お昼頃、友人夫婦とお茶をする約束があり、12時頃に家を出ました。
メインストリートまで行くと、ちょうど教会でのミサを終えたお葬式の列がやって来るところでした。棺を共同墓地まで運ぶため、参列者たちが列になって歩いています。
ちょうど進もうとしていた道と重なってしまったため、慌てて進路を変え、遠回りして待ち合わせ場所へ向かいました。
カフェのテラスに座ってしばらくすると、今度は目の前を先ほどのお葬式の列が通っていきました。
村に暮らしていると、知っている人のお葬式に出会うこともあります。亡くなった方やその家族をよく知っていれば、私も参列することがありますが、今回は特に面識のある方ではありませんでした。そのため、テラスから静かに列を見送りました。
一緒にお茶をしたご夫婦は普段、海側の町に住んでいますが、週末はこちらの家で過ごしています。今年がこの村で迎える初めての秋です。
「こんなに寒くなるとは思わなかった」と話していて、今回はとうとう薪ストーブを焚いたそうです。
確かに、この時期の山の村は少し不思議です。昼間、太陽がしっかり出ていれば、バルのテラスでは半袖でも過ごせます。ところが日陰に入ると一気に寒くなり、家の中もすでにかなり冷えています。
私も最近は、電気ストーブをいつも足元に置くようになりました。
友人夫婦と別れた後は買い物を済ませ、家へ戻りました。
そして、前日から続いている栗仕事です。
まだ半分ほど皮を剥いていなかったので、この日も残りを全部片付けることにしました。
ところが、これが想像以上に大変でした。
皮を剥けば、つるんときれいな栗が出てくるわけではありません。渋皮が実の中まで深く入り込んでいるものが多く、それを一つずつ取り除かなければなりません。
少しずつ削るように取っていくため、最後には大きな栗の形はほとんど残らず、小さくころころ、あるいはぽろぽろと崩れた状態になりました。
それでも何とか全部剥き終えましたが、終わる頃には手がすっかり痛くなっていました。
剥いた栗はかなりの量になったので、二日ほどで食べる分は冷蔵庫へ入れ、残りは冷凍しました。
そして、この日の夕食は栗ご飯です。
栗はすでにしっかり茹でてあるので、ご飯には最初から入れません。お米に塩と昆布を加えて炊き、火を止める少し前に栗を入れ、その後そのまま蒸らしました。
出来上がった栗ご飯を食べてみると、これが思った以上においしかったのです。
実は私は、これまで栗ご飯をそれほど好きだと思ったことがありませんでした。
栗が大きなまま、ごろごろと入っている感じが、どうもあまり好みではなかったのです。
ところが今回は、渋皮を取るうちに栗が細かくなっていました。それをご飯に混ぜると、栗の味はしっかりするのに、一口ごとの食感はとても自然です。
「ああ、私は栗ご飯そのものが嫌いだったわけではなく、大きな栗がごろごろ入っているのが苦手だったのかもしれない」
そんなことに、この歳になって初めて気づきました。
こちらのお米なので、日本のお米で作ればまた少し違うのでしょう。それでも、自分で作った今回の栗ご飯はかなり気に入りました。
二日がかりの栗剥きで手は痛くなりましたが、たくさんあった栗もこれで全部処理できました。
しばらくは、秋の味を楽しめそうです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。



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