今朝、バルコニーの窓を開けた瞬間、外は一面の白。霧なのか雲なのか、村全体がふわりと包まれているような幻想的な光景が広がっていました。
昨日から降り続いている雨は、今日もまた激しく降ったり、急に静まったりと落ち着きません。
気温もすっかり下がり、家の中はひんやりとした空気が漂っています。このあたりの家は密閉性があまりよくなく、どちらかといえば夏の暑さに耐えるための造り。
冬になると、壁の向こうからじわじわと冷気が染み込んでくるような感じです。カーペットを敷けば足元は楽になりますが、夏場にどこへ仕舞うかが悩みの種で、結局厚手の室内履きを履いてしのぐのが毎年の定番になっています。
本来なら金曜日は、昔風に言えば「花金」。天気が良い日なら、バルで一杯ひっかけて帰ってくるくらいのことはしたくなるのですが、今日ばかりはそんな気分にもなれません。
昔のバル、昔の夜
雨の日には、なぜか過去の光景がふっと浮かび上がってきます。
かつてこの村には、雨でも友人たちが自然と集まるバルがありました。イギリス人が営む場所で、扉を開ければ必ず誰かがいる。約束もいらず、「行けば誰かに会える」そんなぬくもりのある場所でした。
私がこの村に越してきた当時は、田舎とは思えないほどバルが多く、なんと20軒ほどが営業していました。大きなディスコテカ(クラブ)まであり、週末ともなれば隣村やロンダからも若者が押し寄せ、夜の村はとても賑やかでした。
タパスバーが深夜0時頃に閉まると、次は音楽が鳴り続けるバーやディスコテカへ。そこが落ち着くとまた別のバーへ──気がつけば朝の5時。
でも、その時間でさえ夜は終わりではなく、早朝に開くバルがあり、今度はそこでまた一杯。
やがて通常のバルが朝食を出し始める時間になり、パンとコーヒーを頼んでほっと一息。
まさに“24時間遊べる村”。あの頃の自分の体力を思うと、可笑しさと同時に、胸の奥がほんのり温かくなるような懐かしさがあります
ロンダの夜、忘れられない一晩
夜遊びの中でも、とりわけ鮮明に覚えているのがロンダでの出来事です。
村のディスコテカには、ロンダから毎週のように通ってくる若者がいました。あるパーティーでその男性に再会し、「前に一緒に踊ったよね」と言われ、私が覚えていないのをよそに話は不思議と弾み、その流れでロンダで開かれる“ボテジョン(路上飲みの集まり)”──彼の誕生日会──に誘われました。
集合はロンダの役場前、夜中の12時。行ったことのない街での深夜の待ち合わせに少し心細さもあり、ホステルを予約して向かったのを今でも鮮明に覚えています。
役場の広場には他にも女性がいて、ほっと肩の力が抜けました。そこから城壁のそばまで歩き、音楽とお酒、そしてほとんど知らない人たちの輪の中に入り込み、気がつけば空が白み始める時間。
朝方にホステルへ戻って少し眠り、静かなロンダの早朝の街を歩いたことも、記憶の中では柔らかい光に包まれています。
あの頃の若者たち、そして今
かつて週末になると、村の若者たちは倉庫街に集まり、音楽を鳴らし、朝まで飲んで踊る“ボテジョン”が本当に盛んでした
けれど時代が変わり、親たちの心配から警察に相談が持ち込まれるようになり、そうした光景は少しずつ消えていきました。
もうひとつの理由は、単純に“若者そのものが減った”こと。
以前は5〜6人兄弟が当たり前のようにいたのに、今では日本と同じく1〜2人が主流。
村の友人の家も、上が52歳の長女、下が30歳の6人きょうだいですが、次の世代である姪・甥はわずか4人。スペイン全体の人口は移民の増加によって増えているものの、出生数そのものは伸びていない──そんなニュースが流れていたのも最近のことです。
それでも、ここは子育てには優しい土地です。親戚同士が互いに助け合い、お母さんが働きに出ても誰かが子どもを見てくれる。
昔ながらの「大きな家族」は薄れつつも、その名残のような温かさはまだ村のあちこちに残っています。
雨の音を聞きながら
霧に包まれた今日の村のように、思い出もまた静かに立ち上がってくるものですね。
最後までお読みいただきありがとうございます。


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