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【村の行事】2026年
祝日8月15日(土) 、壁のないフェスティバル 8月14日(金) &15日(土)、夏のフェリア8月20日(木) 〜23日(日)

2026/08/31

8月19日(水) フラメンコが聞こえる、祭り前夜の白い村

8月も後半に入り、朝はずいぶん涼しくなってきました。昼間はまだ夏の暑さが残っていますが、朝の空気に少しずつ季節の変化を感じます。

明日からはいよいよ村の祭りです。祭りの間は仕事を休むことにしているので、この日はその分まで片付けるつもりで、一日しっかり仕事をしました。

夜9時前、ローラと会う約束をしていたので、闘牛場の横にある近所のバルへ向かいました。

外へ出ると、いつもの夜とは少し様子が違います。人が大勢集まっていて、村では行列も行われていました。翌日から祭りが始まることもあり、すでに村全体が普段とは違う空気に包まれています。


村役場前の広場にも、ずらりとテーブルが並べられていました。

ここでは毎年、年金生活者を招いた夕食会が開かれます。白いテーブルクロスが掛けられ、椅子もきれいに並べられていて、なかなか華やかな光景です。

それを横目に見ながら、

「私もあと数年したら、あちら側に入れるのかしら」

などと思ってしまいました。

以前、この夕食会は木曜日の夜に開かれていたのですが、今は水曜日になっています。木曜日になると大きなステージが組まれ、本格的に祭りが始まるため、おそらく日程を一日前にずらしたのでしょう。

そんな広場を通り過ぎ、闘牛場横のバルへ行くと、そこにも知った顔が何人かいました。

バルの前にできた夜店

トムとロビン、それにブライアンも来ています。

ブライアンは一年半ほど前に奥さんを亡くしました。スペインにある不動産が夫婦の共同名義になっていたため、相続の手続きがまだ終わっていないそうです。

外国人がスペインでこうした手続きをするのは、なかなか大変です。普段暮らしているだけでは意識しませんが、相続や不動産の名義変更となると、言葉だけでなくスペイン独特の手続きにも向き合わなければなりません。

その後も何人か知り合いがやって来て、話をしたり飲んだりしているうちに、少々飲み過ぎてしまいました。

さすがに今日はこの辺で、と家へ帰ることにします。

帰り道、もう一度村役場前を通ると、夕食会はすっかり盛り上がっていました。

ステージからはフラメンコの歌が聞こえ、バンドの演奏も続いています。きれいに並べられていたテーブルには大勢の人が座り、食事をしながら音楽を楽しんでいました。

昼間はいつもの静かな白い村だったのに、夜になると人が集まり、音楽が流れ、あちこちで笑い声が聞こえてきます。

そして明日からは、いよいよ村の祭り本番です。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

2026/08/30

8月18日(火) こんな夜もある、白い村のバル

今夜は、アンドレスのバルへ行きました。

8時半頃に着いたので、まだ空いているテーブルがあり、すぐに座ることができました。

ところが、それから30分ほどするとバルはもう満席です。夏の夜らしく、次々と人が集まってきます。

この日はローラと二人でした。二人だけなら英語で気楽に話せるので、近況から何でもない話まで、色々なことをゆっくり話せます。

ところが、その間にもベロから何度もメッセージが入ってきます。

せっかくローラと二人で過ごしていたので、できれば邪魔されたくなかったのですが、何度も連絡が来るので、仕方なく今どこにいるのかを伝えました。

しばらくすると、かなり酔った様子のベロがやって来ました。

席に着くなり、今度はローラに向かってスペイン語で話し始めます。話題は恋愛関係のことでした。

私も聞こうと思えば話についていけます。ただ、これまでにも何度か聞いたような内容で、正直なところ、あまり興味が湧きませんでした。

それなら無理に会話に加わる必要もないだろうと思い、私はスマートフォンを見ることにしました。

やがてビールを飲み終えると、ベロが「もう一杯どう? 私がおごるから」と言ってくれました。

けれど、その時にはもう、すっかり疲れてしまいました。

「私は帰る」

そう答えて、店を出ることにしました。

途中までは三人で歩きましたが、分かれ道でベロとは別れました。その瞬間、思わずほっと一息。

ローラも、ずっと話を聞いていないといけなかったから疲れたようでした。

最初は二人でのんびり話せて、良い夜になるはずだったのです。

でも、思い通りにならない夜もあります。

楽しいことばかりではなく、こういう少しがっかりする夜もあるのです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

2026/08/29

8月17日(月) 3か月ぶりの再会、白い村の涼しい夜

乾季も終わりに近づいています。朝は雲が空を覆いました。

この日は一日仕事をしていましたが、午後2時半頃にいったん手を止め、ローラを迎えにバス停近くのバルへ行きました。会うのは約3か月ぶりです。

ローラは今、マドリードで暮らしています。今回はマドリードから高速列車のAVEでアンテケラまで来て、そこからロンダへ。

ただ、現在は列車が走っていないため、アンテケラからロンダまでは代替バス。そしてロンダからは、村とロンダを結ぶ一日一本のバスに乗って帰ってきました。

なかなか長い道のりです。

私はまだ仕事が残っていたので、バルではアルコールフリーのビールを注文しました。ローラは普通のビールです。久しぶりだったので話すことはいくらでもありましたが、ひとまずここでは軽く近況を話し、また夜に会うことにしました。

夏祭りフェリアに向けて出店が到着

そして夜8時半、今度は闘牛場の横にあるバルで待ち合わせました。

ローラは以前、この村でずっと暮らしていましたが、3年ほど前にマドリードへ戻りました。こちらにも家があるので、今でも時々村へ帰ってきます。

彼女とは、いつも英語で話します。私にとっては気兼ねなく何でも話せる友人の一人で、久しぶりのキャッチアップになりました。離れていた3か月の間にあったことを、お互いにあれこれ話します。

モンタディートをつまみながら話していると、時間はあっという間に過ぎました。

夜になると、村はすっかり涼しくなります。ローラも、マドリードでの生活から戻ってくると、この空気の冷たさが信じられないほどだと言っていました。

夏のスペインというと、どこへ行っても暑いように思われるかもしれません。けれど、この村では日が落ちると空気が変わります。夜風は冷たく、空気も澄んでいて、とても過ごしやすいのです。

久しぶりの友人とたくさん話し、涼しい夜道を歩いて家へ帰りました。特別なことをしたわけではありませんが、こういう時間が、村に戻ってきた人と再会する楽しさなのだと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

2026/08/28

8月16日(日) 牛とバルと、記憶がつながる夏の日曜日

昼前から、村のメインストリートで牛を放す催しがありました。パンプローナの牛追いのように何頭もの牛が町を走り抜けるものではなく、柵で囲った一定の区間に一頭の牛を放し、その中に人が入るというものです。

本格的な闘牛に出る牛よりは小さいとはいえ、もちろん十分に大きな牛です。柵の中では若い人たちが牛を追ったり、逆に追われたりします。牛が近づいてきたら柵の隙間から外へ逃げるのですが、見物客も多いので、いざという時にちゃんと抜けられるのだろうかと、見ているこちらの方が心配になります。

この日は村の人だけでなく、周辺からもかなり人が来ていました。近くのウブリケでも以前は似た催しがあったそうですが、昨年死亡事故が起きたため、その後は行われなくなったと聞きました。そのため、こちらまで見に来ている人もいたのかもしれません。

それにしても、私はどうしても牛がかわいそうだと思ってしまいます。

突然知らない場所に連れてこられ、自分とは全く違う生き物に囲まれて、大勢から声を上げられ、追いかけられる。自分がそんな状況に置かれたら、恐ろしくて仕方がないだろうと思います。

一年に一度の昔からの催しですし、この土地の文化でもあります。それは分かっているのですが、目の前にいる牛を見ると、やはり複雑な気持ちになります。

少し見物した後、近くのバルへ行きました。祭りの最中なので店の周りも人でいっぱいです。そこで、しばらく会っていなかったオランダ人夫婦にばったり会いました。

二人は一年半ほど前にこの村に家を買い、それまで持っていたフランスの家を処分して、こちらへ移ってきました。ただ、夏のアンダルシアは暑過ぎるので、この時期はオランダへ戻っています。

今回はキャンピングカーで旅をしながらポルトガルにも立ち寄り、オランダで二週間ほど過ごしてから、四日かけて村へ戻ってきたそうです。大きなキャンピングカーなのですが少し古く、暑い日は中が「オーブンみたいだった」と笑っていました。

奥さんはお酒を飲まないので先に帰り、その後は旦那さんと二人でしばらく話しながら飲んでいました。

こういう時、この村の良さを改めて感じます。

昨夜もそうでしたが、特に約束をしていなくても外へ出れば誰かに会います。そして、そのまま一緒に飲んだり話したりする。誰にも会わなければ、それほど飲むこともないのでしょうけれど、それも含めて村の生活なのだと思います。

話しているうちに、子供を育てる環境の話になりました。

私は、この村は小さな子供にとって、とても良い場所だと思っています。

子供たちは自由に道へ出て遊びます。親がずっとそばについていなくても、近所の誰かが見ています。親戚も多いですし、友人同士で子供を預かることも珍しくありません。

昔の日本にもあったような、「地域全体で子供を見ている」という感覚が、まだ残っています。

十歳くらいまでの子供なら、こんなに自由に遊べる場所はなかなかないのではないでしょうか。

ただ、十代に入ってくると、私は少し違う面もあると思っています。

小さな村なので、都会ほど習い事や選択肢が多いわけではありません。一方で、子供たちは昔からの自由さをそのまま持っています。小さい頃には長所だった「親の目の届かないところで自由に遊べること」が、思春期になると別の意味を持ち始めます。

お酒やドラッグに近づく子もいますし、喧嘩もあります。若いうちに妊娠する女の子もいます。

もちろん全員がそうなるわけではありません。それでも、自由であるからこそ、自分で考えられる年齢になった時には、かなりしっかりしていなければならない。それも田舎で育つということなのだと思います。

そんな話から、今度は一人暮らしの話になりました。

彼にはオランダに一人で暮らしている六十代の友人がいるそうです。最近は社会や政府に対して色々と思うところもあり、家にこもりがちになっているとのことでした。少し前にパラグアイへ旅行し、そこがとても気に入ったとも話していたそうです。

それを聞いて、彼は「だったら一度この村へ来てみればいい」と勧めたと言います。

その話を聞きながら、確かにこの村は一人暮らしには悪くない場所だと思いました。

私も一人で暮らしています。

一人になりたければ家にいればいい。でも、誰かと話したくなったら外へ出ればいい。ほんの少し歩けば、知っている人がいます。

大きな町では、外へ出れば何百人もの人とすれ違います。それでも、その中に話せる人が一人もいないということがあります。

人が大勢いることと、孤独ではないことは、別なのだと思います。

そして「パラグアイ」という言葉を聞いて、突然、ずいぶん昔のことを思い出しました。

大学四年生の頃、私は青年海外協力隊に応募したことがあります。

派遣先がパラグアイでした。

筆記試験を受け、なぜか最終面接まで残り、東京へ行きました。面接に来ていたのは私を含めて七人。その中で女性は私一人でした。

時代は1980年代半ばです。今とは事情も違います。派遣先での生活はかなり厳しいものだったでしょうし、当時は男性の方が選ばれやすかったのかもしれません。

結局、私は選ばれませんでした。

東京まで行ったので、ついでに高校時代の同級生にも会いました。当時警察官をしていた友人と食事をしたりして、面接とは別に楽しい時間を過ごしたことまで、なぜか急に思い出しました。

もし、あの時選ばれていたら。

私はパラグアイへ行き、そこでスペイン語を覚えていたのかもしれません。

そうしたら、その後の人生はどうなっていたのでしょう。

今のように英語を使うようになっていたのか。スペインに住んでいたのか。それとも全く別の国で、全く違う生活をしていたのか。

そんなことを考えると不思議です。

午後三時半頃に家へ戻り、食事をしてシエスタをしていると、雨の音が聞こえてきました。

この数日、ロンダ周辺では強い雨になるという予報が出ていました。この村でも降るのかなと思いましたが、結局はパタパタと音がした程度。すぐにやんでしまいました。

金曜日の夜中にも少しだけ降りました。

八月も半ばを過ぎると、ほんの少しずつですが、真夏とは違う空気が混じり始めます。

とはいえ、村の祭りはまだ終わりません。

夕方からDJの音楽が響き、村の中心はまるでクラブのようになっていました。

それもようやく夜九時半頃に静かになりました。

牛を見て、友人と飲み、村の子供たちのことを話し、そこからオランダ、パラグアイ、そして四十年ほど前の自分まで思い出した日曜日。

外へ出て誰かと話していると、思いがけないところまで記憶がつながっていくものです。

明日は早いので、今夜はもう寝ることにします。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

8月15日(土) 音楽と牛とクラクション、白い村の夏祭り

この日は夜に出かけるつもりだったので、昼間は家で色々と用事を済ませていました。

村では今週から祭りが始まっていて、昼間からあちこちで音楽が流れています。仮設のバルも出ていて、DJが音楽をかけている場所もあり、まるで村全体がクラブになったような賑やかさでした。

夕方の音楽が一段落した頃に出かけようと思っていたのですが、準備をして家を出た時には、もう辺りは暗くなっていました。たぶん9時頃だったと思います。

外に出ると、あちこちから車のクラクションが聞こえてきました。それも一台や二台ではありません。

スペインでこれほどクラクションが鳴るのは、サッカーの大きな試合で勝った時や、ワールドカップで盛り上がっている時、あるいは結婚式などです。

「今日は一体何だろう」

そう思いながら村の中を歩き、いつも行く闘牛場横のバルへ向かいました。知り合いは誰もいなかったので、とりあえず周囲の様子を見ていると、大きなトラックがものすごい音を立ててやって来ました。

その後ろには何台ものバイクが続きます。

エンジンをふかし、パンパンと大きな音を鳴らしながら走ってくる様子は、日本で言えば暴走族のようにも見えました。その後ろからは、さらに車が何台もクラクションを鳴らしながら続きます。

警察も見守っています。

先頭の大型トラックが運んでいたのは、翌日、村の道に放される牛たちでした。

本格的な闘牛に使われるほど大きな牛ではありませんが、それでも400キロ前後はあるはずです。一頭ずつ仕切られた箱のようなスペースに入れられているため、外から牛の姿はまったく見えません。

車にはスペイン国旗を掲げている人も大勢いました。

その光景を眺めながら、私はどうしても牛のことを考えてしまいました。

狭い箱の中に入れられ、外も見えないまま運ばれて、その周囲ではバイクのエンジン音やクラクションが鳴り続けています。村では年に一度の伝統行事ですし、それを楽しみにしている人が大勢いることも分かっています。

それでも私は、見ていて「かわいそうだな」と思いました。

何世代も続いてきた文化だからといって、自分も同じように楽しめるかというと、それはまた別の話です。

パレードのような一団が通り過ぎた後、仮設バルでビールを飲みました。

昼間は大勢の人で賑わっていた場所も、この時間は一時的に人が少なくなっています。みんな一度家に帰って夕食を食べ、きれいな服に着替えてから、夜の祭りにもう一度出てくるのでしょう。

私は小さなモンタディートを食べながら通りを眺めていました。

すると知り合いのフランス人が歩いているのを見つけたので、声をかけました。

これは助かりました。

彼が来てくれなければ、このまま一人でビールを飲んで、あまり面白くない夜になっていたと思います。

二人でしばらく飲んだ後、村役場前の広場へ移動しました。そこではバンドの演奏が始まっていて、この日は夜中まで続く予定です。

二番目に出てきたバンドの女性シンガーが、とても上手でした。

スペイン人の話し声を聞いていると、普段からお腹の底から声を出しているように感じることがあります。祭りのステージで歌う人となると、それがさらに際立ちます。

女性歌手の声は力強く、広場いっぱいに響いていました。こういうところで聞く生の歌は、やはりいいものです。

そんな音楽を楽しんでいた時、ステージ脇にパレスチナの旗が飾られているのが目に入りました。

友人と、「バンドが持ってきたのかな」「もしかすると村が用意したのかな」などと話しました。

私は個人的には、祭りのような場所に政治的なメッセージを持ち込むことには少し違和感があります。

もちろん、そういう場所だからこそ多くの人の目に触れ、関心を持ってもらえるという考え方もあるのでしょう。それも分からなくはありません。

ただ、遠く離れた土地で起きている複雑な問題について、どちらが正しく、どちらが間違っているのかを、私は簡単には言えません。

昔、香港に住んでいた頃にも似たようなことを考えたことがあります。

中国大陸のある地域について、バーでイギリス人たちと議論になったことがありました。皆それぞれ強い意見を持っていましたが、私はその時、「そこまで強く支持するのなら、一度自分で現地へ行って見てきたらいいのでは」と言ったことがあります。

安全な場所で酒を飲みながら「あちらが悪い」「こちらが正しい」と話すことは簡単です。

もちろん、実際に現地へ行かなければ意見を言ってはいけない、という話ではありません。

ただ、強い言葉で何かを支持したり否定したりするのであれば、自分が実際にはどれほどのことを知っているのか、一度考えてみてもいいのではないかと思うのです。

そんなことを考えながらも、この夜は結局かなり楽しく過ごしました。

何より、途中で知り合いに会えたのが大きかったです。

一人だったら早々に帰っていたかもしれませんが、彼のおかげで一緒に飲みながらバンドを聴き、遅い時間まで広場で過ごすことができました。

昼間から音楽が鳴り続け、牛を乗せたトラックと車の列が村を通り、夜になると人々が着替えて再び広場へ集まってくる。

賛同できないことや、考えさせられることもあります。

それも含めて、この村の夏の祭りなのだと思います。

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。


2026/08/27

8月14日(金) 懐かしいケンブリッジと、パソドブレの夜

日本はお盆休みに入っているため、日本にいる方たちの仕事をヨーロッパ在住組でカバーする一日でした。洗濯をしながら仕事を進め、夜に出かけられるよう、昼間はいつもより少し頑張りました。

友人からは「飲みに行こうよ」と連絡が来ていましたが、それにはひとまず返事をせず、まずは仕事です。

夕方になって外へ出ると、村のメインストリートでは子どもたちのための催しが開かれていました。

毎年この時期に行われるもので、昔ながらの遊び道具が通りに並び、子どもたちが自由に遊べるようになっています。


今のように電子機器を使ったものではなく、昔からある素朴な遊びです。こういう風景が今でも村の行事として残っているところは、やはりいいなと思います。

その後、しばらく村を離れていたスペイン人の友人が遊びに戻ってきていると聞き、会いに行きました。少し話した後は、今度はイギリス人の友人たちのグループに合流して一杯。

そこには、村に住む友人を訪ねてケンブリッジから来ていた家族もいました。

「ケンブリッジから来た」と聞いて、思わず、

「私、昔ケンブリッジに住んでいたんですよ。あなたが生まれるずっと前だけど」

と話すと、そこから一気に昔話になりました。

彼はパンティングの仕事をアルバイトでしていたそうです。ケンブリッジといえば、川を平底舟で進むパンティング。私もやったことがあるので、「した、した」と懐かしく話しました。

ケンブリッジは、私が初めてイギリスで暮らした町です。

当時はキングス・カレッジの敷地にも自由に入ることができました。建物の中を好き勝手に歩けるわけではありませんが、敷地を歩いたり、礼拝堂を見に行ったりした記憶があります。今では観光客も増え、入場料も必要ですし、セキュリティもずっと厳しくなっているのでしょう。

もう一度行ってみたい気持ちはあります。

けれど同時に、行きたくない気持ちもあります。

今行けば、昔の記憶が新しい景色で上書きされてしまいそうだからです。私の中に残っているケンブリッジは、あの頃のままでいてほしい気もします。

最初の4か月ほどはホームステイをしていました。その後、何度か住む場所を変えています。

一時期住んだシェアハウスは、それほど環境の良い地域ではなく、窓の向かいにはタトゥーショップがありました。少し怪しげな雰囲気の場所でしたが、それも今となっては懐かしい思い出です。

その後、語学学校を変え、学校の近くにある大きな家の最上階へ移りました。そこには学生用の部屋が三つあり、キッチンとバス・トイレは共同でした。

下の階には家主の家族が暮らしていましたが、毎日のように料理のいい匂いが上まで漂ってきます。

「やっぱり裕福なお宅は、毎日いいものを食べているんだな」

そんなことを思っていました。

その家で、初めて知ったこともあります。

夏休みになると、家族はアメリカの一家と家を丸ごと交換するというのです。こちらの家族がアメリカへ行って相手の家に住み、アメリカの家族はこちらへ来て、この家で夏を過ごします。

そのため夏休みの間は、学生は全員出ていかなければなりませんでした。

今なら家を交換して滞在するサービスもありますが、当時はインターネットで簡単に相手を探せるような時代ではありません。おそらく知り合いか、そのまた知り合いだったのでしょう。

日本人だった私には、自分の家を丸ごと誰かに貸して、自分も相手の家で暮らすという発想そのものが新鮮でした。

なるほど、こうすればお互い宿泊費がかかりません。

「外国では、こんなこともするんだ」

と驚いたことを、今でも覚えています。

私はその夏にケンブリッジを離れ、ロンドンへ移りました。

そんな昔のことを、スペインの小さな村で、偶然ケンブリッジから来た人と話すことになるとは思いませんでした。遠く離れた場所の名前を聞いただけで、昔の風景が次々と戻ってくるものです。

そうして話しているうちに、夜もすっかり更けてきました。

この週末、村ではちょっとしたお祭りが続きます。本番の大きな祭りは翌週なのですが、8月15日の祝日を挟んだこの数日間にも様々な催しがあります。

この夜は役場前の広場にバルが設けられ、村の吹奏楽団の演奏がありました。

最初に流れてきたのはパソドブレです。

これが、たまらなくいいのです。

今が1950年代だと言われても、そのまま通用しそうな景色が目の前に広がります。華やかなのにどこか古めかしく、スペインらしい。こういう雰囲気が私は好きなのだと思います。

昼間には昔ながらの遊びで子どもたちが遊び、夜になれば広場で村の楽団がパソドブレを奏でる。

その後も音楽を聴きながら皆で飲み、気がつけば私もすっかり酔っ払っていました。

帰りはかなりフラフラです。

よく家までたどり着いたものだと思います。

玄関を入った後は、ほとんどバタンキュー。

仕事から始まり、子どもたちの遊びを眺め、久しぶりの友人に会い、思いがけずケンブリッジの昔話をして、最後はパソドブレとお酒。

そんな金曜日でした。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

8月13日(木) 80年前の手紙を読み解く、夏の午後

こちらに来てから、少しずつ腰が痛くなっていました。この日はかなり痛みが強くなり、動くのも少し辛いほどでした。

腰そのものというより、腰より少し上、背骨の横にある筋肉の辺りです。以前、転んで腰から落ちたことがあり、その時に内側の筋を痛めました。どうやらその古傷が、何かの拍子にまた痛み出すようです。

そんな状態でしたが、昼の12時過ぎにマルコスとカルメンが迎えに来てくれました。今は車がないので、本当に助かります。

出かける前に、犬と猫たちにお別れしました。

ワンちゃんはまだ足が痛そうです。それでも日に日に、ほんの少しずつ良くなっているようにも見えます。痛そうにしている姿を見ると、やはり可哀想で仕方ありません。

猫たちは対照的でした。年上の猫は昨日も今日もソファーの上でぐったりと寝ています。

暑さでのびてるルビーちゃん

一方、若い猫は外へ遊びに行ったかと思えば、また戻ってきたりと自由気ままです。

滞在している家にはプールもあり、前日は入ろうと思えば入れたのですが、色々やることもあって結局入りませんでした。この日も泳ぐことなく、そのままカルメンの家へ向かいました。

目的は、以前から少しずつ進めている古い家族の手紙のデジタル化です。

今回取り組んだのは1943年頃の手紙で、4、5通ほど作業をしました。手書きの文字なので、カルメンは一通ずつ原文と照らし合わせながら確認していきます。かなり神経を使うらしく、途中で「もう駄目」と言いながら疲れ果てていました。

私が担当しているのは、まず手紙を撮影し、その画像をAIに読み込ませて文字に起こす作業です。その後、原文と照らし合わせながら修正していきます。

ただ、私はスペイン語のネイティブではありません。文字がはっきりしていれば確認できますが、崩れた筆記体になると途端に難しくなります。

それに、問題は文字そのものだけではありません。

言葉には、その時代を生きた人だからこそ自然に分かる表現があります。

例えば日本語でも、昔のドラマで男性が店に入り、女将さんに「一本つけて」と言えば、それが酒を頼んでいることだと分かります。しかし、日本語を勉強しただけの人、あるいは若い世代には、何を「つける」のか分からないかもしれません。

1943年に書かれたスペイン語の手紙にも、同じようなことがあります。当時なら当たり前だった言い回しや、文章の流れから自然に読み取れる言葉があります。私が文字だけを追っても判断できない部分があり、そこはカルメンに頼るしかありません。

文字起こしが終わると、次は現代のスペイン語に直していきます。そして、その後は英語への翻訳です。

カルメンは英語のネイティブなので、AIが作った英訳を読み、おかしいと感じたところはスペイン語の原文に戻って確認します。一からすべてを訳すわけではありませんが、一つひとつ読んで直していくのは、かなりの労力です。

80年以上前に誰かが家族を思って書いた手紙を、今の私たちが読み解いています。AIを使えば作業そのものは随分速くなりましたが、最後に必要なのは、やはり人間が言葉を読み、その背景を考えることなのだと思います。

しばらく作業を続けた後、マルコスが仕事へ行く時間になったので、それに合わせて家まで送ってもらいました。

そして帰宅した頃には、相変わらず腰が痛いまま。

古い手紙を何通も読み解き、腰の痛みを抱えて家に戻る。そんな夏の日でした。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。



2026/08/26

8月12日(水) 白い村で眺めた、パックマンのような日食

ワンちゃんの具合は、まだあまり良くありません。痛み止めを飲んでいるので、少しは楽なのだと思いますが、やはりまだ心配です。

今いる家は宿泊施設としても貸し出していて、AirbnbやBooking.comにも掲載されています。今はスペイン人の家族が泊まりに来ています。

昨日は海の方へ出かけていたようで、帰ってきたのは少し遅めでした。その後も家族で話したり、プールに入ったりしていて、なかなか賑やかでした。スペインの家族が集まると、本当に声がよく響きます。というか、正直うるさいです。

そして今朝は10時頃になると、皆でどこかへ出かけていきました。

誰もいなくなったので、私もプールに入ろうかと思いました。ただ、昨日はフィルターを回して水をきれいにする時間が終わった後に子供たちが入っていたので、何となく入る気になれませんでした。

結局、昼間は仕事をしながら過ごしましたが、この日の楽しみは夕方に待っていました。

8月12日は、スペインで日食が見られる日でした。

スペイン北部などでは太陽が完全に隠れる皆既日食になりましたが、ここアンダルシアでは部分日食です。それでもかなり大きく欠けるというので、前から楽しみにしていました。

家の前には山があるため、最後まで見られるかどうかは少し心配でした。それでも、この家からはちょうど夕日の沈む方向が見えます。

日食を見るための専用眼鏡も用意しました。

スマートフォンのカメラに取り付けられるフィルターも買ってあったので、せっかくだから写真も撮ってみました。

ただ、私のスマートフォンではなかなかうまく撮れません。露出を落とすなど設定を変えればもう少しきれいに撮れたのでしょうが、途中から面倒になってしまい、「まあ、いいか」と諦めました。

写真に残すことより、自分の目で見る方に集中することにします。

専用眼鏡をかけて太陽を見ると、少しずつ形が変わっていきました。

見ているうちに、何だかパックマンのように見えてきます。丸い太陽の一方から、口がどんどん大きく開いていくようです。

皆既日食ではありませんが、自宅から眺めているだけでも不思議な光景でした。

そして来年、2027年8月2日には、今度はアンダルシア南部で皆既日食が見られます。マラガ周辺も皆既帯に入るそうです。

それなら来年の8月までは、ここにいないといけないかな。

そんなことを考えながら、少しずつ欠けていく夕方の太陽を眺めていました。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


8月11日(火) 車の修理と、足を痛めた犬との二泊

この日は朝から慌ただしく、長い一日になりました。

朝9時、車を預けている修理工場へ行きました。どこに問題があり、修理にはいくらかかるのか、きちんと説明を聞くためです。

まず御主人が車の状態を説明してくれましたが、費用など事務的な話は奥さんが担当しているようで、彼女が来るまで少し待つことになりました。

とはいえ、私はこの後仕事があります。

「もう戻らないといけないんだけど」と言っても、「もう少し待って、もう少し」と引き止められ、結局ぎりぎりまで待つことになりました。

ようやく奥さんが到着し、修理内容と金額を聞いたところ、予想していたよりもかなり高額でした。その場では決めず、「少し考えます」と言って、いったん持ち帰ることにしました。

そして今回は、いつもと少し違う方法で説明を聞いてみました。

これまでは修理工場で言われるスペイン語を、とにかく必死に聞いていました。ただ、そもそも私は車の構造に詳しくありません。スペイン語で専門用語を並べられても、何の話なのか分からないことが多いのです。正直、日本語で説明されても分からない部分はあります。

そこで今回は、修理工場での説明をチャッピーにも聞いてもらい、その場で日本語にして確認しました。

これは随分助かりました。

「スペイン語が分からない」というより、「車の話が分からない」という二重の壁があるので、少なくとも日本語で内容を整理できるだけでも随分違います。

家に戻ってから、今度は車に詳しい友人にも相談しました。「内容を送ってくれたら見てあげる」と言ってくれたので、修理内容をまとめて送りました。高額な修理だけに、すぐに決めず、何人かの意見を聞いてから考えるつもりです。

そんなことをしているうちに、10時からは英会話でした。

生徒さんといっても友人なので、この日はほとんどレッスンにはなりませんでした。彼は少し前までイギリスへ行っていて、今度はフランスへ旅行する予定です。その話をしているだけで時間が過ぎ、結局いつものようなおしゃべりで終わりました。

その後、少し仕事をしてから荷造りを始めました。

この日から二泊、友人宅で犬と猫の世話をすることになっていたのです。

今は自分の車が使えないので、マリに迎えに来てもらいました。二泊だけですし、夏なので服も少なくて済みます。食べ物も少しだけ持ち、簡単な荷物で出発しました。

ところが、車の中で足元にコンピューターのバッグを置いていたため、変な姿勢で座っていたのでしょう。友人宅に到着してしばらくすると、腰が痛くなってきました。

「これは気をつけないと」と思っていたところに、もう一つ困ったことがありました。

世話をするワンちゃんが、足をひどく痛めていたのです。

以前にも同じ足を怪我したことがあり、かなり良くなっていたのですが、また痛めてしまったそうです。私が着いた時には本当に辛そうで、見ているこちらまで困ってしまうほどでした。

足のサポーターはすでに注文していますが、まだ届いていないそうです。

飼い主からは、いつもの倍の痛み止めを飲ませてほしいと言われていました。

薬をそのままでは食べてくれそうになかったので、持ってきていた普通のハムで包み、少しずつ食べさせました。

飼い主からは餌に混ぜればいいと聞いていましたが、私は以前飼っていた犬で、薬だけ器用に残される経験を何度もしています。クリームチーズなどに包んで食べさせていたことを思い出しながら、このワンちゃんにも確実に飲んでもらう方法を選びました。

問題は、その後です。

足が痛くて外へ出られません。当然、トイレにもあまり行けません。

どうしたものかと考えましたが、この犬はおそらく28キロほどあります。私一人で抱えて外へ連れ出すのは無理です。しかも、こちらも腰が痛くなったばかり。無理をして自分まで動けなくなっては困ります。

犬は痛いと言葉で説明できません。

じっとしている姿を見ていると、どの程度痛いのか、何をしてほしいのかも分からず、それが余計にもどかしく感じられます。

とはいえ、今回は二泊だけです。飼い主もそれほど遠くへ出掛けているわけではなく、いざとなれば一時間半ほどで戻って来られる距離にいるとのことでした。その点だけは少し安心です。

朝は車の修理代に頭を悩ませ、昼には荷物を抱えて移動し、夕方には自分の腰と犬の足を心配することになりました。

予定していたこと以上に、次から次へと小さな問題が出てきた一日です。

まずは犬の痛みが少しでも和らいで、無事に二泊を過ごしてくれればと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

2026/08/25

8月10日(月) 暑い月曜日、村の家と土地のことを考える

週末に続けて出かけたせいか、月曜日の今日はさすがに疲れが残っていました。

シエテピラス村に滞在していた友人のサーラ一家は翌日に帰る予定です。この日も色々と出かけるようで、「夜はもう村には行かないから」と連絡がありました。楽しかった夏の再会も、そろそろ終わりです。

私も水曜日から2泊3日で、別の友人の家に行くことになっています。友人一家が旅行に出るため、その間、犬と猫の世話を頼まれているのです。しばらく買い物にも行っていなかったので、自分の食べ物も用意しておこうとスーパーへ向かいました。

その前に、Amazonで注文した荷物を受け取るため郵便局へ。郵便局は午後2時前に閉まるので、仕事が一段落したところで家を出ました。

ところが、外に出てみると暑いのなんの。

ちょうど一日の中でもかなり暑い時間帯です。歩き始めてすぐ、「こんな時間に出てくるんじゃなかった」と思うほどでした。

村には現在、チェーン系のスーパーが一軒あります。以前は昼にシエスタ休憩がありましたが、今は昼休みなしで一日中営業しています。

私はこのスーパーへ行くなら、昼食の時間帯が気に入っています。スペインでは皆が家で昼食を取っている頃なので、店内がとても空いているのです。暑ささえ我慢すれば、ゆっくり買い物ができます。

この日も人の少ない店内でのんびり買い物を済ませましたが、帰り道はやはり暑く、家に着いた頃にはぐったりしていました。

帰宅してからは洗濯をしたり、また仕事に戻ったりして過ごしました。

すると今度は別の友人から、「明日帰る」と連絡が入りました。マドリッドから村へ来ていた友人です。少し前には息子さん二人を連れて来ていましたが、今回は一週間ほど一人で滞在し、のんびり過ごしていたようです。息子さんたちは母親側の家族と海の方のホリデーハウスで過ごしているそうです。

夏になると、こうして普段は別の町で暮らしている人たちが村へ戻ってきます。それぞれに家があり、家族があり、休暇になるとそこで何日か過ごします。

スペインに暮らしていると、家や土地に対する感覚が日本とは少し違うように感じることがあります。

日本で「別荘を持つ」と聞くと、かなり余裕のある人の話という印象があります。しかしこちらでは、少なくとも私の周囲では、町や村にもう一軒家やピソを持っている人はそれほど珍しくありません。

もちろん事情は家庭によって違いますが、土地や家を持つことに対する心理的な距離が、日本より近いように感じます。

「お金があれば土地を買う、家を買う」

そんな考え方をする人も少なくありません。銀行にお金を置いておくだけでは仕方がない、という感覚もあるのでしょう。

この村の歴史を聞いていると、その背景も少し見えてきます。

今よりずっと貧しかった時代、仕事を求めて村を離れた人が大勢いました。行き先はフランスやドイツ。またスペイン国内でも、バルセロナやビルバオなど、工業の盛んな北部へ働きに出た人がいました。

そこで何年も働き、お金を貯める。そして故郷の村に土地を買い、家を建てる。

そうして築いたものを大切に持ち続けた世代がいます。

やがてその世代が亡くなると、家や土地は次の世代へ渡ります。そのまま受け継いで使う人もいれば、兄弟で相続した後に売却して代金を分ける家庭もあります。

事情は様々ですが、それでもどこかに「土地や家は持っていた方がいい」という感覚が残っているように思います。

そんな話を見聞きするたび、日本の空き家問題のことを考えます。

日本には使われていない家がたくさんあると聞きます。それなら、もっと気軽に「週末の家」や「夏の家」として使えるようになればいいのに、と思うことがあります。

もちろん税金や維持費、相続など、日本には日本なりの難しさがあります。単純にスペインと比べることはできません。

それでも、普段暮らす家とは別に、時々帰る場所があるという生活は悪くありません。

夏になると人が戻ってきて、静かだった村が急に賑やかになる。しばらく滞在して、またそれぞれの町へ帰っていく。

そんな人の流れを見ていると、家というものは、毎日住むためだけにあるのではないのかもしれないと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

8月9日(日) マーケットと海を巡る、夏の日曜日

前日は友人たちが借りているホリデーハウスに泊まり、

翌朝は皆で海の方へ出掛けました。

最初の目的は、日曜日に開かれているというカーブート・マーケットです。ところが着いてみると、会場ではフェリアの準備が進められていて、肝心のマーケットは見当たりません。Googleで調べると開催されていることになっていたそうですが、この日は休みだったようです。

イギリス人の友人たちは、こういうマーケットが本当に好きです。私は特に買いたい物がなければわざわざ行こうとは思わないのですが、友人たちは機会があれば覗きたがります。そのあたりにも、ちょっとした文化の違いを感じます。

せっかく海まで来たので、そこからエステポーナの港へ向かいました。ここでも日曜日にはマーケットが開かれていて、洋服や鞄、雑貨などを売る店が並びます。

歩いていて驚いたのは、有名ブランドのコピーと思われる商品が堂々と並んでいることでした。鞄だけでなく、エルメス風のブランケットのような物まであります。

中でも目についたのが、サッカーのユニフォームです。スペイン代表のものもたくさん売られていました。私の村でも子供たちがよく着ているので、「こんなに皆が買えるほど手頃なのだろうか」と以前から不思議に思っていましたが、なるほど、こういう場所で売られているのかもしれません。

スペインももちろんヨーロッパですが、こういうところは思いのほか緩いです。長く暮らしていても、時々驚かされます。

マーケットを見た後は、近くのビーチへ行きました。着いてみると、以前にも来たことがある場所だと思い出しました。

湾のように丸く囲まれた海岸で、浅瀬がかなり遠くまで続いています。小さな子供を連れた家族にも過ごしやすそうなビーチで、そのせいか大勢の人で賑わっていました。

そこで昼食を取るつもりでしたが、何となく私たちが考えていた雰囲気とは違い、もう少し気軽な場所へ移動することになりました。向かったのはサビニージャスです。

ところが、ちょうど昼時。海岸周辺は車でいっぱいで、駐車する場所がありません。結局ビーチへ行くのは諦め、スーパーに寄ってホリデーハウスへ戻ることにしました。

そのスーパーの駐車場まで満車です。車を停めるだけでも一苦労で、夏の日曜日に海沿いへ出掛ける人の多さを改めて実感しました。

買い物を済ませてホリデーハウスへ戻ると、ようやく少しのんびりできました。

その後、私は村まで送ってもらい、楽しかった週末もこれで終わりかなと思っていました。

ところが夜になって、友人たちが別のバルで夕食を取っているので、その後いつものバルで会おうということになりました。

人数が多いため、「大きなテーブルを取っておいて」と頼まれました。そこで私が先に店へ行き、何とか二つのテーブルを確保しました。

ただ、こういう時は少し困ります。人数が多い上に、皆がすぐ来るわけではありません。店としても、誰も座っていないテーブルを長い間押さえられるのは困るのでしょう。案の定、しばらくすると店の人から色々と言われ始めました。

こちらとしては、友人たちに頼まれたから席を取っているだけです。それなのに、なぜか私が店との間に挟まれることになります。

しかも友人たちは別の場所でまだ食事をしていて、なかなかやって来ません。

「そんなにすぐ来ないのなら、私にテーブルを取っておいてなんて言わないでよ」

だんだん、そんな気分になってきました。結局、押さえていた二つのテーブルのうち一つは店に戻し、一つだけ残すことにしました。

今そのバルを仕切っている女性は、なぜか私には色々と言ってきます。他の人にはそれほど言わないのに、私には細かなことまで注意してくるのです。この日はウェイトレスも、以前とは違ってあまり感じが良くなく、余計に気疲れしてしまいました。

もちろん、店側にも事情はあります。混んでいる夜に、大きなテーブルをいつまでも空けておきたくないのは十分理解しています。それだけに、皆が来るまで席を確保する役目を引き受けたこと自体が間違いだったのでしょう。

次から「席を取っておいて」と頼まれても、皆が店の近くまで来てからにしようと思います。

海へ行き、マーケットを歩き、友人たちと過ごした週末そのものは楽しいものでした。最後に少し気分を害することはありましたが、そんなことも含めて、夏のスペインで過ごす日常です。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


2026/08/19

8月8日(土) プールで過ごす午後、シエテ・ピラス村の夜

前日の夜が少し遅かったこともあり、午後もまだ少し二日酔いが残っていました。

朝はもらっていたフリーズドライの味噌汁をいただきました。

そして少し休んでから、約束していたプールへ向かいます。

この日は、サラの家族が村に遊びに来ていました。私もそこに合流して、まずは少し泳ぐことにしました。

プールの入場料は3ユーロ。泳ぐ前にアクエリアスを一杯飲んで、ようやく水の中へ入ります。

しばらくすると、ティーンエージャーの男の子たちが次々とプールへ飛び込んできました。

小さな子供たちならまだそれほど気になりませんが、身体の大きな男の子たちが勢いよく飛び込むと、水しぶきもかなりのものです。見ている分には楽しそうなのですが、のんびり泳ぐには少し落ち着きません。

それでいったんプールから上がったのですが、彼らもその後すぐ上がっていきました。それならもう少し泳いでいればよかった。。。

時刻は午後2時から2時半頃。この時間帯は、実はプールが一番空いています。スペインではちょうど昼食の時間なので、その前後には賑わっているプールから、人がすっと消えるのです。

せっかくなので、もう一度水に入り、今度は静かなプールを少し楽しみました。夏の村で泳ぐなら、この時間が意外な狙い目です。

泳いだ後は、再びみんなのところへ戻りました。

アルボンデガス

最初はプールの横にあるホテルのバルにいましたが、その後、プールから少し下ったところにあるチリンギートへ移動しました。

チリンギートとは、海辺やプールのそばなどにある気軽なバルのようなものです。ここは昔のほうがもう少し雰囲気が良かった気もしますが、それでも夏の日に外で飲むには十分です。

そこでしばらく飲んでいると、サラの夫のアントニオが、「このまま僕たちのところに来ればいいよ」と誘ってくれました。

彼らが滞在しているのは、村から車で20分ほどの所にある、シエテ・ピラス村というところにある一軒家です。プール付きの家を借りていて、泊まる場所もあるそうです。

翌日はみんなで海の方へ行く予定です。暑くなる前に、朝早めに出発するつもりなので、泊まったほうが楽だろうということになり、私も一緒に行くことにしました。

その前にバルで食事をしたのですが、写真を撮るのをすっかり忘れて、一枚だけです。


バルのラ・パラ

シエテ・ピラスの家に着いてからも、みんなで飲みながら過ごしました。

辺りは暗くなり、明かりも控えめです。流れている音楽も程よく静かで、疲れた身体には心地良すぎたのか、だんだん眠くなってきました。

このままでは寝てしまいそうなので、少し歩くことにしました。

歩きながらブログ用の録音をしました。

昼間の賑やかなプールから、夜の静かなシエテ・ピラスへ。長い一日でしたが、明日はまた海へ向かいます。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。