今日は、昨日に続いてとても良い天気。朝起きて外に出ると、空には雲ひとつなく、澄んだ青がどこまでも広がっていました。ただ、気温はぐっと下がり、日差しがあってもどこか冬の入口のような冷え込みです。
夕方からは、村恒例の「キノコの祭典」があります。今年は雨不足で全然出てこなかったキノコたちも、先週の雨でようやく顔を出し始めたはず。とはいえ今日のように気温が低いと、明日の収穫はどうかな……と少し心配になります。。
気づけば自分の誕生日
昨日の昼頃、友人から「タパスでも食べに行かない?」とメッセージが届き、ふらりと出かけることに。ビールを三杯ほど飲んだらすっかり酔ってしまい、昔よりずいぶんとアルコールに弱くなったものだと苦笑いしてしまいました。
誘ってくれた理由は、実は私自身の誕生日だったから。
今年は人に言われて「あ、そうだった」と思い出すくらい、誕生日を気にしていませんでした。
友人はキャンドルに火を灯し、小さなプレゼントまで用意してくれて、心のこもった楽しい時間でした。そんな気持ちが本当に嬉しくて、ああ私はこんなにも人に恵まれているなあとしみじみ思いました。
思い出してしまう「10年前の今日」
それでも、誕生日を素直に喜べない理由があります。
この季節になると、どうしても思い出す出来事があるからです。
私の愛犬、モンタちゃんが旅立ったのは、ちょうど「今日」。
散歩をしていたこの時間帯です。
あれから、もう10年。
大型犬で、最後は体が動かなくなり、私一人だけではどうすることもできなくなり、安楽死を選びました。
最初の犬は元夫が譲り受けた子で、子犬の頃の環境がよくなかったのか、とても情緒不安定で、私も必死に世話をしていました。だから安楽死の決断も、苦しいながらも冷静にできた気がします。
モンタのママ犬、トラちゃんは、すりすり寄ってくるような甘えん坊で、心から可愛い子でした。病気で決断しなくてはいけない時、すでに元夫はいなくて、ひとりでは怖くて決められなかった。結果として、その子は苦しんだ末に天国に行ってしまい、その後悔はずっと胸の中に残りました。
だからこそ、私は強く心に誓ったのです。
「モンタには絶対に苦しい思いをさせない」と。
10年前の今日、その約束を果たすため、友人二人がそばで見守ってくれ、獣医さんに来てもらい、モンタは私の腕の中で静かに旅立ちました。
お産の手伝いをしたので、モンタは「私の手の中に生まれてきて」、そして「私の腕の中で一生を終えた」のです。
まるで我が子そのもの。
そんな存在でした。
大変だった日々と、それでも愛おしい思い出
若いころのモンタは本当に力が強く、35kgの体に思い切り引っ張られ、転んで怪我をして泣きながら帰った日もあります。それでも、心から「出会えてよかった」と思わせてくれた、大切な家族でした。子どもがいない私にとって、無償の愛を教えてくれた存在でした。
晩年、45キロほどの若い大型犬に襲われて体調が一気に悪くなり、そこからは1か月ごとに歳を重ねるように衰えていきました。
そして、他の犬をもう気にしなくなったので、バルに連れて行くことが増えました。毛布を敷いてあげて、テラス席で静かに座り、人に頭を撫でてもらって嬉しそうにしていた姿が、今でも目に浮かびます。
思い返すと、涙が止まらなくなります。
村では、私とモンタが散歩している姿がGoogleマップに映っていたこともあって、犬の顔までぼかされていて、「そんなにぼかさなくてもいいのに」とひとりで笑ったこともありました。
誕生日を忘れるという救い
そんな思い出があるせいで、誕生日はどうしても胸がしめつけられる日になってしまいます。だからこそ、誕生日を忘れてしまうくらいが、今の私にはちょうどいいのかもしれません。
気づけばまた一年が過ぎています。本当に早いものです。
グラスを置いた瞬間、「もうそんな季節か」とふと気づく。
時間の流れがどんどん早く感じられる年齢になったんだな、とつくづく思います。
最後までお読みいただきありがとうございます。






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