お問い合わせは ⇒ shiroimura.cortes☆gmail.com 迄、ご連絡くださいませ。(お手数ですが、☆を@に変更下さいませ)
コルテス村の地図 ⇒ こちら
【村の行事】2022年
6月11日(土)〜12日(日) Feria de Artesania ヒメラ村
8月18日(木)〜21日(日) フェリア(夏祭り)

2012/03/13

3月13日(火)晴れ、13 Mar Sunny

こんにちは。
ご訪問本当にありがとうございます。

昨夜ははしごをして、最後はバー「メッサ」まで行ってしまいました。^^
 「メッサ」は夜遅くというより、朝3時半くらいまで開いているバーです。

ということで、 お客様のSさん&Jさんと一緒にゆっくろと朝食をとり、
その後、お昼の鉄道でロンダに向かわれました。

朝食の時、中国の旅行の話が出ました。

私が中国に最初に入ったのは、89年2月です。
香港から陸路で渡った最初の都市、深センです。

今でこそ、高いビルが立ち並び、中国人の方々も普通の服を着ていますが、
その当時は、国境の建物は木造(のような)で、ぼろかったし、
高い建物なんてありませんでした。

また、中国人は人民服を着ていました。
暗くて、貧しい、昔の白黒映画の戦後を思わせるシーンでした。

通貨も2つあり、人民元と外国人用の通貨「外貨兌換券」の兌換元です。
この兌換元も中国国内の銀行でしか交換できませんでした。
またそのお金は、外国人用のデパートや、ホテルとかでしか使えません。

ですが普通のお店で物を買うには人民元がいります。
一般のレストランでは人民元です。

その当時の中国では電化製品は高級品でした。
今では想像もつきませんね。
しかも、冷蔵庫、洗濯機は、人民元では買えなかったんです。

買えるのは香港ドルと兌換元です。

なので、そのお金を求めて、旅行者に声をかけます。
表向きは1対1ですが、実際は1兌換元に対2人民元くらいでした。

でも向こうもつわもの、1対2で換える、と寄ってきてお金をもらっても、
上手にお金を数えて見せて、実際手に取ってみると少なかったりしました。^^

そんな、今では想像のつかない中国に入れたことを
とってもラッキーだったと思っています。

ですが、なんとSさん&Jさんはもっと前の82年に行ったそうです。
私の時は個人旅行が解放されていました。

でも、Sさん&Jさんの時はツアーでしか入れない時で、色々規制があって、
入れないところも沢山あり、写真も自由には撮れない時代です。
ましてや人民元になんて交換したらどうなることやら。。。

「すご~い」

色々とその当時のお話を伺ったりして、
とっても 楽しい朝食をご一緒させていただきました。

「ありがとうございます (^^)/ 」







最後までお読みいただきありがとうございます。




人気ブログランキングへ

0 件のコメント:

コメントを投稿