朝から少し用事があり、アンダルシア州の事務所を訪ねました。対応してくれた女性はとても親切で、いろいろと助けてくれました。スペインで暮らしていると、こういうちょっとした親切が本当にありがたく感じられます。
用事を済ませた後、朝食を食べに行くことにしました。ただ、その前に一軒の店に立ち寄り、ペンキを塗るための刷毛を二本買いました。
私の家に限らず、この辺りでは季節が一巡すると、あちらこちらを少し塗り直す必要が出てきます。強い日差しや乾燥、大雨、湿気、風にさらされるため、壁や木部の手入れが欠かせないのです。
刷毛を買った後、村のバル兼カフェに入りました。スペインでは、朝食といえばバルで済ませることが多いです。もっとも、それも少しずつ過去の話になりつつあります。物価の高騰で、以前なら気軽にバルで朝食を取りながらおしゃべりしていた女性たちにとっても、外での朝食は少し贅沢なものになってきているからです。
そのバルでは、南米出身の女性たちが働いていました。店を切り盛りしている女性はアルゼンチン出身です。彼女は私と同じように、もう長い間この村で暮らしています。
私がこの土地に来た頃、彼女にはまだ小さな子どもが二人いました。下の子は当時五歳くらいだったでしょうか。今ではすっかり大人です。もう一人の娘さんは当時八歳か九歳くらいでしたが、今では二人の子どもの母親になっています。
時間というものは、本当に不思議です。移住してきた人の子どもたちが、その土地で成長し、家庭を持ち、今度はその子どもたちが村の一部になっていく。スペインの小さな村では、そうした年月の流れが日々の風景の中に残ります。
そのアルゼンチン出身の女性は、地元の男性と結婚し、さらに息子を一人もうけました。ただ、スペインに来て以来、一度もアルゼンチンに帰っていないそうです。それを聞くたびに、私は少し胸が痛みます。
もちろん、彼女には正式な滞在書類がありますから、帰ろうと思えば帰れるはずです。でも現実には、そう簡単ではありません。
もし故郷へ帰るなら、子どもたちも連れて行くことになるでしょう。アルゼンチンまで行くなら、数日で戻るというわけにもいきません。せめて一か月くらいは滞在したいはずです。そうなると、航空券代、滞在費、店を休む間の収入のことなど、考えなければならないことが一気に増えます。
帰りたい気持ちがあっても、生活がそれを許してくれない。移住して暮らすということには、そういう静かな重みがあります。
彼女は以前、そのバルの従業員として働いていました。しかし今では、店を任されて経営しています。もともとの店主は、バルの仕事の大変さに疲れてしまったようで、店を彼女に引き継がせることにしたのです。
スペインのバルは、外から見ると人が集まり、会話があり、楽しそうな仕事に見えます。けれど実際には、朝早くから夜まで店を開けていることが多く、長時間の立ち仕事です。仕入れや掃除もあり、体力も気力も要る仕事だと思います。
私はそこで、コーヒーとハムとチーズ入りのモジェテを頼みました。モジェテはアンダルシアでよく食べられる、丸く平べったいパンです。温めて具を挟んで食べることが多く、朝食にはぴったりです。
ただ、その日のパンは温かくはありましたが、私の好みからすると少し焼きが足りませんでした。もう少し表面がカリッとしていたらよかったのですが、それでも十分おいしくいただきました。コーヒー込みで会計は四ユーロ。ずいぶん高くなったものです。
店を出ようとした時、二人の年配の女性が入ってきました。当然、顔見知りです。二人はステッカーと小さなプラスチックの募金箱のようなものを持っていました。どうやら寄付を集めているようでした。
そのうちの一人は、宗教行事で歌を歌う人だったように思います。フラメンコ歌手というより、聖母マリアやイエスに捧げる歌を歌う人です。その費用を集めているのでしょう。スペインの村では、宗教行事や祭りが今でも生活に深く根付いています。
私は朝食代を払ったばかりで、小銭がほとんど残っていませんでした。財布の中を見ると、七十セントだけです。少し恥ずかしい気持ちもありましたが、それを募金箱に入れました。すると、彼女たちは私の服にステッカーを貼ってくれました。
その瞬間、なぜか香港で暮らしていた頃のことを思い出しました。私は香港に十年ほど住んでいたことがあります。香港では、特に土曜日になると、若い人たちが街角に立って募金を集めていることがよくありました。歩いていると、募金箱とステッカーを持った若者たちが近づいてくるのです。
面白いことに、寄付をする前にまずステッカーを貼ろうとする人がほとんどでした。一度貼られたら、お金を入れなければならない。そういう暗黙の決まりがありました。
私は彼らが近づいてくると、まるでバスケットボールのフェイントのように体をかわして、ステッカーを貼られないように歩いたものでした。
香港で知り合ったイギリス人男性から、こんな話を聞いたこともあります。彼は友人と一緒に歩いていた時、募金活動の人にステッカーを貼られてしまったそうです。ステッカーを貼られたからには、お金を入れなければならない。
そこで彼は、そのステッカーを服からはがし、半分に破って、片方を友人に貼ったそうです。これで二人とも「半分ずつ寄付したことになる」というわけです。その話を思い出して、スペインの小さなバルの前で、私は一人で少し笑ってしまいました。
村の朝は、こうして思いがけない記憶を連れてきます。アルゼンチンから来た女性の人生、スペインの宗教行事、香港の街角の募金。まったく別々の場所の出来事のようでいて、どこかでつながっているようにも感じます。
人は移動し、働き、家族をつくり、知らない土地で日常を築いていきます。そして、小さなステッカー一枚が、遠い記憶をふいに呼び起こすこともあるのです。
その後は、いつもの散歩コースを逆に歩きました。ふと見上げると、大きなカタツムリがいました。
スペイン語では、カタツムリを「カラコル」と言います。複数形では「カラコレス」です。
スペインでは、このカラコレスを食べます。私も何度か食べたことがあります。ただ、独特の香りがあります。人によってはそれがたまらなくおいしいのでしょうが、私には少し生臭く感じられます。
この辺りの田舎では、比較的大きなカタツムリを食べます。一方で、セビリアでは小さなカタツムリをスープのようにして食べることがあります。
以前、友人に連れられてセビリアのバルに行った時、小さなグラスに入ったコンソメのようなスープを出されたことがありました。量は百八十ミリリットルくらいだったでしょうか。その中に、小さなカタツムリがいくつか浮かんでいました。
友人は「飲んでみて。おいしいから」と言いました。けれど私は、そのスープの中でカタツムリの小さな角のような部分が見えてしまい、少し気の毒な気持ちになりました。気持ち悪いというより、かわいそうになってしまったのです。
息をすると香りが強く感じられそうだったので、私は息を止めて、できるだけ早く飲みました。
それでも、カラコレスはこの土地の大切な食文化の一つです。乾いた季節が終わり、雨が降り始めると、カタツムリがたくさん出てきます。田舎では、それを人々が集めて家に持ち帰ります。そしてすぐには料理せず、数日間置いて、体内の砂や余分なものを出させてから調理します。
この辺りでは、セビリアのようにコンソメ風にするというより、スペイン料理の基本的な材料で煮込むことが多いです。ニンニク、玉ねぎ、ピーマン、トマト。まずそれらを炒め、そこにカタツムリを加えます。塩もしっかり使います。スペインの田舎料理らしく、素材は素朴ですが、味は力強いです。
スペイン料理というと、旅行者にはパエリア、ハモン、トルティージャ、ガスパチョなどが思い浮かぶかもしれません。けれど実際に地方を歩くと、その土地ならではの料理に出会います。
カラコレスもその一つです。観光客向けのメニューには載っていないこともありますが、地元の人にとっては季節を感じる味なのです。
カタツムリといえば、モロッコでも見かけたことがあります。私はこれまで三度モロッコへ行きました。一度はタンジェへの日帰り旅行でした。別の時はたしか五月頃、もう一度は秋、おそらく十一月頃だったと思います。
どの町だったかははっきり覚えていませんが、道端で大きな鍋いっぱいのカタツムリを売っている人がいました。湯気の立つ鍋の前に人々が集まり、買ってその場で食べていました。
私はその時は試しませんでした。スペインのカラコレスにもまだ完全には慣れていないのに、モロッコの路上で食べる勇気までは出なかったのです。でも、今思えば、少しだけ挑戦してみてもよかったかもしれません。旅の記憶というものは、食べたものだけでなく、食べなかったものまでも残るものです。
スペインの村の朝食から始まった一日は、アルゼンチンから来た女性の人生、香港での記憶、そしてスペインやモロッコのカタツムリ料理へと、思いがけず広がっていきました。
旅行でスペインを訪れるなら、有名な観光地だけでなく、朝のバルにもぜひ入ってみてください。コーヒーを頼み、パンを食べ、地元の人たちの様子を眺める。そこには、ガイドブックには載りにくい、日常のスペインがあります。
旅の記憶に残るのは、案外こういう何気ない場面なのかもしれません。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。





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