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| ニュースとは関係ない教会です。2017年撮影 |
スペインでは、この1週間ほど、少し重たいニュースが大きく取り上げられています。
カトリック教会にまつわる話題はいつも賛否が揺れるものですが、今回は特に胸の奥がざわつく内容で、ニュースを見るたびにさまざまな思いが湧いてきました。
報じられているのは、「ラファエル・ソルノサ司教(76)」が、1990年代に神学生への性的虐待を行った疑いで、教会内部の調査対象となっているというものです。
長年カディス=セウタ教区を率いてきた人物で、スペイン教会の中ではよく知られた存在です。すでに健康などを理由に辞任を提出していましたが、ローマ教皇の判断待ちの段階で今回の疑惑が明るみに出て、事態はいっそう複雑になりました。
■ 神学校で起きたとされる“過去”
疑惑が指摘されているのは、マドリード近郊の「ゲタフェ神学校」。
当時そこに在籍していた神学生への不適切な行為があったとされ、証言が調査委員会に寄せられています。スペイン教会は近年、独自の調査委員会を設置し過去の虐待問題の洗い出しを進めており、今回の件もその一環として扱われています。
近年の調査では、スペイン国内で700名以上の加害者が特定されたと報告されるなど、問題の根深さが改めて浮き彫りになっています。
■ 「なぜ今、これほど注目されるのか」
スペインでは世俗化が進む一方で、教会は依然として多くの地域で強い存在感を持っています。そのため、過去の問題が掘り起こされるたびに、社会全体に重たい波紋が広がります。
特に今回のように、
・教職者という権威
・ 若い神学生という立場の弱さ
・ 長年の沈黙
という構図が重なると、社会の反応も強いものになります。
「説明責任」「透明性」「被害者の救済」という言葉が、ニュースの中で繰り返し語られています。
■ 個人的な話になるけれど
このニュースを見ながら、どうしても思い出してしまった話があります。
昔、スペイン人の友人がそっと打ち明けてくれたことです。
彼女のお父さんも、小学低学年のころ、教会で何か“辛い経験”をしたのではないか——そう感じさせる記憶の断片が、時おり会話の端に混ざっていたのだと言います。
もちろん、お父さん自身が明確に語ったわけではありません。
けれど、言葉の選び方、急に沈黙が長くなる瞬間、話題をそっと逸らす仕草——娘にはそのひとつひとつが小さなサインのように思えたのだそうです。
そのお父さんは、結局そのことを誰にもはっきりとは語らず亡くなりました。
真実は今となっては分かりません。ただ、あの時代には、語ることさえ難しかった出来事がたくさんあったのだろうと、彼女の話を聞くたびに思います。
■ “語られなかったこと”を照らすニュース
今回のソルノサ司教の疑惑は、過去の沈黙を静かに照らし出すようなニュースでもあります。
表に出なかった痛み、声にならなかった思い、誰にも言えず胸の中で固まってしまった記憶——それらがスペインでも、世界中でも、どれほど多く積み重なってきたのだろうかと考えさせられます。
今ようやく、少しずつ光が当たり始めた時代が、どこかの誰かの救いにつながりますように。
そんなことを願いながら、今日のニュースをそっと閉じました。
最後までお読みいただきありがとうございました。

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