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【村の行事】2026年
祝日2月28日(土) Dia Andalucia、3月7日〜8日 カーニバル(予定)

2026/02/03

2月2日(月) 50万人合法化の話といちご

今日は雨が降ったり止んだり、時折太陽も出ました。

聞いていたほどの雨量ではありませんでしたが、明日はまた大雨だと聞きます。

この鬱陶しい季節が終わり、春になると、いちごがお店に並び始めます。

ですが、夜になると時折、2キロの箱を積んだ車がバルの前に止まります。店頭に並んでいるいちごより安いため、買う人は少なくありません。

私も買って、2キロは多いので、ジャムにしたりします。適当に作っても、これが意外と美味しいのです。

2022年4月、購入したいちご

いちごに限らず、いろいろな物が持ち込まれますが、ここでは特別なことではなく、よくある光景です。

そのいちごは、多くの場合、ウエルバから来ています。

そんな日常の風景の裏で、最近大きなニュースがありました。

スペイン政府が、国内にいる不法滞在者およそ50万人を合法化する方針を打ち出した、というニュースです。

バルセロナでは申請を待つ人たちの長い列ができ、その様子が報道されました。

数字として見る「50万人」はとても大きく、少し現実味がないようにも感じます。

けれど、その数字の中には、ウエルバのいちご畑で働いてきた人たちも含まれているでしょう。

これまで、不法滞在のまま働かざるを得なかった外国人労働者は少なくありませんでした。

では、今回の合法化で滞在資格を得た人たちは、これからもいちごを摘み続けるのでしょうか。

答えは、とても現実的です。

当面は、続ける人が多いと思われます。

すでに働いている農園があり、住む場所があり、収穫期のいちご農業は慢性的な人手不足です。

農園側にとっても、正式な形で雇えるのであれば助かる、という事情があります。

ただし、合法な滞在資格と就労許可を得ることで、選択肢は確実に広がります。

いちご摘みは体力的にきつく、季節限定で、賃金も決して高くありません。

これまで「ここでしか働けなかった」人たちが、建設や清掃、物流、介護など、別の仕事へ移っていくのも自然な流れです。

そして数年が経ち、ヨーロッパの居住権が取れれば、より条件のよい他の国へ移動する人もいるでしょう。

興味深いのは、農業側もそのことをある程度理解している点です。

全員が残るとは考えていません。

それでも、不法状態のまま働く人が減るのであれば、その方がよいと考えています。

今回の合法化は、人を縛りつけるための制度ではなく、不安定な状態を、少しだけ現実的な場所へ戻すためのものなのだと思います。

50万人という数字は、ニュースで見るととても重く感じられます。

けれど日常に目を向けると、雨が降ったり止んだりし、バルの前に車が止まり、箱いっぱいのいちごが売られていきます。

その風景は、これからもきっと変わりません。

ただ一つ違うのは、そのいちごを摘む人たちの立場が、以前より少し安定したものになるかもしれない、ということです。

そんな変化が、いま静かに始まっているように感じます。

最後までお読みいただきありがとうございました。

2026/02/01

2月1日(日) タパスの夜に思い出した、岩に刻まれた仏像

気がつけば、1月はあっという間に終わり、もう2月に入っていました。

今日は一日、寒さが印象に残る日でした。空はどんよりとした曇り空で、時おりほんの少しだけ雨が落ちてきましたが、本降りになることはありませんでした。それでも、体感的にはしっかり冷え込み、外に出ようという気にはなれず、結局ほとんど家の中で過ごしました。こういう日は、無理に動かず、静かに時間をやり過ごすのも悪くありません。

そんな今日とは対照的に、昨夜は友人たちと外に出かけました。

ビールとタパスを楽しむ、いつもの気軽な集まりです。

集まったのは三人で、全員フランス語圏の人たち。会話は自然とフランス語が中心になりますが、私のことを気遣って、ときどきスペイン語や英語に切り替えてくれます。

ただ、私はフランス語が飛び交う空間そのものが嫌いではなく、むしろ耳に心地よく感じることも多いので、そのまま聞いていることがほとんど。時々、簡単なフレーズを教えてもらったりするのも、ちょっとした楽しみです。

会話の中で、一人の友人が、月曜日からスリランカへ行く話をしてくれました。2〜3週間ほどの滞在になるそうです。

彼は1992年にも一度スリランカを訪れたことがあり、当時の写真をスマホで見せてくれました。観光地として整備されていなかった時代、バイクで岩に彫られた仏像を見に行ったのだそうです。少し色あせた写真には、岩肌に刻まれた仏像が静かに佇んでいて、その場の空気まで伝わってくるようでした。

その写真を見た瞬間、私の中でも、ふと古い記憶が呼び起こされました。

そういえば子どもの頃、大分県の臼杵で、岩に彫られた仏像を見に行ったことがあったはずです。何歳だったのかははっきりしませんが、たしか小学4年生くらいだったと思います。

今は便利なもので、その場でスマートフォンを使って調べ、画像を見せながら「これ、似ているよね」と話しました。仏教の造形というものは、国や時代が違っても、どこか共通するものがあるのだと、あらためて感じました。

そのとき見た臼杵の仏像は、子ども心に「とても大きい」という印象が残っています。もし今、同じ場所を訪れたら、どんなふうに感じるのだろう。そんなことを考えているうちに、また機会があれば、こうした場所を訪ねてみたいという気持ちが、静かに湧いてきました。

スリランカはとても良いところだと友人は言っていました。人も穏やかで、魅力のある国なのだそうです。正直なところ、これまで自分が積極的に行きたいと思ったことはあまりありませんでしたが、彼が旅から戻ってきたら、またゆっくり話を聞いてみたいと思っています。

旅の話というのは、不思議と、聞いているだけでも心を遠くへ連れて行ってくれるものです。

最後までお読みいただきありがとうございました。


1月31日(土) 枝の落ちた公園で考えた、年を重ねてからの海外移住

風は少しあるものの、雲の切れ間からわずかに晴れ間がのぞいていたので、久しぶりに散歩に出ることにしました。

歩き始めてしばらくすると、空のあちこちに黒い雲が浮かんでいるのが目に入り、傘を持ってきた方が良かったかな、とも思いました。

公園に入ると、地面には大きな枝がいくつも落ちています。最初は昨夜の風で折れたのかと思ったのですが、よく見ると切り口がきれいで、人の手で事前に切り落とされたものだとわかりました。強風に備えて、あらかじめ整理されていたのでしょう。

地面はまだ湿っていて、水たまりがところどころに残っています。風がないときはそれほどでもありませんが、ひとたび風が吹くと、濡れた地面から冷気が立ち上ってくるようで、一気に身体が冷えます。

昨夜も夕方五時ごろから雨が降り出しましたが、今朝には上がっていました。天気予報では、昼頃から曇りに変わるものの、雨のマークはなく、明日も曇り。けれど、月曜日からはまた雨が戻ってくるようです。

そんなことを考えながら歩いているうちに、ふと、昨夜SNSで目にしたある話題を思い出しました。アンダルシアに住んでいるという方が、日本で話題になっているニュースについて触れていたのです。

それは、アメリカに長く住んでいた高齢のご夫婦が、最終的に日本に戻る選択をした、という内容でした。そのことが「制度を利用している」として批判を受けている、というものでした。

その投稿では、ご本人のお母様が72歳のときにスペインへ移住した経験が語られていました。特に費用を払うことなく医療制度に加入でき、また医療も充実していて素晴らしい、という趣旨でした。

読んでいて、確かにそういう時代はあったのかもしれない、と思いました。同時に、少し違和感も覚えました。この方がこちらにいらした頃は、1ユーロ90円代だったそうです。今の価値のほぼ倍です。

その頃は、制度も今よりずっと緩く、スペインらしく大らかで、いい加減なところがありました。物価も安く、日本の年金の額面が、こちらで十分生活できるものだった時代です。

けれど、今は状況がまったく違います。為替が変わり、同じ年金額でも実質の価値は大きく下がっています。物価は上がり、家賃もかかる。年金ビザを取るための条件も厳しくなりました。確か高額な医療保険にも入らなくてはいけなくなったはず。

さらに、高齢になってからの移住には、言葉の問題、手続きの煩雑さ、医療へのアクセスなど、現実的な壁がいくつも立ちはだかります。

実際、こちらでは「知り合いがいるかどうか」で物事がスムーズに進む場面が少なくありません。病院でも役所でも同じです。通訳を頼めば費用はかさみ、すべてを一人でこなすのは簡単ではありません。娘さんや家族がそばにいて、支えてくれるからこそ成り立つケースが多いのだと思います。

イギリス人の知人たちを見ていても、「帰るタイミング」を逃した人ほど苦労しています。子どもが中学生に上がると同時に帰国する人、孫が生まれるタイミングで戻る人。物価の高いイギリスに戻る選択ができるのは、資産や家族の支えがあるからです。

高齢になり、体力が落ちてから自国へ帰ろうとしても、家族の受け入れも叶わなず、一人で異国に残る選択をせざるを得ない場合の大変さは、想像以上だと思います。

それでも、この土地には、この土地なりの良さがあります。天気のいい日には、バーに行けば誰かがいて、言葉を交わし、笑い合える。たとえ生活が楽でなくても、人の気配と太陽の光が、心を少し軽くしてくれることもあります。

だからこそ思うのです。高齢で異国に移住するのは、身近にサポートしてくれる人がいてこそ、成り立つことなのだと。そうでなければ、斡旋業者などに多額の費用を支払う羽目になることもあります。

やはり慎重になるべきであり、それは制度の問題だけではなく、日々の暮らしの現実として考える必要があります。

若いうちに外の世界を見て、経験を積み、生活の拠点を見つけ、そして老後に暮らす場所を選ぶ。その過程で得た視野や知識は、きっと無駄にはなりません。

一部の例だけを切り取って判断するよりも、それぞれの人生の背景に目を向けてみる。そんな考え方も、一つの大切な視点かもしれません。

散歩の終わり頃、太陽は出ているのに、冷たい風が吹き続けていました。

晴れてはいるけれど、身にしみる寒さ。

そんな一日でした。

最後までお読みいただきありがとうございました。


2026/01/30

1月30日(金) 小さな揺れがあった朝の村

昨日まで続いていた雨は、今朝はいったん止んでいました。ただ、空はまだ重たく、午後からまた降り出すらしい、という予報です。いつものこととはいえ、すっきりしない天気が続くと、気分まで少し湿ってきます。

雨は止んでいるものの、風がとにかく強く、地面には折れた小枝や葉がたくさん落ちていました。頭に当たると危ないので、フードを深くかぶって歩きます。多少は衝撃を和らげてくれるだろう、と自分に言い聞かせながらの散歩です。

ここ一週間ほど、ほとんど外に出ていなかったので、身体も気持ちも少し鈍っているのを感じます。様子見のつもりで、今日はほんの短い距離だけ歩くことにしました。

歩いていると、サイレンを鳴らさない救急車が静かに通り過ぎていきました。この村の救急車は、よほどの緊急でない限り、音を鳴らしません。人口二千五百人ほどの村に、公的な救急車は二台。夜間や緊急時には、こうして静かに動き出します。

必要とあらば、ヘリコプターでマラガの病院まで運ばれることもあります。公的医療は基本的に無料ですが、手術などは順番待ちが長く、白内障の手術でも何年も待つことがあると聞きます。

プライベート医療という選択肢もありますが、ここからだと病院まで車で一時間半。距離を考えると、現実的ではない気もしています。

それでも、公的医療が待ちきれない場合は、何千ユーロもかけてプライベート病院で治療を受ける人もいます。そんな医療事情もここにはあるのです。

足元に目をやると、オリーブの実がたくさん落ちていました。誰も収穫しない木なので、風雨のたびにそのまま地面に落ちていきます。

川の様子も気になり、高台から眺めてみました。水位はまだ高いものの、ピークは過ぎたようで、少し安心しました。

雲の流れはとても速く、ふとした瞬間、雲の切れ間から太陽が顔を出します。ほんのわずかな陽射しなのに、思わず「気持ちがいい」と声に出したくなるほどでした。

実は今朝、もう少し寝ていようと思っていました。昨夜、クラウドに残っていた自動編集の動画をいくつかダウンロードしていたのです。

GoProのサブスクリプションはすでに解約していて、「残り一日でデータが消えます」という最後の通知が届いていました。ダウンロードした動画を見返すと、「ああ、こんなの撮っていたな」と懐かしくなり、つい時間を忘れてしまいました。

そんな浅い眠りの中で、明け方に、ドンという音と一緒に、わずかな揺れを感じた気がしました。目を覚まして周囲を見ても、カーテンも照明も揺れていない。気のせい、あるいは夢だったのかもしれません。

ただ、この辺りでは、大雨が何日も続いたあとに、ごく小さな地震が起きることがあります。地盤が緩んだせいだろう、と言われています。思い返すと、これまでにも何度かそんなことがありました。大きな地震はほとんどない土地ですが、それでも自然は油断させてくれません。

雨続きのせいで、家の木製のドアが湿気を含み、きちんと閉まらない部屋があります。無理に閉めて、完全に開かなくなってしまっては困るので、半開きのままにしています。寒さと引き換えに、今はそれが一番無難な選択です。

散歩の帰り、八百屋さんとパン屋さんに立ち寄りました。早い時間だったので、すぐに買い物はできましたが、振り返ると、あっという間に人が並んでいます。ここの個人商店は対面式なので、一人ずつ終わるのを待つしかありません。早く来て正解でした。

店先では、今朝の揺れの話題になりました。私だけの気のせいだと思っていたのですが、何人もが「確かに揺れた」「怖かった」と言います。やはり、あれは地震だったのだと、その時に確信しました。

帰宅してから、もしもの時の動き方を、頭の中で少し整理しました。木製のドア、頑丈な鍵、どこから出るか。寒さを我慢してでも、作業場所を玄関のドアに近い部屋へ移したほうがいいのかもしれません。

大げさに構えるほどではないけれど、「考えておく」ことはやはり大切だと思います。

雨の合間に差し込んだ、あの一瞬の陽射しを思い出しながら。

今日もまた、静かに村の一日が進んでいきます。

アーモンドの花

最後までお読みいただきありがとうございました。


1月29日(木) USキーボードと芭蕉の一句

今日も一日、雨でした。

昨日ほどの激しさはないものの、窓の外を見ると、風に押されて雨が斜めに流れています。まるでカーテンが揺れているかのようで、時おり雨音も聞こえてきます。それでも、昨日の荒々しさに比べれば、ずいぶん穏やかに感じられました。

そんな天気でしたが、午前中に少しだけ外出しました。アマゾンから届いている荷物を郵便局に受け取りに行くためです。傘をさしていても横から雨が吹き込んできますが、思っていたほどひどくはありませんでした。

受け取ったのは、新しいキーボードです。これまで使っていたのは同じメーカーの白いキーボードで、長く使ううちにアルファベットの印字がほとんど消えてしまいました。油性ペンで書き足したこともありましたが、使っているうちにそれも取れてしまいます。

文字が見えなくても入力自体はできるのですが、困るのはパスワードを入力するときです。何度も打ち間違えるのはさすがに不安で、思い切って買い替えることにしました。

今回選んだのは黒いキーボードで、電池式ではなく充電式。配列はUS式です。コンピューターを買い替えたとき、本当はUS配列が欲しかったのですが在庫がなく、日本語配列を選びました。そのため、外付けのキーボードだけはUS配列を使っています。

キーボードを受け取ったあと、銀行に立ち寄り、その流れで八百屋さんへ行こうとしました。ところが、近道に使っている細い歩道が、警察のテープで通行止めになっていました。車道ではなく、人が歩くための道です。

この村には古い空き家が少なくありません。雨の影響でどこか崩れたのかと思いましたが、よく見ると、屋根の上に立っている高いテレビアンテナが、風にあおられて大きく揺れていました。落下の危険があるための通行止めだったのだと思います。

仕方なく別の道を通ると、ちょうど友人のホアニートに会いました。今日は仕事ではなく、役場に用事があって来ていたそうです。時間はちょうどお昼頃でした。

「コーヒーでも飲もうか」と言うと、「この時間ならコーヒーじゃなくてビールでしょ」と即答されました。仕事がある身としては少し迷いましたが、結局「一杯だけ」ということで、軽くビールを飲み、少しおしゃべりをして帰ってきました。

午後は英語のレッスンがあり、そのあと日本語のレッスンもありました。ウエルバに住む友人が日本語を勉強したいということで、週に一度、45分ほど一緒に学んでいます。

彼女の学習姿勢には、いつも感心させられます。教材はすべて自分で用意してくるのです。私が一方的に教えるというより、彼女が持ってきた教材をもとに、一緒に考えながら進めるスタイルです。

彼女はスペインの学校で先生をしていますが、スペインの授業では、生徒がとてもよく発言するそうです。黙って聞くだけではなく、質問をしながら授業が進んでいく。その感覚が、日本語の学習にも自然に表れているのだと思います。自分が興味を持ったことを中心に学ぶので、内容も毎回少し意外です。

最近は、最後に必ず一句、俳句を取り上げます。しかも芭蕉の俳句です。スペイン語で解説された芭蕉の本を用意していて、そこにアルファベット表記の日本語で書かれた俳句を、私に読んでくれます。

「須磨寺や ふかぬ笛きく木下やみ」今日はこちらでした。

最初は聞いても、何を言っているのかさっぱり分かりません。ゆっくり読んでもらい、音を拾いながら検索して、なんとか漢字を特定し、俳句を探します。その後、解説を読み、私が彼女に説明します。

解説を読んですぐに理解できることもあれば、読んでもなかなか腑に落ちないこともあります。それでも、俳句を声に出して読み、彼女に聞いてもらうと、わずかな言葉の中に豊かな世界が詰まっていることをあらためて感じます。

その表現が、自分の中にある日本語の背景として息づいているのだと思うと、少し誇らしく、そして静かな感動を覚えます。

国語の授業で習ったはずの俳句なのに、記憶はほとんど残っていません。これを機に、私自身も芭蕉について、もう少し学んでみようかな、そんなことを思った一日でした。

最後までお読みいただきありがとうございました。


2026/01/29

1月28日(水) 川の水位と、少し短くなった髪

今日も一日、雨でした。

特に午前中はひどく、これはもう外に出るのもためらうような降り方でした。そんな中、今日は美容院の予約が入っていました。家を出る直前まで、この雨の中を移動できるのだろうかと、少し気が重くなっていました。

けれど不思議なことに、出発する頃になると雨は小ぶりになり、風も少し弱まりました。車は家の前には停められないので、車まで少し歩きます。そのため、風のある雨の日は特に辛いのです。

美容院までは歩いても10分ほどの距離ですが、この雨風ではやはり車を使いました。それでも、行きも帰りも、ちょうど雨の弱い時間帯に当たったのは幸運でした。

雨はその後も降り続き、川の水位は一気に上がってしまいました。各地で被害が出ているようです。

川沿いに住む知人が写真を上げていて、それを見ると、家の周りどころか室内にまで水が入り込んでいました。また別の場所では、川からかなり離れた土地にまで水が回り、地面一帯がぐしゃぐしゃになっている様子でした。家そのものは無事だとしても、あの光景を見ると胸が痛みます。

被害はそれだけではありません。ロンダ方面へ向かう道路では、土砂が流れ込み、一時的に通行できなくなったそうです。すでに撤去はされたようですが、あちこちで同じようなことが起きていると聞きます。

さらに、カサレス村に住む知人の家の近くの様子を写した動画が回ってきました。連絡してみると、やはり彼女の家の前とのこと。山からの土砂がどんどん道に流れ出ていました。警察から車を移動するよう要請があったそうですが、そんな中でも高校生の息子さんはスクールバスで学校へ行ったそうです。

ちなみに、コルテス村の学校は、今日は休校でした。

私の住む村は山の中腹にあり、水は上から下へ流れていく地形なので、今のところ大きな被害は出ていません。それでも安心はできません。天気予報では土曜日はいったん雨が止むようですが、その後また雨が続くとのこと。川の水が少しでも早く引いてくれることを祈るばかりです。

美容院では、ほかにもう一人お客さんがいて、静かな時間が流れていました。話題の中心は、やはりこの雨の影響です。洗濯物が乾かない、というのも大きな悩みのひとつです。

髪の根元を染めてもらい、少しだけカット……のはずが、ちょっと切りすぎたかな〜。でも、10歳は若返ったように見えます。

今日は良い感じに仕上がっていますが、きっと数日経つと、短くなったところが跳ね出してくる気がする。でも、どうせまたすぐ伸びるので問題ありませんね。

明日も雨の予報です。せめて風が止んでくれるなら、バルにでも行こうという気持ちになるのですが……。

バルに行けないことよりも、川の水がこれ以上増えないこと、そして被害がこれ以上広がらないことを願いながら、ゴーゴーと鳴る風の音を聞いて夜を迎えています。

最後までお読みいただきありがとうございました。


2026/01/27

1月27日(火) 横殴りの雨と、rough という言葉

 今日も一日、強い雨が降っています。

外を見ると、雨が横に流れて、まるで風に揺れるカーテンのようです。

黄色の警報はまだ続いていて、明日は赤になるかもしれないそうです。

隣村に住む友人は川沿いの家なのですが、水位が上昇し、家のすぐ近くまで水が迫っているらしく、村役場の方から避難要請があったと聞きました。

夜になって雨脚はいったん弱まりました。

少しは水位も下がったのではないかと思いますが、明日はまた強い雨の予報です。予断は許されません。

そんな一日だったので、今日は外に出ず、家で仕事をしていました。

静かな雨音の中で作業をしていると、ふと、以前から気になっていた英語表現を思い出しました。

きっかけは、“Diamond hidden in the rough” というフレーズです。

「原石に隠されたダイヤモンド」。

荒削りで目立たないものの中に、本当の価値が潜んでいる、という意味の表現です。

ここで使われている “rough” は、「未加工」「粗い」という、比較的中立的な意味合いです。

ところが、この “rough” が気になって辞書を引いてみると、思いがけない別の表現に出会いました。

“a bit of rough” 

そこには、“British English, slang” と書かれていました。

説明には、

「上の社会階級の人が関係を持つ、身分の低い相手」

とありますが、意味は分かるようで、どこかつかみどころがありません。

実際の用例を見てみると、この言葉の性格が少しずつ見えてきます。

“Her friends whispered that the man she was seeing was a bit of rough.”(彼女が付き合っている男性は「身分の低い相手」だと友人たちがひそひそ話していた)

“In those days, a woman from a wealthy family dating a bit of rough caused quite a scandal.”(当時、裕福な家庭の女性が「身分の低い男性」と関係を持つのは大きなスキャンダルだった)

“The tabloids loved stories about actresses who took a bit of rough.” (タブロイド紙は、女優が「身分の低い相手」と関係を持ったという話が大好きだった)

ここで重要なのは、

“a bit of rough” は「お金をもらっている相手」を指す言葉ではないという点です。

いわゆる「ヒモ」や「ツバメ」のような、経済的に依存している関係とは、本質的に異なります。

むしろこの表現が示しているのは、肉体的・階級的な「刺激」です。

上品で秩序だった世界に生きる女性が、あえて「粗野で階級の違う男」と関係を持つ。

そこには、見下しの視線、危うさへの好奇心、社会的タブーとしてのスキャンダル感、が重なっています。

だからこそ、この言葉はほとんどの場合、当事者ではなく、周囲が噂話として使う表現になります。

男性が自分について、“I am a bit of rough.” と言うことは、基本的にありません。

また、この表現がほぼ女性側にしか使われないのも、イギリスの階級社会と性別規範が背景にあります。

上流男性が下層階級の女性と関係を持つことは、歴史的にそれほど「事件」ではありませんでした。

一方で、上流階級の女性が労働者階級の男性と関係を持つことは、強い逸脱として注目され、噂になりやすかったのです。

そのため “a bit of rough” には、下品・差別的に響きやすい、皮肉やゴシップ、タブロイド的文脈で使われる。

そのため、日常会話やフォーマルな場では避けるべき、という明確な使用上の注意があります。

日本語で感覚的に近いのは、

「庄屋の娘と丁稚」

「地主の娘と庭師」

といった、昔の身分社会の構図でしょう。

同じ “rough” という単語でも、

“Diamond hidden in the rough” では「価値を秘めた原石」を意味し、

“a bit of rough” では「刺激として消費される、階級の違う他者」を指します。

言葉は中立な記号ではなく、それを使う社会の価値観や偏見を映し出したりするんですね。

雨音を聞きながら辞書をめくっていて、そんなことを考えた一日でした。

最後までお読みいただきありがとうございました。


2026/01/26

1月26日(月) 雨の警報と、日本のカレー

朝、雨が小降りだったので「よし、散歩に行こう」と思い立ち、玄関を出て少し歩きました。けれど風が急に強く吹き出して、慌てて家に引き返すことに。強い風の日は、どうしても傘が心配になります。すぐ壊れてしまいそうで。。。

昔は、愛犬と一緒にどんな横殴りの雨でもカッパを着て散歩に出かけたものです。あの頃の私は、雨や風ごときに負けない気持ちだったなぁと、ふと思い返しました。

そのうち雨はだんだん強くなり、結局今日も一日雨。というか、今週はずっと雨のようです。去年の今頃の写真を見返してみると、そこにはすっきりとした青空が写っていました。同じ季節でも、年によってこんなにも違うものなのですね。

昨年

午後には、役場から黄色サインが出されました。川の近くに住んでいる人は気をつけてください、という注意喚起です。

これはスペインの気象庁が出す「黄色の警報」で、大きな危険ではないものの、油断はしないように、というレベルだそうです。今回は、これから60時間ほど注意が必要とのことでした。

こんな日はバルにでも行って一杯飲みたいところですが、仕事が忙しく、外に出ることができませんでした。その代わり、今日はカレーを作りました。

夜も少し遅めの時間に、ゆっくりと味わう自分のためのカレー。やっぱり日本のカレーは最高です。雨音を聞きながら、そんなことを思いながら食べた夜でした。

最後までお読みいただきありがとうございました。


2026/01/25

1月25日(日) 雨音とガスボトルの重さ

 今日は一日、雨が降り続いています。

ときおり強い風は吹きますが、嵐と呼ぶほどではなく、ただ静かに、しつこく降り続く雨です。

金曜日にガスボトルの配達を頼んでいました。ところがその日は雨脚が強く、しかも冬は配達が最も忙しい時期です。

結局、配達はありませんでしたし、連絡も特にありませんでした。ここでは、それも珍しいことではありません。

月曜日の夜までにデリバリーしてもらえれば良いかなっと、半ば諦めるような気持ちで思っていたところ、土曜日の夕方になって電話が鳴りました。

「今、お宅の前にいます」

その一言を聞いた瞬間、胸の奥がふっと緩みました。

暖房に使っているガスは、月曜日まではもつだろうと思っていたのですが、実際には土曜日の夜に使い切ってしまったのです。

もしこのタイミングで配達がなければ、小さな電気ストーブだけで、冷え込む夜を何日かやり過ごさなければならなかったかもしれません。

ガスボトルはとても重く、配達の方の負担は相当なものです。うちは二階なので、階段を上って運んでもらうのは申し訳なく感じます。そのため、ボトル代とは別に、ほんの気持ちばかりですが、お心付けを渡しています。

設置の際は、輪の付いた台の上に載せてもらい、家の中はそれを押して運びます。

それでも最後は、どうしても持ち上げて据え付けなければなりません。てこの原理を使いながら何とか設置していますが、この作業を、あと何年続けられるのだろうか、とふと考えることもあります。

自分の身体、とくに腰を大切にしなければ、とあらためて思わされます。

雨音を聞きながら、ガスの暖かさに包まれて過ごせる夜があることを、今日はいつもより少しだけありがたく感じています。

最後までお読みいただきありがとうございました。


2026/01/24

1月24日(土) 山に雪が積もった寒い一日

時計を見ると、9時30分を少し過ぎたところでした。今日は少し早く目は覚めていたのですが、布団の中でぐだぐだしてしまい、外の様子も見ないまま時間だけが過ぎていました。

バルコニーのドアを開けた瞬間、思わず声が出ました。

雪が降っています。

村の中ではなく、裏山のほうですが、白くなった斜面がはっきりと見えます。

昨夜は激しい雨に加えて、嵐のような風が吹いていて、「これはどうなるんだろう」と思いながら眠りについた夜でした。まさか雨がやんで、雪になるほど冷え込むとは思ってもいませんでした。

慌てて支度をして、散歩に出ることにしました。

傘がいるだろうかと考えながら手に取り、せっかくだからGoProを持ち、セルフィースティックに取り付けると、両手はすっかり塞がってしまいました。

歩き始めると、指先がじんじんと痛くなってきます。確かに、雪が降るだけの寒さです。もしこの冷え込みが続けば、村の中にも雪が降るかもしれません。

一年の中で、やはりこの時期が一番寒いのでしょう。

そんな寒さの中でも、倒れたアーモンドの木には、日ごとに花の数が増えています。驚くほどの生命力です。

今日は土曜日。

平日なら、7時半ごろには多くの人が仕事に出かけ、雪にすぐ気づいたはずですが、今日は気づくのが遅い人も多いかもしれません。とはいえ、雪の日に仕事で外に出なくてよいのはきっと皆んな喜んでるでしょう。村を出るには峠道を車で越えなければならないので、雪が降るとやはり危険です。

村に雪がしっかり降ったのは、もう9年も前のことになります。

2017年1月19日

ちょうど今と同じような時期で、そのときの写真は、以前ブログにも載せました。最近は、スマートフォンやSNSが「◯年前の今日」といった思い出を勝手に引っ張り出してくれます。友人たちと、「9年前の今日、村に雪が降ったよね」とやり取りをするのも、いかにも今の時代らしい光景です。

歩いていると、コルクの木から水がぽたぽたと落ちているのに気づきました。

もしかすると、夜中に村にも少し雪が降って、すでに溶けてしまったのかもしれません。山の上は、今もきれいに白くなっていますが、太陽が顔を出し始めたので、この雪もきっとあっという間に消えてしまうでしょう。

それでも、もう一度くらい、村に雪が降ってくれたらいいのに、と思ってしまいます。

こんな寒い日でも、アイリスはしっかりと花を咲かせています。

昼になり、イザベルと一緒に食事に出かけました。

向かったのは、カフェテリア・マリア。店内ではなく、風除けのあるテラス席です。寒さはありましたが、中は人が多かったので、二人とも自然と外を選びました。

週末は定食メニューがないため、アラカルトメニューです。

前菜に地元の山で採れるきのこを使ったオムレツのような一皿を頼み、

メインは骨付きのラムの足を一本。日本ではあまり見かけない豪快な盛り付けで、これが一人一皿だったら少しひるむかもしれませんが、二人で分けてちょうどいい量でした。

ビールを飲み、デザートにエクレアとコーヒー。たまには、こういう昼食も悪くありません。

雨は降らず、ただ静かに寒い一日でした。

さて、明日はどうなるでしょう。また雪が降るのでしょうか。

最後までお読みいただきありがとうございました。


2026/01/23

1月23日(金) 村に吹き抜ける風、そして列車の話

昨夜はしっかりと雨が降っていたので、今朝もそのまま雨が続くのではないかと思っていました。ところが、目を覚ますと空には意外にも青空が広がっていました。

ほっとしたのも束の間、外に出てみると、雨は上がっているものの、今度は風がとても強い。谷あいから吹き上げてくる風が、身体に直接ぶつかってきます。思わず、手袋をしてくればよかった、と後悔しました。

この村は、周囲に風を遮るような建物や壁がほとんどありません。そのため、風は容赦なく谷から吹き抜けてきます。油断すると、文字どおり吹き飛ばされそうになるほどです。それでも、歩けないわけではないので、気をつけながら散歩に出ることにしました。

散歩に出る前、少し用事があって車を動かしました。こちらではディーゼル車が多いのですが、私はガソリン車に乗っています。燃費は悪くありませんし、今のところ特に不便も感じていません。

ガソリンスタンドの横にあるバルが開いているのを横目に見ながら、コーヒーを飲んでいこうかと一瞬迷いましたが、結局そのまま帰宅しました。少ししてから、あらためて散歩に出直したのです。

強い風に身をすくめながら歩いていると、ふと、昔住んでいた香港のことを思い出しました。あちらでは、建物の壁から大きな看板が突き出しているのが当たり前で、風が吹くたびにそれらが大きく揺れていました。今はだいぶ減ったと聞きますが、当時は見上げるたびに、落ちてきたらどうしようと怖かったものです。

それに比べると、この村には看板らしい看板はありません。その代わりに心配なのは、強風で折れた木の枝が落ちてこないか、ということです。自然の中に暮らしている以上、そうした不安は避けられません。

足元に目をやると、黄色い花が咲き始めているのに気づきました。太陽がしっかり当たると、花は大きく開き、日が傾くとまた静かにつぼみを閉じる。そんなことを毎日繰り返す花です。

アーモンドの花も、桜を思わせる淡いピンク色で、同じ時期に咲き始めています。

まだ冬の真っただ中ですが、雨の多い季節なので村は一面の緑に包まれ、花の季節がやってきます。

歩きながら、最近の列車事情についても考えていました。先日の列車事故の影響で、マドリード方面へ向かう路線が通常どおり運行できていません。調べてみると、事故現場付近から先は、バスによる代替輸送になっている区間があるようでした。

Renfeのサイトから

このあたりを走る特急列車はもともと本数が少なく、さらに運休や減便が重なると、移動の計画は一気に難しくなります。貨物列車はどうなるのか、途中からトラック輸送に切り替わるのか、そんなことも気になりました。

少なくとも、ローカル線は今のところ通常どおり動いているようですが、夜になると貨物列車の音が遠くまで響くので、ちゃんと運行しているのか、今度耳をすまして聞いてみようと思います。

スペイン国内を列車で移動する予定がある方は、いつも以上に時間に余裕を持った計画が必要です。バス輸送が入ると、一度に運べる人数にも限りがありますし、乗り継ぎにも今まで以上に時間がかかるでしょう。

過去にも、洪水によって列車の運行が止まったことがありました。その時、アルヘシラス駅からコルテス駅まで代替バスに乗ったのですが、乗れなかった人もいたりして、かなり混乱していました。早い復旧を願うばかりです。

午後になると空は次第に曇り始め、夕方にはまた雨が降り出しました。やがて嵐のような雨が叩きつけてきて、金曜日の夜なのでバルにでも行こうと思っていましたが、外出できる状況ではありません。

ガスボンベの配達もお願いしているのですが、この雨では来ないかもしれません。もしガスが切れてしまうと、週末を迎えるのに少し困ってしまいます。どうしたものか。。。

最後までお読みいただきありがとうございました。


1月22日(木) 雨の季節、アーモンドの花が告げるもの

気がつけば、もう木曜日です。一週間があっという間に過ぎていきます。

昨夜は、「嵐」と呼びたくなるような天気でした。風と雨が一気に強まり、外は荒れ模様。音を立てて吹き荒れる風に、夜の静けさがすっかりかき消されていました。

そして今朝も空は重たい雲に覆われ、いつ雨が降り出してもおかしくない様子です。それでもひとまず雨は上がっていたので、様子を見ながら短い散歩に出ることにしました。

公園に入ると、案の定、地面はぐしゃぐしゃ。靴底がぬかるみに取られそうになりながら歩きます。

昨日からお天気が崩れ、これからもしばらくは雨が続くよう。ほんの少しでも太陽が顔を出してくれたらいいのに、と思いながら空を見上げました。

寒さも、なかなか堪えます。雨で濡れた大地から立ちのぼる冷たい空気に、さらに風が重なると、実際の気温以上に冷たく感じます。体感温度がぐっと下がり、手先がじんじんしてきました。

そんな中、向こうから犬がやってきました。多分ダックフンドでしょうか、見た目は小さめでも声が低くてよく通るので、姿以上に大きな犬がいるように感じます。よく吠える犬で、ちょっと警戒しながらすれ違いました。

犬の姿を見ると、自然と愛犬のことを思い出します。

あの子はボクサー犬で、他の犬と仲良くするのが得意ではありませんでした。ただ、しっぽを振って近寄ってくる雄の小型犬には、なぜか嬉しそうに反応していました。

大型犬の雄犬はもちろん、雌犬も苦手。散歩中に他の犬が来ると、注意をそらすのが一苦労でした。家で生まれ育った犬だったので、食べ物に困ったことがなく、おやつで気を引くことができませんでした。

その代わり、ボールが大好きでした。いつもポケットにテニスボールを忍ばせていて、他の犬が視界に入ると、ボールを弾ませる。すると、不思議なほどすっと意識がそちらに向き、気持ちをそらすことができたのです。。

そんなことを思いながら歩いていると、ふと視界に、昔、風で倒れた木が目に入りました。今も傾いたままですが、それでも毎年ちゃんと花を咲かせます。アーモンドの木です。

アーモンドの花は、桜によく似ています。白に近いものもあれば、ほんのりピンクがかったものもあり、太陽の当たり方によって、咲く時期にも差が出ます。一昨日、海側のほうへ出かけたときには、すでに花をつけている木を何本か見かけました。

「ああ、もうそんな時期なのか」

毎年見ているはずなのに、少し驚いてしまいます。

この辺りでは、1月下旬になると山全体が淡いピンク色に染まり、とても美しい景色になります。ただ、冬は雨が多く、強い雨や風に当たると花が落ちてしまうこともあります。そうなると、秋の収穫量や出来にも影響が出てきます。

アーモンドは、年によって豊作だったり不作だったりしますが、それも自然のサイクルなのだそうです。以前、どんぐりの豊凶と動物の生態についての話を見たことがあります。自然は数年単位でバランスを取りながら巡っている、そう知ったとき、妙に納得しました。人間の都合では測れないリズムが、確かにそこにあります。

散歩道にある木々は、数年前に山火事が村のすぐそばまで迫ったとき、大きな被害を受けました。

一時は枯れてしまったように見えましたが、翌年、その次の年と、少しずつ花をつけるようになりました。満開の頃は、本当に見事です。自然のしぶとさに、ただ感心するばかりです。

歩いているうちに、手がすっかり冷えてきました。もう少し早足で歩かないといけません。空は相変わらず重く、夕方からまた天気が崩れる予報です。

数日前、Amazonで卓上カレンダーを注文しました。大きなカレンダーは銀行やパン屋さんでもらったのですが、机の上に置くものが欲しくて。

昔、香港で働いていた頃は、会社でも取引先でもカレンダーを大量に作って配り、家には山のようにありました。それを人にあげて回っていたのが、今では少し懐かしい思い出です。

同じ時に本も一冊注文しました。普段は電子書籍ばかりですが、なぜかそのときは紙の本を手に取りたくなました。ところが、後で確認すると、届くのは4月から7月。あまりの遅さに驚いて、結局キャンセルしました。最初にちゃんと書いておいてほしいものです。

帰り道、昨夜の強風で倒れた村の大きなゴミ箱が目に入りました。

この村では、夜遅くに収集車が来て、大きなゴミ箱ごと機械で持ち上げて回収します。その後はどうしても周囲が汚れるので、翌日、清掃の人が片付けに来ます。ガラス瓶の回収などは特に音も大きく、少し雑に感じることもありますが、これもまた、この土地の日常の風景です。

そして冷たい風に身をすくめながら、今日の散歩を終えました。

雨の季節はまだ続きそうですが、アーモンドの花が、静かに冬の終わりへ向かう準備を始めていることだけは、確かです。

最後までお読みいただきありがとうございました。