お問い合わせは ⇒ shiroimura.cortes☆gmail.com 迄、ご連絡くださいませ。(お手数ですが、☆を@に変更下さいませ)
コルテス村の地図 ⇒ こちら
【村の行事】2026年
祝日8月15日(土) 、壁のないフェスティバル 8月14日(金) &15日(土)、夏のフェリア8月20日(木) 〜23日(日)

2026/07/31

7月24日(金) 誕生日の夜に思い出した、冷戦時代のブダペスト

ロンダから戻った後、遅めの昼食を取り、少し休んでから仕事を始めました。もう少し続けようと思っていたところに、友人の息子ちゃんから連絡が入りました。私は彼のことを、スペイン語で「mi sobrino(私の甥)」と呼んでいます。


「飲みに行こう」と誘われたので、仕事を切り上げて家を出ました。時刻は夜9時を過ぎていましたが、夏のスペインはまだ明るい時間です。


一緒にタパスを食べながら話していると、その日が彼の誕生日だと分かりました。「mi sobrino」と呼んでいながら、誕生日をすっかり忘れていたのです。それでも、そんな大切な日に声を掛けてくれたことが、何より嬉しく感じられました。


彼の年齢を聞き、私自身が同じ年齢だった頃のことを思い出しました。当時は香港に住んでいて、失恋のため毎日のように泣いていました。その頃は心が痛み、生きていることさえ辛く感じていましたが、今となっては遠い思い出です。彼の年齢をきっかけに、長い間忘れていた記憶が、突然よみがえってきました。


彼は少し前、妹ちゃんが暮らしているブダペストを訪れ、週末を含めて4日ほど過ごしたそうです。その話を聞いているうちに、今度は私が初めてブダペストを訪れた時のことを思い出しました。


それは1988年9月中旬、まだ東西冷戦が続いていた時代です。ウィーンでビザを取り、列車でハンガリーへ向かいました。

1988年ドナウ川

駅で、日本から来た大学生と、ニューヨークから来た日本人男性に出会いました。3人で同じコンパートメントに座り、ブダペストまで一緒に旅をすることになりました。

国境付近に着くと、係官が車内に入ってきました。乗客を立たせ、座席の上や下を懐中電灯のようなもので照らしながら、誰かが隠れていないかを調べていました。車内には物々しい空気が漂っていました。

入国時の詳しい手続きまでは覚えていませんが、国境で感じた緊張感は、今でも記憶に残っています。

ブダペストでは宿を予約していませんでしたが、ニューヨークから来た日本人男性が泊まる予定だというホテルに、3人で向かいました。とても立派なホテルで、それぞれ部屋を確保することができました。

ホテル代が幾らだったのか、どのように支払ったのかは、今では覚えていません。それでも、思いがけず立派なホテルに泊まることができ、嬉しかったことは覚えています。

スパや大きな温水プールなども備わっていたようです。しかし、当時の私はそのようなホテルに慣れておらず、残念ながら十分に楽しむことができませんでした。

夜は3人で外へ出て、見つけた食堂に入りました。トレーを持ち、並んでいる料理から好きなものを選ぶ、カフェテリアのような店です。私たちはいろいろな料理を取りましたが、残念ながら、あまり口には合いませんでした。

周囲を見ると、現地の人たちはパンとスープ程度の食事をしていました。その中で私たちだけが何皿も並べていたため、残すのが申し訳なく感じられました。私は、取った分を何とか食べ切りました。その時の光景も、なぜか強く印象に残っています。

翌日は一人で街を歩きました。細い道に入ると、建物の壁に銃弾と思われる跡が幾つも残っていました。戦争の傷跡です。

その後に訪れた市場では、安くておいしいソーセージを食べました。街を見渡せる丘のような場所を歩いた記憶もあります。

タクシーに乗った時、運転手さんが「この国の体制は、あと2年ほどで変わる」と話していました。その時は半信半疑でしたが、実際には、その約1年後に東ヨーロッパを取り巻く状況が大きく変わりました。

ベルリンの壁が崩壊したというニュースを見た時、ブダペストの運転手さんの言葉を思い出しました。

今の美しく明るいブダペストを訪れれば、当時の記憶はきっと上書きされてしまうでしょう。それも悪いことではありませんが、暗さや緊張感を含めたあの時代の印象を、私はもう少しそのまま残しておきたいと思っています。

そんな昔話をしながら、夜は過ぎていきました。

翌24日の朝は、9時前に久しぶりの散歩へ出ました。

昼間の暑さが嘘のように、朝の空気はひんやりしています。標高の高いこの村は、日中は気温が上がっても、朝晩には涼しさが戻ります。日本でいえば、長野県などの山間部に近い気候かもしれません。

昨夜は思いがけず遠い昔まで記憶をたどりましたが、朝になると、目の前にはいつもの村の景色が広がっています。涼しい空気の中を歩いていると、頭も気持ちもすっきりしました。

乾季なのに健気に咲く花

散歩の後は、スーパーへ向かう前に郵便局へ寄りました。いつも窓口にいる女性の姿はなく、代わりに見慣れない男性が座っていました。どうやら、彼女は夏の休暇に入ったようです。

スペインでは、1か月ほどの休暇を取ることも珍しくありません。働く人に認められた権利なので、夏になると多くの人が当然のように休暇を取ります。小さな村の郵便局も例外ではありません。

その後、銀行へ行き、ATMで現金を下ろそうとしました。ところが、機械が動いていません。まだ朝の9時です。朝一番から現金を引き出せないとは思いませんでした。

郵便局ではいつもの担当者が休暇に入り、銀行ではATMが止まっています。夏のスペインでは、何もかもが普段よりゆっくりと動いているように感じます。

涼しく気持ちのよい朝でしたが、最後にはやはり、スペインの夏らしい出来事が待っていました。

祭の準備

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


2026/07/30

7月23日(木) 崖崩れの迂回路を通り、ロンダで電力手続きと車検

朝は曇り空で、外に出ると意外なほど涼しく感じました。この日は友人のマリと一緒に、ロンダへ向かいました。

現在、村からロンダへ向かう道の一部が通行止めになっています。以前の嵐で崖崩れが起き、今も各地で修復工事が続いているためです。そのため、まず隣の隣りの村のベナオハンへ行き、そこから普段とは反対方向のモンテハケ村を通って、大きな道路へ出る迂回ルートを使いました。

山間部には道幅の狭い場所もあり、さらに幹線道路へ出てからも、何か所かで工事のために車を止められました。

特に驚いたのは、巨大な重機が崖を削っているすぐ下を、車で通り抜けたことです。日本では、作業中に一般車を通すことはまずないだろうと思いながら、慎重に進みました。

別の場所では、崖に落石防止用の鉄網を設置していました。作業員が崖の途中に宙づりになり、機械で岩に穴を開けています。作業のたびに砂煙が噴き出し、近くで見るとなかなか迫力のある光景でした。

工事による停止も重なり、ロンダまでは結局1時間10分ほどかかりました。

今回ロンダへ行った目的は、電力会社の事務所を訪ねることでした。以前から契約電力を上げる手続きをしているのですが、なかなか変更されず、電話をしても話が進みません。ロンダのガソリンスタンド内に電力会社の窓口があるため、直接相談してみることにしたのです。

マリはその後、ヘレス方面へ仕事に向かう予定でしたが、時間を作って一緒に来てくれました。私のスペイン語だけでは難しいと思ったからです。

マリにも、すべてを正確に説明できるわけではありませんが、不思議なことに私の言いたいことをよく理解してくれるのです。言葉だけではないところで、通じ合っているのだと思います。

事務所に着いたのは午前10時10分頃でした。いつもは待っている人が多いのですが、この日は誰もいません。すぐに対応してもらえると思ったものの、肝心の担当者も不在でした。

こちらでは午前10時から10時半頃まで、朝食休憩を取る人が多いです。窓口の担当者は一人だけでしたが、その人もきちんと休憩に出ていました。

番号札を取り、しばらく待つと、10時半になってようやく戻ってきました。それからゆっくりコンピューターを立ち上げ始めます。

私はこの後に車検の予約があり、マリも仕事へ行かなければなりません。内心では早くしてほしいと思いましたが、こちらの時間はいつも通り、ゆっくり流れていました。

それでも私たちは一番目に呼ばれ、これまでの書類を見せながら事情を説明しました。しかし、残念ながら、この事務所では対応できないとのことでした。

代わりに、これまで電話していたカスタマーサービスではなく、技術部門の電話番号を教えてもらいました。

その後外に出てマリが電話をかけてくれました。この時も案内の音声が流れ、なかなかつながりませんでしたが、ようやくスペイン国内の担当者につながりました。

ただ、そこでできることも、申請に「緊急」と記録を加えることだけでした。できる限りのことはしたので、今はもう待つしかありません。

マリにお礼を言い別れ、私は車検場へ急ぎました。毎回時間には余裕を持って行くようにしていましたが、この日は本当にぎりぎりでした。

今の車検場では、事務所に入ると機械が設置されていて、車のナンバープレートを入力すると、登録済みのクレジットカードで支払いができます。手続きが終わったら外で待ち、電光掲示板に自分の番号と検査レーンが表示されたら、そこへ車を進めます。

昔は、この案内が構内放送だけでした。ナンバーとレーン番号をスペイン語で読み上げられるのですが、音が割れていて、ほとんど聞き取れません。

呼ばれたことに気づかないでいると、近くで待っている人が「今、呼ばれたよ」と教えてくれたりしました。知らない者同士でも、自然に声を掛けてくれる人が多く、何度も助けられたものです。

今は番号が画面に表示されるので、ずいぶん便利になりました。

この中に進みます

この日の検査担当者は、とても陽気な人でした。作業をしながら村の話をしたり、知り合いのバイク店の名前を出したりと、終始にぎやかです。

途中で突然、スペインの首相であるサンチェス氏が好きかと聞かれました。移民に手厚い政策を取っているため、外国人である私も恩恵を受けていると思われたようです。

私は「何も恩恵を受けていませんけど」と答えました。できることなら、こちらこそ何か援助してもらいたいくらいです。

そんな会話をしながら検査は進みましたが、結果は不合格でした。

問題は二つありました。一つはタイヤの交換、もう一つは前照灯の曇りです。ライトが少し暗くなっていることは以前から分かっていましたが、今回はそこも指摘されました。

検査結果の用紙を受け取った時には、細かい内容がすぐには理解できませんでした。そこで、いつものガソリンスタンドにあるバルに寄り、アルコールの入っていないビールを飲みながら、用紙の写真をチャッピーに送りました。

問題の箇所を説明してもらうと、ようやく内容が分かりました。こういう時は、本当に便利です。

そのまま、いつも利用している修理店へ向かいました。

タイヤは、以前はブリヂストンを使っていました。しかし今回は入手できないとのことで、いくつか別のメーカーを提案されました。

安いタイヤも勧められましたが、メーカー名を聞くと、ある大陸の名前でした。さすがにそれは不安だったので断り、最終的には韓国製のタイヤを取り寄せてもらうことにしました。

タイヤが届いたら連絡をくれるそうです。

店の人からは、修理が終わるまでロンダなどへ出掛けようと考えないように、と念を押されました。車検に通らなかった車は、修理店や再検査場へ行く目的以外では、基本的に運転できません。

昔はその決まりを知らず、修理までの間も普通に乗れると思っていました。一度説明を受けてからは、気をつけるようにしています。

とはいえ、車はまったく動かさないと、今度はエンジンがかかりにくくなることがあります。必要な範囲で注意しながら動かすしかなさそうです。

朝は涼しかったものの、午後になると暑くなりました。空は一日中、青ではなく灰色がかっていました。

強い日差しが見えないのに、空気そのものが熱を含んでいるようです。これこそ熱波の空なのだろうと思いながら、長い一日を終えました。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

2026/07/29

7月22日(水) 車検前の洗車と、つながらない電気会社

翌日はロンダで車検を受ける予定です。そのため、車を洗い、オイルやラジエーターの冷却水も確認しておかなければなりません。

ところが、朝から急ぎの仕事が入り、なかなか手を止められませんでした。暑くなってから洗車に行くのは避けたかったので、何とか昼前に家を出ました。

車を洗っていると、どうしても水が少しかかります。夏はそれが意外と気持ちよく、私は結構気に入っています。洗車を終えた後は、オイルと冷却水を確認して帰宅し、再び仕事に戻りました。

この日は朝から厳しい暑さでした。前日に到着した方々とは、インターネットの回線状態が悪く、十分に話ができていませんでした。そのため、改めて電気の契約容量が低いことを伝えました。

ドライヤーなど、消費電力の大きい電化製品をほかの機器と同時に使うと、ブレーカーが落ちる可能性があります。実際にどの程度まで使えるのかは分かりませんが、現在はかなり低い契約容量になっています。

せっかく滞在しているのに、この暑さの中で電化製品を自由に使えないのでは困ります。

やはり心配になり、午後はマリに会うためプールへ向かいました。マリは泳いでいましたが、事情を話すと、再び電気会社へ電話をかけてくれました。

この電話が、なかなか大変です。最初から担当者につながるわけではなく、音声案内に向かって、用件や身分証明書の番号、住所などを口頭で答えなければなりません。番号を押して進む方式ならまだ分かりやすいのですが、機械とのやり取りが何度も続きます。

ようやく担当者につながりそうになったところで、一度電話が切れてしまいました。そのため、また最初からすべてやり直すことになりました。

以前、銀行へ電話した時は、番号を選びながら進める方式だったので、チャッピーの助けを借りて何とか自分でも対応できました。

しかし、電気会社の音声案内は私のスペイン語では難しく、マリに頼るしかありません。

長い時間をかけて、ようやく担当者につながりました。話し方からすると、南米にあるコールセンターのようでした。英語圏の企業がインドなどにコールセンターを置くのと同じように、スペイン語圏では南米に置かれているのでしょう。

ただ、遠く離れた場所にいる担当者に、スペインの猛暑の中、家で電化製品を十分に使えずに困っていると説明しても、こちらの切迫感まではなかなか伝わりません。

結局、契約容量の変更には、申し込みから最大14営業日かかると言われました。土日は含まれないため、まだ時間が必要だということです。

前回の電話では14日以内、21日か22日には作業が完了すると言われていました。それなのに、今回は説明が変わっています。対応する人によって言うことが違うため、いつまで待てばよいのか分かりません。

スペインでは、夏に長い休暇を取る人が多くなります。そのため、この時期は人手が少なくなり、さまざまな手続きが普段より進みにくいことがあります。今回も、夏休みの影響で作業が遅れているのかもしれません。

しかし、この暑さの中で電化製品を思うように使えないのは困ります。南米のコールセンターに何度電話をしても、これ以上は埒が明きそうにありません。

そこで、電話だけでは話が進まないと考え、翌日、電気会社の事務所へ直接行くことになりました。

私はもともと車検のためロンダへ行く予定です。マリもその後に仕事があるというので、それぞれの車でロンダへ向かい、先に電気会社の事務所へ寄ることにしました。

事務所での用事を終えた後、マリは仕事へ、私は車検場へ向かいます。

車検の準備をするだけのはずだった一日が、電気会社との長い電話によって、翌日の予定まで変わる一日になりました。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

2026/07/28

7月21日(火) 古い手紙と向き合う、暑い夏の午後

午前中に少し仕事をした後、カルメンの家へ向かいました。今回も、1940年代に離れ離れになった家族が交わした手紙をデジタル化するためです。

コンピューターをはじめ、作業に必要な物をいくつも持って家を出るだけで、ひと仕事を終えたような気分になります。外はすでに暑く、荷物を車に積み込む頃には汗をかいていました。車内にも熱がこもり、すぐに座るのをためらうほどでした。

カルメンの家は、村から少し離れた田舎にあります。到着して中に入ると、外の暑さが嘘のように涼しく感じられました。日差しが当たる側のシャッターをすべて下ろし、扇風機を回していたからです。

スペイン南部の夏は、窓を開ければ涼しくなるとは限りません。強い日差しを家の中に入れないことが大切です。昼間にシャッターを閉め、室内を薄暗く保つ昔ながらの方法は、簡単ですが効果があります。

午後1時過ぎに到着し、1時半頃から作業を始めました。この日は三、四通ほどの手紙をデジタル化しました。

古い筆跡を読み、文章を一つずつ確認していくため、思った以上に時間がかかります。手紙に書かれた言葉を追っていると、遠く離れた家族を思う気持ちが、何十年もの時を越えて伝わってきます。

作業の途中で、カルメンの夫のマルコスが軽食を用意してくれました。私は家を出る前に軽く昼食を済ませていたので、気にしないでほしいと伝えました。

それでも、「ヨーロッパの法律では、そんなに長く働かせてはいけない」と冗談を言いながら勧めてくれたので、少し休んで食事を取り、その後また手紙の作業に戻りました。

帰宅後にも片付けなければならない仕事が残っていたため、この日は寄り道をせず、そのまま家へ戻りました。暑い中を荷物を持って移動するのは疲れますが、涼しい部屋で古い手紙と向き合う、落ち着いた午後になりました。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

2026/07/27

7月20日(月) 電気を待ちながら、プールのバルで過ごす夕方

今日も暑い一日でした。

日中は仕事をし、夕方になってから村のプールへ向かいました。友人のマリがプールのバルにいるというので、会いに行ったのです。

知人が所有するホリデーハウスでは、長い間誰も滞在していなかったため、電気の契約容量を下げていました。使っていない家に高い基本料金を払い続けるのはもったいないので、最低限の容量にしていたのです。

ところが、私がフランスを旅行している間に、急にスペインへ来ることになったと連絡がありました。そのため、旅行から戻ってすぐに、電気の容量を上げる手続きをしました。電力会社からは、20日か21日には変更されると聞いていましたが、この日になってもまだ反映されていませんでした。

到着は明日です。このままでは、空調や電気コンロを使うと、すぐにブレーカーが落ちてしまうかもしれません。どうしたものかと思い、マリにもう一度、電力会社へ電話をかけてもらいました。

ただ、電話がつながったのは南米にあるコールセンターだったようで、スペインでの作業状況まではよく分からない様子でした。それでも、「緊急案件として記録するので、明日には変更されるはずです」と言われ、結局はそれを信じて待つしかありません。

電話を終えた後は、プールのバルで少しビールを飲みました。暑い日だったので、プールでは多くの人が気持ちよさそうに泳いでいます。私は今年、まだ一度も水に入っていません。

水着を持っていないわけではありませんが、そろそろ新しいものを買おうかと考えています。この年までビキニを着てきましたが、最近はもう少し体を覆う形のほうが落ち着くような気がして、Amazonで探してみようかと思っています。

スペインの女性たちは、年齢や体形をあまり気にせず、好きな水着を堂々と着ています。若い女性だけではありません。小さな子供を連れた母親も、年配の女性も、鮮やかで大胆な水着を身に着けています。

周囲の目を気にする様子もなく、皆が夏を楽しんでいる姿を見ると、こちらのほうが気にし過ぎなのかもしれないと思います。それでも私は、この日は水に入らず、バルから眺めているだけでした。

しばらくすると、プールでアクアジムが始まりました。音楽に合わせて水の中で体を動かす運動で、比較的年齢の高い人でも参加しやすそうです。

イギリス人の友人も、今年から参加していました。彼女はヨガのインストラクターをしているので、普段から十分に体を動かしていると思うのですが、「思っていた以上に良い運動になる」と話していました。外から見ているだけでも、腕や脚をしっかり動かしていて、確かに体力を使いそうです。

電気のことは気掛かりなままでしたが、プールの水面や、楽しそうに体を動かす人たちを眺めているうちに、少し気持ちが和らぎました。

日が傾いても暑さは残っていました。明日こそ電気の容量が上がっていますようにと願いながら、家に帰りました。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

2026/07/26

7月19日(日) 16年ぶりのスペイン優勝、村中に響くクラクション

朝からとても暑い一日でした。

この日の夜は、スペイン代表が出場する決勝戦です。村役場がパブリックビューイングを用意していたため、私も見に行くことにしました。

会場は役場前の広場ではなく、スーパーの前にある屋根付きのスペースです。普段から祭りや催し物に使われている場所で、この日はスクリーンが設置されていました。それほど大きな画面ではなく、映像も少しぼやけていましたが、若い人たちを中心に大勢が集まっていました。

用意された椅子だけでは足りず、自宅から折り畳み椅子やテーブルを持ってきている人もいます。スペインでは海や川へ出掛けるときにも、椅子やテーブルを車に積んでいく人が少なくありません。屋根の下に椅子を並べた光景は、どこか海辺のようでした。

仮設のバルは出ていなかったため、飲み物や食べ物は各自で持ち込みです。私は近くのバルでビールをプラスチックの容器に入れてもらい、それを持って会場へ向かいました。

初めは、座っている人たちのすぐ後ろに立って見ていました。画面を正面から見られる、なかなか良い場所です。

ところが、しばらくすると十代の女の子たちが隣に集まり始めました。友達が次々に加わり、私は少しずつ端へ押しやられていきます。最後には持ってきた椅子を私の足に当てながら場所を広げようとする子までいました。

椅子が当たって少し痛かったのですが、謝る様子もありません。国に関係なく、周囲への気遣いがない振る舞いを見ると気分の良いものではありません。

この左の椅子が私の足に直撃

その少し後ろには、知り合いの女の子がいました。今度中学校へ進むくらいの年齢です。その子は一部始終を見ながら、困ったような表情を浮かべていました。

同じ年頃でも、周りのことをきちんと見ている子もいます。もちろん、どこの国でも同じなのでしょう。

結局、その場所を離れ、近所のバルで続きを見ることにしました。

そこは普段から村のおじさんたちが集まる店です。この日は家族連れや小さな子供たちも来ていました。顔見知りのおじさんが椅子を出し、「ここに座ればいい」と場所を作ってくれました。先ほどの会場とは違い、落ち着いて試合を見ることができました。

ハーフタイムには、BTSのメンバーが出演するという話を聞いていました。スペインでも若い女性を中心に人気があり、友人の娘ちゃんもマドリードのコンサートへ行ったことがあります。

しかし、バルのおじさんたちは、ほとんど興味がないようでした。外へたばこを吸いに行く人もいれば、隣の人との話に夢中になっている人もいます。店内が暑かったこともあり、外へ涼みに出る人もいました。画面を見ている人も、何となく眺めている程度です。

スペインでは、テレビがついていても皆がよく話します。パブリックビューイングの会場でも同じで、試合前に出演者が登場しても、周囲の話し声でほとんど聞こえませんでした。

ハーフタイムの演出にも、大きな盛り上がりはなかったように思います。テレビにも観客席があまり映らず、出演者ばかりが映し出されていました。もしかすると、現地のスタジアムでも同じような雰囲気だったのかもしれません。

私は密かに、トム・クルーズが空から降りてくるような派手な演出を期待していました。しかし、もちろんそのような場面はありませんでした。アメリカでも、サッカー人気はまだほかの競技ほどではないのかもしれません。

試合は延長戦に入りました。誰もが、このままPK戦になるのではないかと思い始めた頃です。

ところが、延長後半が始まって間もなく、スペインが得点しました。残念なことに、その瞬間を私は見逃してしまいました。少し気が緩み、携帯電話でメッセージを確認していたのです。外へ出ていた人たちも慌てて戻ってきて、店内は急に騒がしくなりました。

そして、そのまま試合終了。スペインが16年ぶりの優勝を果たしました。

優勝が決まった瞬間、16年前のことを思い出しました。あのときは、どこで試合を見ていたのか、今でも覚えています。

当時、この村にはアルゼンチン出身の人たちが大勢暮らしていました。若い夫婦や小さな子供を連れた家族も多く、村全体に今よりも活気があったように思います。

今回のパブリックビューイングにも、アルゼンチンのユニフォームを着た人が何人か来ていました。しかし、16年前と比べると、その人数はずいぶん少なくなりました。試合を見ながら、村の変化や過ぎた年月のことまで考えていました。

試合が終わると、人々は車に乗り込み、スペイン国旗を振りながらクラクションを鳴らし始めました。しばらくの間、村中にクラクションの音が響き続けました。

静かな夜の村が、久しぶりに大きな喜びに包まれていました。

スペイン代表は、本当に素晴らしいチームでした。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

7月18日(土) 夜は生ハム切り職人の大会へ

朝5時ごろに高齢の父から電話があり、それからは半分眠りながら、半分起きているような状態になりました。この日は珍しく、日本からももう一本電話がかかってきました。

窓を開けると、空は曇っていて、思ったよりも涼しい朝でした。

前日の夜は車でバルへ行き、そのまま車を置いて歩いて帰ってきたため、朝のうちに取りに行かなければなりません。

いつもの夏なら、朝から暑くて歩く気になれません。しかし、この日はまだ耐えられる気温でした。昼には暑くなるという予報でしたが、せっかくなので、久しぶりに散歩を兼ねて車を取りに行くことにしたのです。

歩こうと思ったのには、もう一つ理由があります。

前日に友人と撮った写真を見て、自分の体にすっかり締まりがなくなっていることに気づいたのです。鏡を見ているだけでは、頭の中に昔の自分が残っていてフィルターがかかっています。しかし、写真に写ると、容赦なく今の姿を見せられます。

古い車は、時々動かさなければ調子が悪くなります。それは人の体も同じなのかもしれません。車ばかりではなく、自分自身ももう少し動かさなければならないと、改めて思いました。

村にはプールがありますが、知り合いが多い、いえ、ほとんど知り合いのため、水着になることを考えると少しためらってしまいます。

スペインに来たばかりのころ、海へ行ったことを思い出しました。連れて行かれたのは、上半身を裸にしている人や、何も身に着けていない人もいるビーチでした。

周りからは「あなたも脱げばいい」と勧められましたが、もちろん断りました。

周囲には珍しいアジア人は私だけだったため、ただでさえ目立ちます。

冗談半分に、「脱ぐなら日本代表として恥ずかしくない体でなければ無理」と言って、最後まで水着のままでいました。

あれから長い年月が過ぎ、今では上半身どころか、水着になることさえためらうようになりました。そんなことを考えながら歩いて、無事に車を取りに行きました。

昼になると、予報どおり暑くなりました。

空は澄んだ青ではなく、薄い青に灰色を混ぜたような色をしていました。夏にサハラ方面から熱い空気が流れてくると、この辺りの空はこのような色になります。青空ではあるものの、どこか白くかすんで見えるのです。

夜は、毎年恒例の生ハム切り職人の大会が開かれました。会場は村役場前の広場です。

スペイン語で生ハムを切る職人を「コルタドール・デ・ハモン」といいます。村出身の有名なコルタドールがいるため、この大会は毎年ここで開催されています。

参加者がスペイン各地から集まるのか、アンダルシア州内からなのかは分かりませんが、村の行事としてはかなり大きな催しです。

今年は初めて、参加者の中に女性がいました。

大会では、それぞれの職人が生ハムを一本ずつ切ります。

薄く切ったハムを一皿約100グラム、綺麗に並べてお皿を仕上げるのです。抜き打ちで重さを量ったりして、それも審査対象になります。

一本を切り終えるまでには、二時間以上かかります。

薄さを揃えるだけでなく、長時間立ったまま、同じ姿勢で切り続けなければなりません。華やかに見えますが、実際にはかなりの肉体労働です。

女性の参加者も大変だろうと思いながら、その手元を眺めていました。

審査用には、花びらのように美しく並べた皿も作られます。切られたハムは、会場の横に設けられたバルで販売されます。

広場には通常のバルがありますが、注文してから出てくるまでが驚くほど遅いため、今回は仮設のバルで買うことにしました。こちらは大勢が並んでいても、手際よく注文をさばいていきます。

友人が生ハムを一皿買ってきてくれて、一緒に食べました。

ただ、残念ながら、今年のハムもそれほどおいしくありませんでした。どれほど腕のよい職人が切っても、肝心のハム自体の質が高くなければ、味には限界があります。

以前、この大会で食べたハムは驚くほどおいしかった記憶があります。しかし、生ハムの値段も年々上がっています。予算の都合もあり、以前と同じ品質のものを用意するのは難しくなっているのかもしれません。

それでも、毎年この時期に広場へ出かけ、友人と生ハムを食べること自体が、村の夏の楽しみになっています。

切り終わった合図です。

表彰式が始まったのは、夜12時ごろでした。


その後はバンドの演奏があり、さらにDJが入る予定でしたが、私はバンドが始まる前に帰ることにしました。

夜になっても気温はあまり下がらず、涼しい風もほとんど吹いていませんでした。前日の夜に続いて、この日も大勢の人が外に出て、暑い夏の夜を過ごしていました。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

2026/07/25

7月17日(金) 車を走らせ、バルでイングランド戦を振り返る

この日は一日中家にいて、仕事をしていました。来週は車検があるため、夕方になってから車を少し動かすことにしました。時刻は午後8時ごろでしたが、夏のスペインではまだ十分に明るい時間です。

遠くまで行くつもりはなく、村の外れにある学校まで走り、そこから谷の下にある駅の村へ降りました。再び坂道を上って戻ってくるまで、全部で25分ほどです。短い距離でしたが、あまり動かしていない車には、ちょうどよい運転になりました。

そのまま家には戻らず、ガソリンスタンドの隣にあるバルへ寄りました。そこで、久しぶりに友人のベロニカに会いました。

彼女は、援助を必要とする人たちのために、幾つかの村を回ったりする公的な仕事をしています。高齢者と接することが多いようですが、正確な職種については、私はよく分かっていません。

話を聞いていると、彼女は今、自分の職場を安定させるための試験に向けて勉強しているそうです。スペインでは、公的機関に関係する仕事に就く際、安定した職を得るために試験を受けなければならないことがあります。

学校の先生も同じような仕組みです。正式な職を得るまでは一年ごとの契約で働き、アンダルシア州内のどこへ配属されるか分からないこともあります。新学期の直前になって赴任先を告げられ、慌てて引っ越す人もいるそうです。

ただし、臨時職員として働いた経験は点数として加算され、後に試験を受ける際に有利になります。経験を積みながら何度も試験を受け、最終的に希望する地域の安定した職を目指すのです。

ベロニカも毎年のように試験を受けていて、今年は三次試験まで進んだと話していました。仕事をしながら勉強を続けるのは大変そうです。それでも、この日は金曜日でした。久しぶりに会ったこともあり、勉強のことは少し忘れて、一緒に飲みながら話をしました。

しばらくすると、ほかの友人たちも集まってきました。日が暮れ始めた午後9時半から10時ごろ、今度はフライドチキンを出す別のバルへ移動することになりました。

そこには、友人の息子さんがいました。父親がイギリス人、母親がスペイン人です。ワールドカップでイングランドが敗れたばかりだったので、「残念だったね」と声をかけると、「その話には触れないでくれ」と言われました。

冗談めかしてはいましたが、本当に落ち込んでいるようでした。「まだ立ち直れない」「悲し過ぎる」と何度も話します。スペインにもつながりがあるので、残った試合をどこで見るのか尋ねると、家で一人で見るとのことでした。日曜日のスペイン戦も、翌日から仕事があるため、やはり自宅で見るそうです。

それでも、心から優勝してほしかったのはイングランドだったのでしょう。長い間優勝から遠ざかっていただけに、今回は大きな期待を寄せていたようです。

その様子を見ながら、日本のサッカーファンとの違いについて考えました。

日本代表が敗れたとき、私たちは「よく頑張った」「素晴らしい試合だった」と選手をたたえることが多いように思います。もちろん、それは悪いことではありません。私自身も同じように感じます。

一方、サッカーの強豪国では、代表チームが敗退すると、その後の大会にはほとんど興味を示さなくなる人もいます。以前、スペインが早い段階で敗退したときも、周囲では「スペインのワールドカップはもう終わった」と言う人が少なくありませんでした。ほかの国の試合を見る気にはならない、というのです。

代表が勝つことを強く信じているからこそ、敗れたときの落胆も大きくなります。

日本代表がさらに強くなり、勝つことへの期待が今以上に高まれば、日本のファンもいつか「よく頑張った」だけでは気持ちを収められなくなるのかもしれません。

友人の息子さんが、本気で悲しそうにイングランドの敗戦を語る姿を見ながら、そんなことを考えた夜でした。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

7月16日(木) 車検前のひと走り、バルで電子レンジ談義

この日は一日中仕事をしていたため、夕方までは特に変わったこともなく、静かに過ぎていきました。

仕事を終えてから、しばらく動かしていなかった車で出かけることにしました。先日、車を動かそうとしたところ、なかなかエンジンがかからなかったためです。来週には車検も控えているので、その前に少し走らせておきたいと思いました。

ただ、今はロンダへ向かう道路が工事中です。以前の嵐で崖崩れが起きた場所を修復しているのですが、暑い時期のため、工事は早朝から午後3時頃までしか行われていないようです。

この辺りでは、夏になると朝7時頃から仕事を始め、暑さが厳しくなる午後には作業を終えることが珍しくありません。そのため、工事がいつ終わるのかは、まだよく分かりません。

さらに困るのは、工事中に道路が通行止めになるらしいことです。普段ならロンダまで45分ほどですが、迂回すると1時間半、場合によっては2時間近くかかるかもしれません。車検当日はどの道を通ればよいのか、今から気になっています。

この日は遠くへ行かず、村の周辺を少し走った後、ガソリンスタンドの隣にあるバルへ寄りました。中に入ると友人たちがいたので、そのまま一緒に飲むことになりました。

私が着いた時には、皆すでにかなり飲んでいました。私は二杯ほど飲んだだけでしたが、それくらいがちょうどよかったように思います。少し話をして、酔いが回る前に家へ帰りました。

その時、イギリス人の友人が電子レンジの話を始めました。電子レンジで何かを作ったところ、とてもおいしくできたというのです。

それを聞いて、私は少し驚きました。彼は以前、電子レンジをあまり良く思っていなかったからです。この辺りに住む外国人の中には、電子レンジを使うことに抵抗を感じる人が意外に多く、彼もその一人でした。

ところが、今ではすっかり便利さを認めています。

高齢で体調を崩しているお母さんのために、平日は南米出身の女性が住み込みで世話をしているそうです。その女性から、食事の用意に必要だから電子レンジを買ってほしいと言われ、購入したのがきっかけでした。

自分でも使ってみると、思っていた以上に便利だったようです。

「電子レンジはいいね」と話す彼を見ながら、以前とはずいぶん違うものだと思いました。本人は、もう自分の年齢になれば、体に良いか悪いかを気にするより、便利なものを使えばよいというようなことを言っていました。

昔、私が電子レンジの話をすると、いかにも嫌そうな反応をしていた人です。それが今では、すっかり気に入っています。人の考えは、生活の必要に応じて変わるものなのだと思いました。

電子レンジの話を聞いているうちに、私自身の記憶もいくつかよみがえってきました。

初めて電子レンジを見たのは、子供の頃に親戚の家を訪ねた時だったと思います。ご飯を温めるために使っているのを見て、不思議な機械だと思った記憶があります。当時は、まだ一般家庭に広く普及する前でした。

英国に住んでいた頃には、下宿先の大家さんが、肉をビニール袋に入れて電子レンジで調理していました。今考えると、あまり体に良さそうな使い方ではありませんが、その光景だけはなぜかよく覚えています。

私も以前は電子レンジを持っていました。オーブンと電子レンジが一体になったもので、グリルではなく、きちんとロースト料理ができるタイプでした。

当時は犬のために、そのオーブンでローストチキンをよく作っていました。電子レンジの話から、そんな昔の暮らしまで思い出すとは思いませんでした。

バルを出る頃になっても、村にはまだ昼間の熱が残っていました。

村の西側には山があり、太陽がその後ろに沈むと、家々はようやく日陰に入ります。普段なら、その頃から冷たい風がすっと流れてきます。しかし、この日も前日と同じように、なかなか涼しい風が吹いてきませんでした。

日が完全に落ちるまで、熱が村の中にこもっているようでした。

家に戻っても、次のサッカーの試合は土曜日までありません。そこで最近、連日のように食べているそうめんもどきを用意しました。

そうめんの存在を、私は長い間すっかり忘れていました。ところが、スペインに住んでいる日本人が「暑くて、そうめんばかり食べている」と話しているのを聞き、そういえばそんな食べ物があったと思い出したのです。

それ以来、暑い日の食事はそうめんもどき、や冷うどんが続いています。

スペインの夏の夜に、冷たい麺を食べる。特別な料理ではありませんが、熱の残る夜には、それが一番合っているように思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

2026/07/24

7月15日(水) 朝は涼しく、海側では真夏の暑さ

朝起きると、思いのほか涼しく感じました。バルコニーから外を見ると、空の右半分は雲に覆われ、左側は晴れています。雲が広がっていたのは、地中海のある海側でした。

この日はちょうど、そちらへ出かける用事がありました。今日は一日曇りなのかもしれないと思いながら、マリと一緒に車で出発しました。外の空気もまだ涼しく、薄い羽織りものを持ってくればよかったと思うほどでした。

途中、ジブラルタルが夏には珍しく綺麗に見えました。またその後ろにそびえるモロッコの山も見えました。

高速を下りてから、サン・ペドロの工業団地にあるカフェで朝食を取りました。倉庫や工場が並ぶ一角にあり、ガソリンスタンドに併設されている店です。

以前は高速道路の途中にあるサービスエリアへ立ち寄っていました。月に一度ほどしか行かないのに、ウェイトレスさんたちが私たちのことを覚えてくれていた店です。しかし、残念ながら閉店してしまいました。高速料金の値上がりで利用者が減ったことも、理由の一つだったのかもしれません。

そのため、最近は高速道路を降りてから、このカフェで朝食を取っています。サービスエリアよりも少し安く、近くで働く人たちが次々に入ってきます。

客の多くは、工場や倉庫などで体を使って働く男性たちです。皆さんが注文するボカディージョの大きさには、いつも驚かされます。

私たちが食べるのは、その半分ほどの大きさで、チーズとハムを挟んだものです。

一方、周りの人たちは大きなパンに肉やベーコン、卵などをたっぷり挟んだものを、朝からしっかり食べています。

忙しい人たちが朝食の休憩に立ち寄る店だけあって、料理が出てくるのも会計も早く、ウェイトレスさんたちの動きにも無駄がありません。ゆっくり朝食を楽しむ観光地のカフェとは違いますが、こうした働く人たちの日常が見える店も、スペインらしくて面白いものです。

朝食の後は、ある住宅地の正門を開閉するためのリモコンを買いに行きました。その住宅を利用する知人が近々来るのですが、車で出入りする際に必要なリモコンを持っていなかったためです。

本来なら住宅地の管理会社が用意してくれるものだと思いますが、私は契約者本人ではありません。管理事務所へ相談すると、販売店には連絡しておくので、自分で買いに行くように言われました。

海岸部の住宅地では外国人の住民も多いため、事務所では英語が通じます。難しい手続きでもなく、リモコンは無事に購入できました。

その後は住宅へ向かい、到着する人を迎えるための準備をしました。必要なものはそろっているだろうかと確認しているうちに、朝の涼しさはすっかり消え、外はかなり暑くなっていました。

掃除をしてくれていたマリも「暑い、暑い」と繰り返しています。冷たい水を飲めるように、1.5リットルのペットボトルを2本凍らせて持ってきていました。しかし、凍らせる時間が足りなかったため、午後まで氷は持ちませんでした。それでも、冷たい水を飲みながら何とか体を冷やしました。

用事を終えて帰る頃には、すっかり真夏の暑さです。途中、ガウシン村のガソリンスタンド脇にあるバルへ寄りました。ガソリンスタンドの隣にバルがある風景は、スペインでは珍しくありません。

温かい料理はもうないと言われたので、冷たいタパスをつまみながらビールを飲みました。その後、村へ戻ってからも、プールのそばにあるバルへ立ち寄り、もう一杯ビールを飲んでタパスを食べました。

朝から出かけて暑い中で動き回り、ビールもすでに二杯飲んでいたため、家に戻ると少し疲れていました。このまま家で休もうかとも思いましたが、その夜はイングランド対アルゼンチンの試合があります。やはり気になり、試合を見るために村のバルへ行くことにしました。

店にはトムや何人かの知り合いがいました。一緒に座って話をしながら、時々テレビへ目を向けましたが、店内はかなり暑く、途中から外へ出ました。

普段なら、太陽が山の向こうへ沈むと、ひんやりとした風が流れてきます。ところが、この夜は日が暮れても風がありませんでした。暑さと一日の疲れに耐えられなくなり、試合の途中で家へ戻り、続きを家で見ることにしました。

その後は、インスタでメッセージをやり取りし、WhatsAppのグループでもしばらく皆と話しました。グループのメンバーは、ほとんどが私よりずいぶん年下です。それでも年齢の差を意識させることなく、同じように会話へ入れてもらえるのが嬉しく感じます。

若い人たちと気軽に話せる時間は、私にとって楽しいひとときです。朝の涼しさから始まり、海側の暑さの中で用事を済ませ、最後は家でサッカーの試合と会話を楽しみながら、一日を終えました。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

2026/07/23

7月14日(火) スペインが決勝へ、静かな村の通り

今日も外に出れば暑いのでしょうが、家の中はそれほど気温が上がらず、比較的過ごしやすい一日でした。真夏になると、外よりも家の中に熱がこもって暑くなることがありますが、今日はまだそのような感じではありません。

ただ、空の色はいつもの鮮やかな青とは少し違っていました。薄い青に霞がかかったような色です。南スペインでは、サハラ砂漠の方から熱気が流れ込むと、空がこのような色になることがあります。強烈な暑さというより、辺り全体が生ぬるい空気に包まれているようでした。

この日は朝からしっかり仕事をしました。近いうちに日本から知人が来る予定で、私の村ではありませんが、知り合いが所有している家に滞在します。その準備のため、明日は現地へ行かなければなりません。

ところが、そのために必要な買い物をすっかり忘れていました。夕方、仕事を終えてから出かけることにしましたが、夜にはサッカーのスペイン戦、準決勝があります。買い物が遅くなると、試合を見にバルへ行く時間にも影響します。

買い物の前には仕事も終わらせたい。試合にも間に合いたい。やること自体はそれほど多くないはずなのに、気持ちばかりが焦っていました。

しかも、この日は朝から妙に眠く、何も考えずに一日中寝ていたいような気分でした。暑いというより、空気がぬるく、その重さに体が引っ張られているようです。

それにしても、なぜこの年になって、こんなに毎日忙しく感じるのでしょう。以前より作業の速度が遅くなり、少しの用事でも一日が終わってしまうからかもしれません。本当に忙しいのか、それとも時間の使い方が変わっただけなのか。そんなことを考えながら、まずは目の前の仕事と買い物を済ませました。

夜になり、サッカーのワールドカップを見ようとバルへ向かって歩いていると、途中で知り合いに会いました。私が行こうとしていたのは、普段は年配の男性たちが多く集まるバルです。しかし、「近くの店に行こう。他の知り合いも来るから」と誘われ、予定を変えて一緒に行くことにしました。

店に入ってみると、そこは若者ばかりでした。思いがけない場所に来てしまったようで、最初は少し場違いな気もしました。

それでも、試合が始まると店内には明るい空気が広がりました。店の人が客のテーブルに、皆でつまめる軽い食べ物を運んでくれます。客を集めるためのサービスでもあるのでしょうが、気遣いが感じられ、思っていた以上に楽しく観戦できました。

ビールを3本飲んだところで、翌朝が早いことを思い出し、試合の途中で帰ることにしました。その時点でスペインは2点を入れており、このまま決勝に進めそうな雰囲気でした。

家まで歩く途中、村の通りは驚くほど静かでした。人の姿もほとんどありません。皆、家やバルで試合を見ているのでしょう。村全体がテレビの前に集まっているようでした。

家に着いてから続きを見ていると、スペインはそのまま勝利し、決勝進出を決めました。試合が終わると、外から車のクラクションが聞こえてきました。スペインでは、サッカーの勝利や結婚式などのお祝いの時に、車を走らせながら盛んにクラクションを鳴らします。

ただし、今回聞こえてきた音はほんのわずかでした。アリカンテに住む友人に聞くと、そちらでは花火まで上がっていたそうです。やはり都会は違います。

7月に入りましたが、村にはまだ人が少ないように感じます。以前は夏になると、もっと多くの人が戻ってきました。ワールドカップの試合がある夜などは、バルも通りも人でいっぱいになったものです。

今は、村を離れて都会へ働きに出た人が多く、簡単には帰ってこられません。そして、昔は元気に夜遅くまで騒いでいた人たちも、皆、少しずつ年を重ねました。村が静かになったのは、人口が減ったからだけではなく、そこに暮らす人たちの時間が流れたからでもあるのでしょう。

それでも、スペインは決勝へ進みました。決勝は日曜日です。その夜には、今日よりも多くの人がバルに集まり、昔のような賑やかさが少し戻ればいいなと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

2026/07/22

7月13日(月) 古い手紙の文字を追い、いつものバルへ

この日は朝早く目が覚めました。昼から出かける予定があったため、その前に少しだけ仕事を済ませました。

ここ数日は暑い夜が続き、アイスノンを抱えて眠ることもありましたが、昨夜はそこまで暑くありませんでした。南スペインの夏でも、夜の気温が少し下がるだけで、随分と眠りやすく感じます。

昼からは、友人のカルメンの家へ向かいました。今、二人で進めている古い手紙のデジタル化作業をするためです。

手紙は、カルメンの祖父から祖母へ送られたものです。手書きの原本だけでなく、亡くなったカルメンの叔母さんがタイプで書き起こしたものも残されています。

タイプされた文章は手書きより読みやすいものの、文字が薄くなっている部分があり、簡単には判読できません。まず手紙の写真をChatGPTに読み取ってもらい、その結果と原本を照らし合わせながら、一行ずつ確認していきました。

カルメンが原本を読み、私は画面に表示された文章を見ながら、「ここは違う」「この単語ではない」と修正していきます。AIでも読めない箇所はあるため、結局は最初から最後まで、二人で丁寧に確認しなければなりません。

カルメンは英語を母語としています。スペイン語は話せますが、文章を声に出して読むと、時々英語らしい発音になることがあります。

一方、日本語の母音は「あ・い・う・え・お」と音がはっきりしています。日本人はローマ字を読む感覚でスペイン語を発音できるため、会話力とは別に、文字を読むだけならスペイン語に近い音を出しやすいのかもしれません。カルメンが読み間違えた箇所を私が直すと、「ああ、本当だ。違うね」と笑うこともありました。

ただし、カルメンは読みながら手紙の内容まで理解しています。文章の意味が分かるたびに、「今のところ、分かった?」と私に説明してくれます。

手紙には、家族との別れや当時の厳しい生活が書かれています。カルメンは読み進めるうちに、「かわいそうに」と感情を動かされることもあります。

私はその場では、スペイン語の意味よりも文字と音を追うことに精一杯です。カルメンが胸を打たれている隣で、私は「まだ意味は分からないけれど、とにかく正しく読まなければ」と、黙々と文字を拾っていました。

同じ手紙を見ていても、一人は内容を受け止め、もう一人は文字を確認しています。二人の役割は違いますが、それがかえって作業を進める助けになっています。

作業を終えた後は、ガソリンスタンドの横にあるバルへ行きました。顔見知りが何人か集まっていたので、その輪に加わり、少し飲んでから家に戻りました。

古い手紙の文字を追い、遠い時代に生きた家族の声に触れた後、いつものバルで知り合いたちと過ごす。静かな作業と賑やかな時間が同居した、月曜日の一日でした。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

2026/07/21

7月12日(日) ローラの誕生日、スペインの村で移民二世を考える

この日は、親しい友人ローラの誕生日を一緒に祝いました。彼女は、ここで暮らす私にとって家族のような存在です。誕生日会に参加するというより、身内の大切な日を祝っているような気持ちになりました。

ローラの猫ちゃん

最初に向かったのは、村のプールにあるバルです。そこで思いがけず、昔からの知り合いであるラウールに会いました。

ラウールは現在マドリードで暮らしていますが、この村には父親のホリデーハウスがあるため、毎年二人の息子を連れて帰ってきます。とても聡明で、話していると知識の深さが伝わってくる人です。

長男がまだ小さかった頃、私が抱き上げて一緒に写真を撮ったことがあります。当時は本当に可愛らしい子供でしたが、今ではすっかり成長し、賢そうな少年になっていました。長く同じ村に暮らしていると、こうして子供たちの成長を見られる機会があります。

その後、別の店へ移って飲んでいると、村で育った青年が仕事仲間を連れてやって来ました。その仕事仲間は、恐らくモロッコ出身の家族と共に、幼い頃スペインへ来た人なのだと思います。

少し人見知りのようで、バルにいる人たちとはあまり話をしていませんでした。その姿を眺めながら、異なる文化の中で育つ移民の子供たちについて考えました。

外国から移り住んだ第一世代は、生まれ育った国の文化や習慣を持っています。一方、その土地で生まれたり、幼い頃に連れてこられたりした第二世代は、家庭にある親の文化と、自分が暮らす国の文化の間で育ちます。

自分で生まれる国や育つ環境を選んだわけではありません。それでも、二つの文化の間で、自分がどこに属するのかを考えながら成長していくことになります。

だからこそ、幼い頃からその国で育った子供たちが、「ここで育って良かった」と思える社会にすることが大切なのだと思います。

移民政策については、さまざまな意見があります。私自身も、移民を無条件に受け入れるべきだと考えているわけではありません。しかし、国が受け入れると決めたのであれば、そこで育つ子供たちを社会の一員として守り、育てていかなければならないと思います。

そして、それは移民の子供たちだけの問題ではありません。

もともと日本に生まれた子供たちにも、「日本に生まれて良かった」と思ってもらえる社会をつくる必要があります。どこから来たかにかかわらず、これからの国を支えるのは、そこで育つ若い世代だからです。

私は若い頃、日本で教えられてきた考えを、あまり疑わずに受け入れていました。しかし、国外に出て暮らしてみると、日本の常識が世界の常識ではないことに気づきます。同時に、日本にいた頃には見えなかった日本の良さも見えてきました。

今は物価や賃金、為替の問題もあり、若い人が海外へ出るのは簡単ではありません。それでも、機会があるなら、一度は外へ出てみてほしいと思います。

外国に行ったからといって、特別な答えが見つかるとは限りません。それでも外から日本を見ることで、日本の悪いところだけでなく、良いところにも気づけるはずです。

この日はローラの誕生日を祝いながら、昔から知っている子供の成長を眺め、移民の子供たちや日本の若者のことまで、さまざまなことを考えました。

少し話が広がりましたが、長く外国で暮らしていると、目の前の何気ない光景が、自分の生まれた国について考えるきっかけになります。

涼しくなった夜8時

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


2026/07/20

7月11日(土) 昼はプールのバルへ、夜はサッカー観戦を諦めて

この日は朝から特に予定もなく、家でゆっくり過ごしていました。すると、友人のローラから「プールのバルへ行くよ」と連絡があり、私も出かけることにしました。

しばらく村に遊びに来ていなくて、連絡がなかったので、どうしているのかと思っていましたが、少し体調を崩していたようです。久しぶりに会い、プールのそばにあるバルでビールを飲みました。

つまみには、焼いたイベリコ豚を少し注文しました。暑い日の午後に、外で飲む冷たいビールと豚肉はよく合います。長居はせず、食べ終わると家に戻り、その後は再びのんびり過ごしました。

夜は、イングランドとノルウェーのサッカーの試合を見るつもりでした。ところが、スペインの地上波では放送されていませんでした。有料放送に加入しなければ見られないようですが、一試合のために今から料金を払う気にもなれません。

以前は、イギリスのテレビ番組を見られるように、現地の友人が設定してくれたものがありました。しかし、最近になってアクセスできなくなっていました。別の友人に尋ねると、おそらく利用期限が切れているのだろうとのことでした。

試合を見ていた友人からは、「こちらは有料放送に入っているから、見においで」と声を掛けてもらいました。ただ、その時にはすでに午後11時半を過ぎ、間もなく日付が変わる時間でした。

バルで見るのであれば出かけたかもしれませんが、こんな遅い時間に人の家を訪ねるのは気が引けます。結局、この日は試合を諦め、そのまま家で静かに夜を過ごしました。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

2026/07/19

7月10日(金) バルでスペイン戦、家にはヤモリ

今日も、午後4時、5時ごろになると、やはり厳しい暑さが戻ってきましたが、夜は涼しい風が吹き、久しぶりに過ごしやすく感じました。

この日は少し仕事が入っていたので、まずはそれを片づけました。本当は、頭がよく働く朝早いうちに始めた方が効率は良いのでしょう。少し時間がたって暑くなってくると、考える力まで鈍ってしまいます。南スペインの夏は、気温だけでなく、仕事の進み方にも影響します。

仕事の後は、引き続きフランス旅行の写真を整理しました。動画もかなり残っていますが、まずはブログに使う写真から少しずつ選んでいます。

ところが、作業は思うように進みません。スマートフォンのストレージがほとんど一杯になっているため、クラウドに保存された写真がなかなか端末に下りてこないのです。そのため、写真をコンピューターへ移そうとしても、うまく読み込めないことがありました。

そろそろ、容量の大きい新しいスマートフォンに替えた方がよいのかもしれません。それでも、不要なデータを消したり、何度か操作をやり直したりしながら、何とか写真を移すことができました。

旅先では気軽に撮っていた写真も、帰ってから整理しようとすると、思いのほか時間がかかります。それでも、一枚ずつ見返していると、旅先の景色だけでなく、そのときの暑さや、移動中に起きた出来事まで少しずつよみがえってきます。

この日の夜は、スペイン代表の試合がありました。写真整理をいったん切り上げ、試合を見るためにバルへ向かいました。

運よく、外の席が空いていました。そこからは店内にあるテレビの画面が見えるため、涼しい風に当たりながら試合を観戦できます。

ただ、友人が一人、二人と集まってくると、サッカーを見るよりも話に夢中になってしまいます。結局、試合をじっくり見るというより、画面を時々確認しながら、皆で話して過ごす夜になりました。

スペインの勝利がほぼ決まったころ、集まりもお開きとなり、家へ戻りました。

ところが、帰宅してキッチンの天井を見上げると、これまで家の中で見たことがないほど大きなヤモリがいました。

ヤモリそのものは怖くありません。それでも、いつも見るものよりかなり大きかったため、少し落ち着かない気持ちになりました。追い出そうとはせず、キッチンの電気を消して、そのまま寝室へ行くことにしました。

あれほど大きなヤモリのお腹を満たすだけの虫が、我が家にいるのでしょうか。もし本当にいるのなら、それはそれで少し嫌だなと思いながら、一日を終えました。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

2026/07/18

7月9日(木) 車検の予約と、夜によみがえったモロッコの旅

この日は朝から厳しい暑さでした。

少しだけ入っていた仕事を終えたあとは、先日のフランス旅行について、ブログの記事や写真を整理して過ごしました。旅から戻ってまだ数日しかたっていませんが、写真を見返していると、すでに少し前の出来事のようにも感じます。

そんな作業をしている途中、毎年恒例の車検、スペインでいうITVの案内がショートメッセージで届きました。

いつもなら、メッセージにあるリンクを押すと、そのまま予約画面へ進めます。ところが今年は、リンクを開こうとしたところ、「個人情報を抜き取られる可能性がある」という警告が表示されました。

本当に正規のリンクなのかもしれませんが、さすがにそのまま進む気にはなれません。いったん閉じて、パソコンから公式サイトを探し、改めて予約することにしました。

オンラインで手続きをするには、車のナンバーのほか、車両登録証に記載された番号が必要です。そこで、いつも書類を入れている場所を確認したのですが、登録証が見つかりません。

何度見てもありません。

あの紙をなくしたら、再発行のためにどのような手続きが必要になるのだろう。そう考えると、急に不安になりました。

しばらく探したあと、以前コピーを取ったことを思い出しました。もしやと思ってコピー機を開けてみると、登録証がそのまま中に残っていました。

見つかった瞬間は、本当にほっとしました。

必要な番号を入力して予約画面へ進むと、早ければ翌日にも空きがありました。しかし、さすがに急すぎます。期限までにはまだ余裕があったので、二週間ほど先の日を選びました。

車検は、できれば一度で通ってほしいものです。何か問題が見つかって再検査になると、修理を済ませて再び車検場へ行かなければなりません。その間の車の使用についても、人によって言うことが違います。

以前は「再検査まで普通に乗っても大丈夫」と聞いたこともありましたが、修理工場では「車検場や修理工場へ行く場合を除き、乗ってはいけない」と言われました。どちらにしても、面倒なことにならないよう、一度で合格するのが一番です。

昨年の車検には、友人の夫であるアンドレスが付き添ってくれました。

私は一人でも大丈夫だと思っていたのですが、本人は心配だったらしく、「一緒に行ってあげる」と言ってくれました。

車検の前には、別の修理工場で「ロンダまで三速のまま走ったほうがいい」と言われたことがあります。エンジンの中にたまったものを、ある程度外へ出しておくためだそうです。

ところがアンドレスは、三速で走ることよりも、回転数を示すメーターを一定の位置まで上げることが大切だと言います。

「そこまで上げないと駄目だ」

「この車は古いから、たぶん通らない」

隣でいろいろ言われるうちに、私はだんだん混乱してきました。ただでさえ暑い日で、車の冷房も十分には効きません。もう一人で静かに行きたかった、と途中で思ったほどです。

それでも結果は、一度で合格でした。

検査を通過したと分かった瞬間、思わず大きな声を出しそうになりました。ホッとした瞬間です。

ただ、車検そのものには毎年慣れません。

検査場では、「ボンネットを開けて」「右を点けて」「左を点けて」「今度はこれを押して」と、次々にスペイン語で指示されます。最初は何とかついていけても、途中から何を求められているのか分からなくなってしまいます。

結局、私が戸惑っている様子を見ると、検査員が運転席に座り、残りを操作してくれることになります。

今年も、できれば親切な検査員に当たってほしいものです。

予約を終え、ブログの整理などを続けているうちに夜になりました。夜10時からは、サッカーのフランス対モロッコ戦を見ました。

フランスとモロッコには、歴史的にも深い関係があります。モロッコ北部にはスペイン語が通じる地域もありますが、内陸へ入るとフランス語のほうが広く使われています。

試合を見ながら、以前、自分の車でモロッコを旅したときのことを思い出しました。スペインから海を渡り、サハラ砂漠の手前まで南下した旅です。

モロッコ

今となっては、いろいろな出来事を含めて楽しい思い出です。しかし、旅をしている最中は、「どうしてここまで来てしまったのだろう」と何度も思いました。

道路や宿、トイレなど、日本やヨーロッパの生活に慣れた私には厳しく感じることが多く、衛生面でも戸惑いました。ただ、夜の町を歩いていて、酔っ払いを見かけなかったことは印象に残っています。宗教上、表立ってはお酒を飲まないためです。

旅先では、その場にいるときには不便や疲れのほうが強く感じられても、時間がたつと、出来事の一つ一つが思い出に変わっていきます。

あれから年月がたち、モロッコの町や道路も随分変わっているはずです。次に訪れたら、以前とはまったく違う景色が見えるのかもしれません。

フランス旅行の記録を整理し、スペインの車検を予約し、夜にはサッカーから昔のモロッコ旅行を思い出す。外へ出ることのない暑い一日でしたが、頭の中ではいくつもの土地を行き来していました。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。