと続くものですが、周囲の村でもそれぞれに行事があるため、この地域では少し長く祭りが続いているように感じます。そして週末に終わった村のカーニバルから、三週間ほどで聖週間が始まります。

外では鳥が盛んに鳴いていました。そんな声を聞きながら、午前十時過ぎに家を出ました。この日は友人とバルで朝食をとる約束をしていたのです。

彼女の家は駅の村に近い場所にあります。そのすぐ横には、普段は水の流れていない川があります。乾いた川床のような場所ですが、山で雨が降ると一気に水が流れ込み、小川のようになる場所です。

去年の大雨のときには、その川があふれそうなほどの水量になり、かなり大変だったと聞きました。今回の嵐でも雨が多かったので、きっと似たようなことがあったのではないかと思い、その様子を聞いてみようと思っていました。

青空が広がっていると、つい先日の嵐のことなど忘れてしまいそうになります。それでも、人と話しているうちに自然とその時の出来事を思い出すものです。

この日、もう一つ思い出したことがありました。

3月11日という日は、日本にとって特別な日です。

あの頃、イギリスのTV番組を見られるよに衛星テレビを契約していました。朝起きてメールを開けると、沢山のジャンクメールがあり、その中に津波のニュースが目に飛び込んできました。

慌ててテレビのスイッチを押し、NHKワールドを見ると、衝撃的な映像が流れており、海の水が町へ押し寄せていく光景が映っていました。

その映像を見て呆然としたのを今でも忘れられません。

当時は今のようにインターネットで情報が次々と入ってくるわけでもなく、ただテレビの前で状況を見守るしかありませんでした。

その頃、母が亡くなってから10年ほどでしたが、亡くなったとき、「もう日本に帰る場所はなくなったのかな」と感じたことを思い出しました。

そしてあの津波の映像を見ながら、「日本という国が無くなるんだろうか、いよいよ帰る場所はなくなるのかな」と、ぼんやり考えていた記憶があります。

それから十五年が経ちました。時間の流れは本当に早いものです。

そんなことを思い出しながらバルに着きしばらくすると、友人のリンダとジョン、そしてスコットランド出身のクリスがやって来ました。二人で朝食かと思ってたら、四人でした。

私と友人は、トーストにオリーブオイルとトマトをのせたシンプルな朝食にコーヒーを二杯。これで4.5ユーロでした。一方、男性陣はベーコンや玉子が入った大きなサンドイッチのようなものを食べていて、朝からかなりのボリュームです。

食事をしながら、自然と話題はこの前の嵐のことになりました。

友人の話によると、屋根から流れ落ちた雨水が想像以上に多く、家の外にある排水用の溝に土砂が詰まってしまったそうです。そのため水が流れず、壁を伝って家の中へ入ってきたと言っていました。

幸い、家の横の川自体は大きな被害にはならなかったそうです。ただし雨水は川以外の場所にも流れ込み、警察から「必要なときはすぐ連絡してください。救助に向かいます」という案内があったそうです。

朝食を終えて席を立つ頃、太極拳のエクササイズするグループが集まってきました。一緒にコーヒーでも飲みたかったのですが、やっぱり切り上げて帰らないと、お天気が良いのでこのままずるずるバルで過ごしそうだったので、私は一足先に離れ、スーパーに寄ることにしました。

スーパーで少し買い物をした後歩いていると、もう一人、村の外れに住む知り合いのイギリス人女性にも出会いました。彼女の家はソーラーパネルで電気をまかなっているのですが、嵐の間はまったく電気が使えなかったそうです。

ある夜、突然「ドーン」という大きな音がして、家が揺れ、暗闇の中とても怖かったと言っていました。その後は海の近くに住む友人の家へ避難し、ようやく最近になって家へ戻ってきたとのことでした。

朝は太陽がよく当たり、バルの外の席では少し暑いくらいでした。しかし日陰に入ると、まだ空気はひんやりしています。

暖かくなったかと思えば、急に冷え込む。

そんな季節の変わり目は、どうしても体調を崩しやすいものです。春の気配を感じながらも、風邪をひかないよう気をつけて過ごしたいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。


2026/03/17

3月10日(火) 鳥の声だけが聞こえる寒い朝と、昔の旅の記憶

朝起きて外を見ると、空には雲が多く、ところどころに青空がのぞいています。太陽が顔を出したかと思えば、すぐに雲に隠れてしまう。そんな落ち着かない空模様でした。

天気予報を見ると、「みぞれのような雨が降る可能性があり、かなり冷え込む」と書かれています。ここ数日ずっと天気の悪い日が続いているので、そろそろ晴れてほしいと思っている人も多いのですが、どうやら今日も期待できそうにありません。

時計を見ると、まだ午前9時半。

外へ出てみると、空気は刺すように冷たく、手がかじかむほどの寒さです。春に向かっているはずなのに、まるで冬が戻ってきたようでした。

それでも周りを見渡すと、季節は確実に動いています。花は少しずつ咲き始め、あちこちから鳥の声が聞こえてきます。寒さの中にも、どこか春の気配が混じっているのがわかります。



今朝は本来、オンラインの英会話レッスンが入っていると思っていました。こちらの時間で朝9時からです。ところが、いつまで待っても生徒さん兼友人がオンラインに入ってきません。

不思議に思ってLINEのメッセージを見返してみると、今週は休みで、レッスンは来週からでした。完全に勘違いしていたのです。

それならばと、気持ちを切り替えて散歩に出ることにしました。こういう日は、歩きながら一日を始めるのが一番です。

外に出ると、村はとても静かでした。

小学校は登校時間帯には音楽が流れます。今日はたしか、ラヴェルの「ボレロ」が聞こえていました。

今はもう授業が始まっているので、音楽も止み、車も通りません。

私が立っている場所では、鳥の声しか聞こえないほどです。普段は多少車が通る道なので、こんなに静かなのは少し珍しいことでした。

この静けさの中にいると、ふと昔の出来事を思い出しました。

15年ほど前のことです。友人の娘さんがここでの生活を離れてイギリスへ帰ることになり、その見送りのためにジブラルタルへ行ったことがありました。

この村からジブラルタルへ行くには、山を越え、カサレスの近くを通り、高速道路に乗るルートがあります。その高速へ入る手前のラウンドアバウトに差しかかったとき、警察が何台も停まっていて、車を止められました。

どこへ行くのかと聞かれ、「ジブラルタルへ」と答えると、「それなら通っていい」と言われました。おそらく、反対方向へ行く車は止めていたのでしょう。

そのまま高速道路に入ると、不思議な光景が広がっていました。

車が一台も走っていないのです。前にも後ろにも、対向車線にも、まったく車がいません。

30分ほど走ったでしょうか。

まるで映画のワンシーンのようでした。ウィル・スミスが主演していた、街から人が消えてしまった映画を思い出したほどです。世界に自分ひとりだけが取り残されたような、不気味な感覚でした。

今朝の静かな道を歩きながら、ふとその時のことが蘇りました。今日は本当に人の気配がありません。さっき遠くで車が一台通ったくらいで、ほとんど誰もいないのです。

とはいえ、こういう静かな時間の散歩も、曜日によっては少し注意が必要です。

昔、犬を飼っていたころの話です。

週末の朝、犬を連れて散歩していると、車が止まり、中から酔った若者たちが話しかけてきたことがありました。

そのとき一緒にいたのは、ボクサー犬の愛犬で、体重は35キロほど。筋肉質でとても引き締まった犬でした。相手もそれを見て、からかうような雰囲気ではなく、軽く話しかけてそのまま去っていきましたが、それ以来、週末の早朝に一人で歩くのはあまりしないようにしています。

平日なら、仕事に向かう人や車の行き来があるので安心なのですが、土日は人通りが極端に減るのです。

スペインも、昔は今よりずっと荒っぽい時代があったと聞きます。友人は子どものころ、「大きなバンが通ったら気をつけなさい」と親から言われていたそうです。

実際、私が若いころヨーロッパを一人で旅していたときも、「スペインは危ないから行かないほうがいい」と言われたことがありました。

当時は夜行列車がありましたが、貴重品バッグを体にチェーンで固定した方が良いと聞きました。それでもそのカバンを引っ張られたと言われていた時代です。私は結局スペインには入らず、南フランスから北へ向かいました。

友人の一人は、そのころスペインの島へ旅行に行ったそうです。日本人の若い女性二人で歩いていたところ、島の男性たちがぞろぞろ後ろについてきて、とても怖い思いをしたと言っていました。結局その日の夕方のフェリーで、急いで島を離れたそうです。

今では考えにくい話ですが、時代が違えば雰囲気もずいぶん違うものです。

そして夜。

午後から気温はさらに下がり、夕方にはみぞれのような冷たい雨が降りました。

天気予報の通り、今日はかなり冷え込みました。

春が近づいているとはいえ、まだ冬は完全には去っていないようです。

外の空気は冷たく、夜になっても寒さが残っています。

暖かい日が戻ってくるまで、もう少し時間がかかりそうです。

最後までお読みいただきありがとうございました。


2026/03/16

3月9日(月) カーニバルの後と、セマナ・サンタの料理

今朝も綺麗な雲海がバルコニーの前に広がっていました。

お昼は友人のイサベルの家に招かれ、セマナ・サンタ(聖週間)にちなんだ料理をごちそうになりました。

この時期は本来、カーニバルの後からセマナ・サンタまで、およそ40日ほどの「節制の期間」とされています。キリストが受難へ向かう道のりを思い起こしながら、人々も少し慎ましい生活を送るという考え方です。

ただ、私たちの村のカーニバルは少し遅い時期に行われるため、セマナ・サンタまでの期間は実際には三週間ほどしかありません。

昔はこの期間、子どもたちは甘いものを控え、大人は肉を食べなかったり、お酒を飲まないようにしたりする習慣があったそうです。今ではそこまで厳しく守る人はほとんどいませんが、食文化にはその名残が残っています。

この時期によく食べられるのが、塩漬けのバカラオ(干し鱈)を使った料理です。イサベルが作ってくれたその料理は、とても素朴で、そしてとても美味しいものでした。

食卓を囲みながら、自然と話題は今年のカーニバルのことへ移っていきました。

昔のカーニバルは、もっと賑やかなものだったと言います。若者たちは「ボテジョン」と呼ばれる、外で集まってお酒を飲む文化を楽しんでいました。バルで飲むとお金がかかるため、広場や通りに集まり、仲間同士で飲みながら夜を過ごすのです。それもまた、若者文化のひとつでした。

しかし今では、そのボテジョンも禁止されています。未成年の飲酒を心配する親の声もありますし、今は誰もがスマートフォンを持ち、写真や動画が簡単に撮られる時代です。昔のように自由に騒ぐことは難しくなり、若者たちが自然に集まる場所も少なくなってしまいました。

そうなると、祭りの雰囲気も少しずつ変わってきます。やはり村の行事というのは、若い人たちが楽しんでこそ活気が生まれるものです。大人だけが集まっても、どこか静かなものになってしまう。そんな話をしながら、「この村の行事も、少しずつ変わっていくのかもしれないね」と話していました。

私がこの村へ来たのは、2001年のクリスマスイブでした。そしてその数か月後、初めて村のカーニバルを経験しました。たしか二月の終わりか三月の初めだったと思います。

その時のことは、今でもよく覚えています。小さな村なのに、驚くほど多くの人が集まっていたのです。人々は思い思いの仮装をし、グループごとにテーマを決めて衣装を作り、通りを歩いていました。近くの町や別の村からも人が集まり、村はまるで別の場所のような賑わいでした。

ドラァグクイーンの衣装を着た人と話したこともあります。彼は美容師さんでアルヘシラスから来たと言っていました。そんなふうに、色々な場所から人が集まってきていたのです。

当時は村に大きなディスコテカ(ディスコ)もありました。そこは満員で、身動きが取れないほどの人でした。もちろん他のバルもすべて満席です。こんな小さな村が、これほど人であふれるのかと、本当に驚いたものです。

白い村の祭りの日程は、あえて他の村と少しずらすことがあります。そうすることで別の村から若者たちがやって来て、ここで出会いが生まれることもあるからです。そして、その出会いが結婚につながることもありました。

昔の若者たちは、そうした出会いを求めて、苦労して他の村の祭りへ出かけていったものです。しかし今は車もあり、インターネットもあります。遠くの人とも簡単につながることができる時代です。わざわざ村の祭りに出かけて出会いを探すという文化も、自然と減っていったのでしょう。

スペインでも少子化が進み、若い世代そのものが減っています。そうした社会の変化も重なり、村の風景も少しずつ変わってきているのだと思います。二十年以上この村に住んでいると、そうした時代の移り変わりをふと感じることがあります。

帰り道、嵐のあとに咲き残った花を見つけました。先日の強い風にも負けず、枝いっぱいに咲いています。アーモンドの花かと思いましたが、よく見ると少し違うようです。何の花なのかは分かりませんが、淡い色の花びらがとてもきれいでした。

そんな小さな景色を眺めながら、イサベルとの楽しい昼食の時間を思い出していました。彼女はスペイン人ですが、長くフランス語圏で暮らしてきた人です。今は一年の半分ほどをこの村で過ごし、残りの時間は別の国で暮らしています。

セマナ・サンタの料理は、今回が初めて作ったと言っていましたが、とても美味しく出来ていました。

カーニバルが終わり、村はまた少し静かな日常へ戻っていきます。季節はこれから春へと向かい、次はセマナ・サンタの準備が始まります。

こうして一年は、ゆっくりと次の季節へ進んでいきます。

最後までお読みいただきありがとうございました。


2026/03/15

3月8日(日) カーニバル最終日の村

村のカーニバルは、いよいよ最終日を迎えました。

前の晩、若者たちは夜遅くから朝まで思いきりカーニバルを楽しんでいたようです。そのせいか、朝の村は驚くほど静かでした。

普段ならどこかから人の声が聞こえてくる時間なのに、この日はまるで時間が止まったように、通りがしんとしています。祭りの翌朝らしい、少し気だるい静けさです。

そんな日の始まりは、チョリソでした。

村ではカーニバルの最終日に、無料でチョリソが振る舞われます。スペインの村では、祭りの時にこうして食べ物が配られることがよくあります。

夏のフェリアでは、大きな鍋で作るパエリアが定番です。祭りと食べ物は、やはりどこか切り離せないものなのでしょう。

この日もまず、友人二人と闘牛場の横にあるバルで待ち合わせをしました。軽く一杯飲んでから、チョリソをもらいに行きます。プラ皿にのせてもらった熱々のチョリソを持って、またバルへ戻り、ビールと一緒にいただきました。

こういう食べ方は、いかにもスペインらしい気がします。特別な料理ではありませんが、外で友人と話しながら食べると、なぜかとても美味しく感じるのです。

夕方6時半ごろからは、カディスのコンパルサ(カーニバルの歌のグループ)がパフォーマンスをする予定でした。少し見てみたい気もしていたのですが、その頃になると細かな雨がぱらぱらと降り始め、空気も一気に冷えてきました。

ビールでお腹も満たされていたこともあり、この日は無理をせず、少し早めに家へ帰ることにしました。

帰り道、これからパフォーマンスへ向かう村のコンパルサのメンバー数人とばったり会いました。皆すでに衣装を着ていて、祭りらしい雰囲気です。せっかくなので、一緒に写真を撮ってもらいました。

ただ、今年のカーニバルは、正直なところ以前ほどの人出ではありませんでした。村の人たちともそんな話をしていたのですが、やはり若い人たちがあまり帰ってこなくなっているようです。

昔はこの時期になると、町を離れている若者たちが戻ってきました。しかも彼らは友人を連れて帰ってくるので、村は一気に賑やかになります。通りもバルも人であふれ、夜遅くまで笑い声が続いていました。

そうした光景は、少しずつ少なくなってきているように感じます。

そしてカーニバルが終わると、スペインでは次の季節が始まります。

次にやって来るのは「セマナ・サンタ(聖週間)」です。

村の時間は、また次の行事へ向かってゆっくりと動き始めます。

最後までお読みいただきありがとうございました。


2026/03/14

カーニバル土曜の夜、そして日曜日の朝の雲海

昨夜は村のカーニバルを少し見に出かけました。家を出たのは夜8時ごろだったと思います。

村の闘牛場の前には小さなステージが設置され、カーニバル名物のコンパルサ(comparsa)が歌を披露していました。コンパルサというのは、数人のグループでハーモニーを重ねながら風刺の歌を歌うもので、スペインのカーニバルではよく見られるパフォーマンスです。

ところが、しばらくすると雨が降り始めてしまいました。

「これ以上ここでは無理だろう」ということで、会場は急きょスーパーの前にある広場へ移動することになりました。

その場所には本来ステージやスピーカーもきちんと設置されているのですが、この時間帯は使う予定になっていなかったため、音響機材がつながっていませんでした。歌い手たちは大きな声で歌っているのですが、私が立っていた場所まではほとんど声が届きません。

さらにその反対側では、子どもたちが遊ぶ空気式の遊具があり、そこへ空気を送り込む機械が「ゴーッ」と大きな音を立てています。そこに加えて、スペイン人たちの会話の声。とにかく皆よくしゃべり、しかも声が大きいのです。

日本なら、誰かがステージで何かを始めれば、自然と周囲が静かになる場面だと思います。ところがこちらでは全くそんなことはありません。

人々は普通に話し続け、会場はずっとにぎやかなまま。結局、ステージの前にいないと歌はほとんど聞き取れない状態でした。

しばらく見ていましたが、結局その場は切り上げて、近くのバルへ行くことに。

もともとは友人と二人で出かけたのですが、途中で別の友人にも会い、気がつけば6人ほどの小さな集まりになっていました。カーニバルなので仮装をしている人もいましたが、今年はまだ少なめ。もう少し遅い時間になると、もっとたくさん人が出てくるのでしょう。

実は毎年、私はドラえもんの格好をして参加していました。ところが今年は何も着ていかなかったのです。すると会う人会う人に、

「ドラえもんはどうしたの?」

「今日はドラえもんじゃないの?」

と声をかけられました。どうやら、みんな少し期待してくれていたようです。

2024年カーニバル

ただ、あのドラえもんの衣装は全身つなぎなので、ビールを飲むとトイレがとても大変なのです。いちいち全部脱がなければならないし、人が多い時は特にトイレが綺麗じゃなくなるんです。なので、なかなか面倒でもあって、今回は普通の格好にしてしまいました。

それでも友人たちと飲みながら、にぎやかな夜を過ごしました。

帰り道には、グループでテーマを決めた仮装をして歩いている人たちにも出会いました。

中にはバスの形の乗り物を作って、その中に人が乗り込みながら移動しているグループもいて、警察に止められている場面もありました。そんな光景も、いかにもカーニバルらしいものです。

友人の一人は、赤い修道女のような衣装を着ていました。

それを見た他の友人が、こう説明してくれました。

「あれは政治への風刺なのよ。女性は家にいて子どもを育てて、夫が望めばいつでも従う、そんな昔の価値観を皮肉っているの」

カーニバルの仮装は、ただふざけるだけではなく、政治や社会をユーモアで批判する意味もあるのです。

その話を聞いて、私は冗談半分にこう言いました。

「スペイン男性はいくつになっても奥さんとそういう行為をしたいのね。日本なんて、夫婦でそんな情熱的なことにはそうならないと思うよ」

それを聞いてみんな笑ってました。そんな他愛ない会話をしていましたが、実際のところはどうなのか分かりませんね。

カーニバルの夜はまだまだ続くのですが、もう若くない私たちは少し早めに家路につきましたた。

そして今朝。

目を覚まして外を見ると、山の下に雲海が広がっていました。昨夜少し雨が降ったので、その湿気が朝の冷え込みで霧になり、谷を白く覆っていたのでしょう。とてもきれいな景色でした。

お昼頃には雲が上がり、空は曇り気味になりましたが、ところどころに青空も見えています。

今日は午後2時から、広場でチョリソのようなソーセージが振る舞われるそうです。おそらくビールも一杯ついてくるのではないかと思います。

昨夜は朝方まで飲んでいた人も多いようなので、今日はみんなゆっくりした雰囲気でしょう。それでも村では、まだ一日カーニバルが続きます。

これから少し様子を見に、また出かけてみようと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。


2026/03/13

3月7日(土) 寒さの中で始まった村のカーニバル

昨夜から村のカーニバルが始まり、どんな様子なのか少しだけ見に行ってみることにしました。

外に出てまず感じたのは、とにかく寒いということ。ここ数日は少し春の気配もあったのに、この日はまるで冬に戻ったような冷え込みでした。

スーパーに寄るつもりで家を出たのですが、その前にある仮設のクラブのような会場で、既に人が集まっていたので覗いてみることにしました。

そこで、今年のカーニバルで歌うグループ、女性チームと男性チームの「お披露目」の催しが行われる準備がされていました。

当然バルも始まっています。


舞台の前には人が集まり、出演する人たちは衣装もきちんと身につけ、メイクもして準備万端という雰囲気でした。

カーニバルの歌を歌うグループは、ここでは「コンパルサ」と呼ばれます。村の人たちにとっては、毎年楽しみにしている大切な存在です。

催しが始まったのは、夜9時半ごろだったでしょうか。

ところが、最初に始まったのは歌ではなく、スクリーンを使ったスライドでした。昔の写真や思い出の場面が映し出され、きっと村の人たちにとっては懐かしい内容だったのだと思います。

ただ、そのころには寒さがだいぶ身にしみてきました。じっと立って話を聞いているのがつらくなり、近くのバルに逃げ込むことにしました。

バルの中は暖かく、ほっと一息。ビールを一杯飲みながら、タパスを一皿だけ注文しました。

少し体が温まったところで、「もうそろそろ終わっているだろう」と思い、もう一度会場へ戻ってみました。

この日の順番では、最初に女性グループが歌い、そのあと男性グループが登場する予定でした。個人的には男性のグループを聞きたいと思っていたので、多少遅れて行ってもいいかと思っていたのです。

ところが戻ってみると、まだスライドが続いていました。

寒さも限界に近く、もうこれ以上待っているのは無理だと感じて、残念ですが家へ帰ることにしました。結局、歌は一曲も聞かないままです。

そして今日、土曜日。

昼間には子どもたちのパレードがあったようですが、私は仕事があったため見に行くことはできませんでした。外の空気は相変わらず冷たく、春というより、まだ冬の続きのような気候です。

今夜は本番のカーニバルパレードがあります。そのあと、広場では多くの人が集まって飲んだり踊ったりするはずです。

とはいえ、空は少し怪しく、雨が降りそうな気配もあります。

人出も、昔に比べると少なくなっているように感じます。以前はこの時期になると、村の外に住んでいる人たちも沢山帰ってきて、広場が人であふれるほどでした。けれど最近は、なかなか皆が同じ時期に戻ってくるのは難しいのかもしれません。

それでもカーニバルは、今夜と、そして明日も続きます。

最後までお読みいただきありがとうございました。