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| 早朝 |
今朝は、アンダルシア州の村のオフィスに用事があり、朝一番で出かけました。朝一番といっても、こちらの感覚では九時半ごろです。けれども、行ってみると扉は閉まっていました。
いつもやり取りをしているスタッフの人に連絡すると、「今日は外出しているから、明日の十時に来てね」とのことでした。
日本なら、「せっかく来たのに」と少しがっかりしてしまうところかもしれません。けれども、スペインの村では、こういうこともどこか日常の一部です。仕方がないので、帰りにスーパーへ寄ることにしました。
スーパーで少し買い物をしたあと、いつも行く八百屋さんの前を通り過ぎようとしたときのことです。店の人に「こっち、こっち、おいで」と呼び止められました。
今日はスーパーに寄ったので、八百屋さんには寄らなくてもいいかなと思っていたところでした。何だろうと思って近づくと、スペイン語でいろいろ話しかけられました。けれども、予想していない日常会話は、まだまだ難しいものです。最初は、何を言われているのかさっぱり分かりませんでした。
しばらく聞いているうちに、ようやく意味が分かりました。
どうやら、昨日、私が散歩に出かけたときのことを言っていたのです。家に帰ってから足元を見ると、毛皮の襟巻きが落ちていました。しばらくなぜ落ちているのか分からなかったのですが、徐々に思い出しました。別のジャケットに付けていた襟巻きを散歩にでかた時に着ていたジャケットの背中部分に付け替えてたんです。
つまり私は、背中に尻尾のようなものをひらひらさせながら、村を歩いていたということです。
八百屋さんの人は、「あれは何だったの」と聞きたかったようでした。私は、すっかり忘れていたことを説明しましたが、内心では「やっぱり見られていたんだ」と思いました。
しかも、その飾りを背中につけたまま、私はスーパーにも寄っていたのです。きっと村の人たちは、こっそり笑っていたのでしょう。
こういうところも、村暮らしらしいなと思います。誰かが見ていて、あとで声をかけてくれる。恥ずかしいけれど、どこか温かい。都会なら、たとえ誰かが気づいても、そのまま通り過ぎて終わりだったかもしれません。
そんな小さな出来事があった昼間は、雲はあったものの、天気はまあまあでした。
ところが夜になると、空気が一気に冷えてきました。しばらく車を動かしていなかったので、バッテリーが上がっては大変だと思い、少しだけ車を走らせることにしました。
そのころには、もう季節が冬に戻ったような寒さでした。五月だというのに、肌に当たる風は冷たく、アンダルシアの穏やかな春というより、まるでこの村の真冬です。もちろん、北国から来た人に言わせれば「それほどでもない」のでしょうが、私にとっては十分に冬でした。
車でバルの前を通りかかると、友人たちの姿が見えました。せっかくなので、合流することにしました。
最初のうちは、まだ外に座って話している人も何人かいました。けれども、太陽が出ている時間から来ていた人たちは、あまり厚手の服を着ていません。時間が経つにつれて、「寒い、寒い」と言い出し、一人、また一人と帰っていきました。
私はちょうど冬用の厚いジャケットを持っていたので、それを着てしのぎました。最後に残ったのは、最近この村に越してきたオランダ人の人と私でした。そこへイギリス人の友人たちもやって来て、結局、また一緒に少し飲んでから帰りました。
ここ数日、あまり人と話していなかったので、久しぶりに外で誰かと過ごせたことが、とても嬉しかったです。
お酒が少し入ると、相手がどこまで分かっているか、こちらの言葉が正しいかどうか、そういうことはあまり気にならなくなります。英語でもスペイン語でも、完璧である必要はありません。とにかく、自分が話したいことを、大きな声で話す。それだけで、ずいぶん気持ちが軽くなります。
やはり、人に会うことは大切だなと思いました。毎日でなくてもいいのです。けれども、ときどき外に出て、人の中に身を置くことには、思っている以上の効き目があります。
この村の良いところは、外に出ると自然に誰かと話せるところです。
都会では、外に出たからといって、誰かと話すわけではありません。よほど親しい友人や知り合いと会う約束をしていない限り、人と言葉を交わすことは少ないものです。国際都市・香港に住んでいたころは、毎日ものすごい数の人とすれ違っていました。それでも、実際に話をする相手はごく限られていました。
会社の人とはもちろん話します。けれども、私生活になると、結局いつもの日本人同士で集まり、そこに英語を話す人が少し加わる、というような感じでした。一人で外に出ても、誰とも話さずに帰ってくることのほうが多かったのです。
ところが、このスペインの村では違います。
家にいれば、誰とも話しません。けれども、外に出れば、誰かしらと話すことがあります。今日のように友人がいればそこに加わればいいですし、そうでなくても、近くにいる人と何となく会話が始まることがあります。話しかけたからといって、変な顔をされるわけでもありません。好きなように話せばいい、という空気があります。
もちろん、誰とも話したくない日は家にいればいいのです。この「話したければ話せるし、話したくなければ一人でいられる」という距離感が、私にはとても心地よく感じられます。
日本の村なら、日本人である私は、また違う立場になるのかもしれません。そこには土地のしがらみや、昔からの人間関係があるでしょう。スペインの村の人たちにも、もちろん彼らなりのしがらみはあるはずです。
けれども、私はスペイン人ではありません。村にはイギリス人も多いですが、私はイギリス人でもありません。そのどちらにも属していないからこそ、ある意味でとても自由なのです。
この自由さに慣れてしまうと、日本に帰ることが少し怖くなります。日本に帰りたい気持ちはあります。けれども、日本語という自分の母語の世界に戻ると、ほんの少しの言葉のニュアンスが気になってしまう気がします。ちょっとした言い方で誤解が生まれたり、相手の反応を深く考えすぎたりしてしまうかもしれません。
ここでは、私以外に日本語を話す人はいません。私が話すのは、英語かスペイン語です。どちらも私の母語ではないので、間違えても仕方がありません。相手も「まあ、この外国人が言っていることだから」と、良い意味で聞き流してくれます。
その緩さが、本当にありがたいのです。
5月だというのに、夜は冬のような寒さでした。閉まっていたオフィス、背中でひらひらしていた謎の飾り、寒さの中で集まるバルの友人たち。
予定どおりにいかないことも、少し恥ずかしいこともあります。それでも、誰かに呼び止められ、誰かと笑い、話せる時間がある。
そんな何気ない一日こそ、スペインの田舎の村で暮らす日常の一場面なのです。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。



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