お問い合わせは ⇒ shiroimura.cortes☆gmail.com 迄、ご連絡くださいませ。(お手数ですが、☆を@に変更下さいませ)
コルテス村の地図 ⇒ こちら
【村の行事】2026年
祝日8月15日(土) 、壁のないフェスティバル 8月14日(金) &15日(土)、夏のフェリア8月20日(木) 〜23日(日)
ラベル 牛追い の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 牛追い の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2026/09/02

8月21日(金) 朝まで終わらない、白い村のフェリアの夜

この日は昼から、祭りの一つであるバキージャがありました。

以前は小型の牛を4頭ほど同時に放していたのですが、今は規則が変わったのか、1頭だけになっています。昔を知っていると緊迫感が違うと感じますが、それでも祭りの時期になると、村の人たちが集まって牛を追う光景は変わりません。

牛が可哀想なので、少しだけ見た後は、友人たちと飲みに行きました。

この日は村が用意したパエリアも無料で振る舞われていました。大鍋で作る、いかにも祭りらしいパエリアです。少しアルデンテが強く、個人的にはあと5分くらい火を通してほしかったところですが、柔らかすぎるよりはこのくらいの方がパエリアらしいのかもしれません。

パエリアを食べながら楽しく飲んでいました。

その場で揚げてくれるポテトチップス

しばらくしたら村の男性が私たちのテーブルの近くに座りました。

そして、唾を地面に吐いたのです。

これには一気に気分が悪くなってしまいました。

スペインの田舎では、若い人でも中年の男性でも、道端などで唾を吐く姿を時々見かけます。不思議なことに、私が見る限りではお年寄りにはあまりいません。

せっかく楽しく飲んでいたのですが、その光景を見たらもう十分でした。私は家に戻り、夜に備えてシエスタをすることにしました。

もう少ししたら子ども達が集まってきます。


目覚ましで起きたのは午後8時少し前です。

この夜は友人の誕生日会があり、村から少し外れた家まで歩いて行く予定でした。徒歩15分ほどの距離です。

出かける前、友人から「今日は久しぶりにおしゃれして行くよ」と聞いていました。

それなら私も、と夏用のロングドレスを着ることにしました。ただし靴はスニーカーです。村では坂道も多く、歩いて移動することを考えると、足元までおしゃれをする気にはなれません。

ところが友人宅に着いてみると、みんな普通の格好です。

「おしゃれして行くって言ったのは何だったの?」

そんな気分になりました。

いつもは私が普段着で出かけると周りがおしゃれをしていて、「先に言ってよ」と思うことがあります。今回はその逆でした。

まあ、夏のドレスにスニーカーでも、この村なら特に気にする人はいません。

誕生日会では、久しぶりに会う友人たちと話したり、踊ったり、ビールを飲んだりして過ごしました。

気が付けば午前3時半頃です。

そろそろ帰ろうということになり、最後に残った3人で坂道を上って村へ戻りました。

途中、「何か食べたい」という話になり、最近村にできたケバブショップへ向かいました。閉店直前でしたが、何とか入れてもらうことができました。

友人たちはハンバーガーみたいなケバブを注文しましたが、私はもう食べる気にはならず、水をたくさん飲みました。

普通ならここで一日が終わるところですが、祭りの夜はまだ終わりません。

役場前のプラザではまだ音楽が流れ、人が集まっています。

さらに、闘牛場の裏手では、若者たちが集まる野外クラブのような場所ができていました。DJの音楽が大音量で流れ、建物の中ではなく完全に屋外です。そのため音は村中に響き渡っています。

ローラの娘ちゃんもそこでバーテンダーとして働いていました。

私たちも中に入り、もう一杯だけビールを飲むことにしました。

周囲は若者ばかりで、みんな立ったまま飲みながら踊っています。私たちは少し離れたところにある、警備員の近くの比較的余裕のある場所に入りました。

言ってみれば「年長者チーム」の場所です。

しばらくそこで飲んでいましたが、さすがに私は限界でした。

「もう無理。私は帰る」

そう言って、一人で家へ向かいました。

午前4時すぎ、チュロス屋さんが賑わっています。

この野外クラブがある辺りは、以前私が住んでいた家のすぐ近くです。

当時、夏の夜には犬と一緒にバルコニーで寝ていたこともありました。今と同じように祭りの音楽が大音量で流れていたはずですが、それでも普通に眠っていました。

私は昔から音にはあまり敏感ではありません。

眠れないことで悩む人も多いので、どれだけ騒がしくても眠れるのは、案外ありがたいことなのかもしれません。

そんなことを思いながら家へ向かっていると、途中でスペイン人のグループと少し話すことになりました。

そのまま一緒に少し踊りながら歩いていると、その中の一人が私に言いました。

「イクコでしょ?」

驚いて、「どうして私の名前を知っているの?」と聞くと、

「YouTubeを見た」

と言うのです。

これは本当に嬉しかったです。

自分が作ったものを、どこかで誰かが見てくれている。

それだけのことなのですが、こんな小さな村の夜道で突然声を掛けられるとは思っていませんでした。

少し酔っていたこともあり、余計に嬉しくなりました。

気分良く家に戻ったのは、午前4時40分頃です。

それでも、闘牛場の裏からはまだ音楽が聞こえてきます。役場前のプラザもまだ終わっていません。

祭りの夜は、おそらく朝6時頃まで続きます。

そして今夜もまだ、フェリアは続きます。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


2026/08/28

8月16日(日) 牛とバルと、記憶がつながる夏の日曜日

昼前から、村のメインストリートで牛を放す催しがありました。パンプローナの牛追いのように何頭もの牛が町を走り抜けるものではなく、柵で囲った一定の区間に一頭の牛を放し、その中に人が入るというものです。

本格的な闘牛に出る牛よりは小さいとはいえ、もちろん十分に大きな牛です。柵の中では若い人たちが牛を追ったり、逆に追われたりします。牛が近づいてきたら柵の隙間から外へ逃げるのですが、見物客も多いので、いざという時にちゃんと抜けられるのだろうかと、見ているこちらの方が心配になります。

この日は村の人だけでなく、周辺からもかなり人が来ていました。近くのウブリケでも以前は似た催しがあったそうですが、昨年死亡事故が起きたため、その後は行われなくなったと聞きました。そのため、こちらまで見に来ている人もいたのかもしれません。

それにしても、私はどうしても牛がかわいそうだと思ってしまいます。

突然知らない場所に連れてこられ、自分とは全く違う生き物に囲まれて、大勢から声を上げられ、追いかけられる。自分がそんな状況に置かれたら、恐ろしくて仕方がないだろうと思います。

一年に一度の昔からの催しですし、この土地の文化でもあります。それは分かっているのですが、目の前にいる牛を見ると、やはり複雑な気持ちになります。

少し見物した後、近くのバルへ行きました。祭りの最中なので店の周りも人でいっぱいです。そこで、しばらく会っていなかったオランダ人夫婦にばったり会いました。

二人は一年半ほど前にこの村に家を買い、それまで持っていたフランスの家を処分して、こちらへ移ってきました。ただ、夏のアンダルシアは暑過ぎるので、この時期はオランダへ戻っています。

今回はキャンピングカーで旅をしながらポルトガルにも立ち寄り、オランダで二週間ほど過ごしてから、四日かけて村へ戻ってきたそうです。大きなキャンピングカーなのですが少し古く、暑い日は中が「オーブンみたいだった」と笑っていました。

奥さんはお酒を飲まないので先に帰り、その後は旦那さんと二人でしばらく話しながら飲んでいました。

こういう時、この村の良さを改めて感じます。

昨夜もそうでしたが、特に約束をしていなくても外へ出れば誰かに会います。そして、そのまま一緒に飲んだり話したりする。誰にも会わなければ、それほど飲むこともないのでしょうけれど、それも含めて村の生活なのだと思います。

話しているうちに、子供を育てる環境の話になりました。

私は、この村は小さな子供にとって、とても良い場所だと思っています。

子供たちは自由に道へ出て遊びます。親がずっとそばについていなくても、近所の誰かが見ています。親戚も多いですし、友人同士で子供を預かることも珍しくありません。

昔の日本にもあったような、「地域全体で子供を見ている」という感覚が、まだ残っています。

十歳くらいまでの子供なら、こんなに自由に遊べる場所はなかなかないのではないでしょうか。

ただ、十代に入ってくると、私は少し違う面もあると思っています。

小さな村なので、都会ほど習い事や選択肢が多いわけではありません。一方で、子供たちは昔からの自由さをそのまま持っています。小さい頃には長所だった「親の目の届かないところで自由に遊べること」が、思春期になると別の意味を持ち始めます。

お酒やドラッグに近づく子もいますし、喧嘩もあります。若いうちに妊娠する女の子もいます。

もちろん全員がそうなるわけではありません。それでも、自由であるからこそ、自分で考えられる年齢になった時には、かなりしっかりしていなければならない。それも田舎で育つということなのだと思います。

そんな話から、今度は一人暮らしの話になりました。

彼にはオランダに一人で暮らしている六十代の友人がいるそうです。最近は社会や政府に対して色々と思うところもあり、家にこもりがちになっているとのことでした。少し前にパラグアイへ旅行し、そこがとても気に入ったとも話していたそうです。

それを聞いて、彼は「だったら一度この村へ来てみればいい」と勧めたと言います。

その話を聞きながら、確かにこの村は一人暮らしには悪くない場所だと思いました。

私も一人で暮らしています。

一人になりたければ家にいればいい。でも、誰かと話したくなったら外へ出ればいい。ほんの少し歩けば、知っている人がいます。

大きな町では、外へ出れば何百人もの人とすれ違います。それでも、その中に話せる人が一人もいないということがあります。

人が大勢いることと、孤独ではないことは、別なのだと思います。

そして「パラグアイ」という言葉を聞いて、突然、ずいぶん昔のことを思い出しました。

大学四年生の頃、私は青年海外協力隊に応募したことがあります。

派遣先がパラグアイでした。

筆記試験を受け、なぜか最終面接まで残り、東京へ行きました。面接に来ていたのは私を含めて七人。その中で女性は私一人でした。

時代は1980年代半ばです。今とは事情も違います。派遣先での生活はかなり厳しいものだったでしょうし、当時は男性の方が選ばれやすかったのかもしれません。

結局、私は選ばれませんでした。

東京まで行ったので、ついでに高校時代の同級生にも会いました。当時警察官をしていた友人と食事をしたりして、面接とは別に楽しい時間を過ごしたことまで、なぜか急に思い出しました。

もし、あの時選ばれていたら。

私はパラグアイへ行き、そこでスペイン語を覚えていたのかもしれません。

そうしたら、その後の人生はどうなっていたのでしょう。

今のように英語を使うようになっていたのか。スペインに住んでいたのか。それとも全く別の国で、全く違う生活をしていたのか。

そんなことを考えると不思議です。

午後三時半頃に家へ戻り、食事をしてシエスタをしていると、雨の音が聞こえてきました。

この数日、ロンダ周辺では強い雨になるという予報が出ていました。この村でも降るのかなと思いましたが、結局はパタパタと音がした程度。すぐにやんでしまいました。

金曜日の夜中にも少しだけ降りました。

八月も半ばを過ぎると、ほんの少しずつですが、真夏とは違う空気が混じり始めます。

とはいえ、村の祭りはまだ終わりません。

夕方からDJの音楽が響き、村の中心はまるでクラブのようになっていました。

それもようやく夜九時半頃に静かになりました。

牛を見て、友人と飲み、村の子供たちのことを話し、そこからオランダ、パラグアイ、そして四十年ほど前の自分まで思い出した日曜日。

外へ出て誰かと話していると、思いがけないところまで記憶がつながっていくものです。

明日は早いので、今夜はもう寝ることにします。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

8月15日(土) 音楽と牛とクラクション、白い村の夏祭り

この日は夜に出かけるつもりだったので、昼間は家で色々と用事を済ませていました。

村では今週から祭りが始まっていて、昼間からあちこちで音楽が流れています。仮設のバルも出ていて、DJが音楽をかけている場所もあり、まるで村全体がクラブになったような賑やかさでした。

夕方の音楽が一段落した頃に出かけようと思っていたのですが、準備をして家を出た時には、もう辺りは暗くなっていました。たぶん9時頃だったと思います。

外に出ると、あちこちから車のクラクションが聞こえてきました。それも一台や二台ではありません。

スペインでこれほどクラクションが鳴るのは、サッカーの大きな試合で勝った時や、ワールドカップで盛り上がっている時、あるいは結婚式などです。

「今日は一体何だろう」

そう思いながら村の中を歩き、いつも行く闘牛場横のバルへ向かいました。知り合いは誰もいなかったので、とりあえず周囲の様子を見ていると、大きなトラックがものすごい音を立ててやって来ました。

その後ろには何台ものバイクが続きます。

エンジンをふかし、パンパンと大きな音を鳴らしながら走ってくる様子は、日本で言えば暴走族のようにも見えました。その後ろからは、さらに車が何台もクラクションを鳴らしながら続きます。

警察も見守っています。

先頭の大型トラックが運んでいたのは、翌日、村の道に放される牛たちでした。

本格的な闘牛に使われるほど大きな牛ではありませんが、それでも400キロ前後はあるはずです。一頭ずつ仕切られた箱のようなスペースに入れられているため、外から牛の姿はまったく見えません。

車にはスペイン国旗を掲げている人も大勢いました。

その光景を眺めながら、私はどうしても牛のことを考えてしまいました。

狭い箱の中に入れられ、外も見えないまま運ばれて、その周囲ではバイクのエンジン音やクラクションが鳴り続けています。村では年に一度の伝統行事ですし、それを楽しみにしている人が大勢いることも分かっています。

それでも私は、見ていて「かわいそうだな」と思いました。

何世代も続いてきた文化だからといって、自分も同じように楽しめるかというと、それはまた別の話です。

パレードのような一団が通り過ぎた後、仮設バルでビールを飲みました。

昼間は大勢の人で賑わっていた場所も、この時間は一時的に人が少なくなっています。みんな一度家に帰って夕食を食べ、きれいな服に着替えてから、夜の祭りにもう一度出てくるのでしょう。

私は小さなモンタディートを食べながら通りを眺めていました。

すると知り合いのフランス人が歩いているのを見つけたので、声をかけました。

これは助かりました。

彼が来てくれなければ、このまま一人でビールを飲んで、あまり面白くない夜になっていたと思います。

二人でしばらく飲んだ後、村役場前の広場へ移動しました。そこではバンドの演奏が始まっていて、この日は夜中まで続く予定です。

二番目に出てきたバンドの女性シンガーが、とても上手でした。

スペイン人の話し声を聞いていると、普段からお腹の底から声を出しているように感じることがあります。祭りのステージで歌う人となると、それがさらに際立ちます。

女性歌手の声は力強く、広場いっぱいに響いていました。こういうところで聞く生の歌は、やはりいいものです。

そんな音楽を楽しんでいた時、ステージ脇にパレスチナの旗が飾られているのが目に入りました。

友人と、「バンドが持ってきたのかな」「もしかすると村が用意したのかな」などと話しました。

私は個人的には、祭りのような場所に政治的なメッセージを持ち込むことには少し違和感があります。

もちろん、そういう場所だからこそ多くの人の目に触れ、関心を持ってもらえるという考え方もあるのでしょう。それも分からなくはありません。

ただ、遠く離れた土地で起きている複雑な問題について、どちらが正しく、どちらが間違っているのかを、私は簡単には言えません。

昔、香港に住んでいた頃にも似たようなことを考えたことがあります。

中国大陸のある地域について、バーでイギリス人たちと議論になったことがありました。皆それぞれ強い意見を持っていましたが、私はその時、「そこまで強く支持するのなら、一度自分で現地へ行って見てきたらいいのでは」と言ったことがあります。

安全な場所で酒を飲みながら「あちらが悪い」「こちらが正しい」と話すことは簡単です。

もちろん、実際に現地へ行かなければ意見を言ってはいけない、という話ではありません。

ただ、強い言葉で何かを支持したり否定したりするのであれば、自分が実際にはどれほどのことを知っているのか、一度考えてみてもいいのではないかと思うのです。

そんなことを考えながらも、この夜は結局かなり楽しく過ごしました。

何より、途中で知り合いに会えたのが大きかったです。

一人だったら早々に帰っていたかもしれませんが、彼のおかげで一緒に飲みながらバンドを聴き、遅い時間まで広場で過ごすことができました。

昼間から音楽が鳴り続け、牛を乗せたトラックと車の列が村を通り、夜になると人々が着替えて再び広場へ集まってくる。

賛同できないことや、考えさせられることもあります。

それも含めて、この村の夏の祭りなのだと思います。

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。