今朝の散歩で、思わず声を上げてしまいました。
曲がり角を歩いていたら、目の前に犬。気を取られていたせいで、すぐそこまで近づいていたのに気づかず、びっくりしてしまったのです。
昨日は一日中、降りそうで降らなかった雨が、夕方になってようやく降り出しました。時おり激しくなったものの、村の人が言うほどではなく、今朝には道も乾いていました。
空はすっかり明るくなり、冷たい空気が気持ちいい朝です。風がないので、それほど寒く感じません。雨のおかげで木々の緑がいっそう鮮やかで、葉が光を含んで輝いて見えます。
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| 松の木 |
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| コルクの木 |
散歩道の途中にあるコルクの木を見上げながら、ふと年月の早さを思いました。この木が植えられたのは約15年前。最初は三本あったのですが、一本は枯れてしまい、今は二本だけが残っています。小さな苗木が、こんなに大きくなるとは。当時を思い出すと、時の流れが急に現実味を帯びて感じられます。
バイクの音が聞こえたと思ったら、誰かが手を振ってくれました。けれど、誰なのかまでは分かりません。
この村では、ほとんどの人が私の名前を知っています。でも私は皆んなの名前を覚えきれないのです。似たような名前が多いのでごっちゃになります。またスペインは苗字が二つあり、お父さんとお母さんの苗字を一つづつ受け継ぎます。
なので、家族で苗字が一緒なのは、兄弟姉妹だけです。
名前は一つの場合と、二つの場合があります。二つの場合は、最初に「マリア」が付きます。例えば、「マリア・イサベル」「マリア・ドロレス」など。マリアは聖母マリアですね。
男性の場合は「ホセ・ルイス」「ホセ・マリア」など、聖母マリアの夫のホセの名前が多く使われるようです。
聖書にでてくる名前が多いので、村の人にはたまに「いくこ」は聖書ではなんというのか、など聞かれたことがあります。聖書になければ、私の名前は「マリア・いくこ」だね、と言われました。^^
小さな村の中の、いろんなルーツ
この村にはかつて中国人の家族が住んでいて、小さなお店を開いていました。村に溶け込んでいる雰囲気もなく、五年ほどでいつのまにかお店を閉じてどこかへ行ってしまいました。きっとパスポートでも取得できたからかな、なんて勝手なことを思っています。
私が村に来た20年ほど前に、スペインでは中国からの養子を迎える家族が多く、この村でも一人います。今は大学生くらいですね。
彼女たちはスペイン語を母語として育ち、文化も考え方もスペイン人そのもの。でも見た目が違うので、居心地の悪さを感じることもあるのではないかと思います。
私も長く海外に暮らしていますが、日本人である自分のアイデンティティは変わりません。けれど幼いころに他の国に渡った人たちは、その境界が曖昧になってしまうことがあるでしょう。
香港に住んでいたころ、友人の彼が香港生まれのインド人で、イギリスで教育を受けたりもしていたので、「自分のパスポートはベネトン」と冗談めかして言っていました。いろんな国の色が混ざっている、という意味です。国籍や血筋を一つに絞れない彼の言葉が、今も印象に残っています。
この村にも、そんな「どこの国の人」とも言い切れない人たちがいます。たとえば、イギリス人の母とポーランド人の父を持つ友人。生まれはインドで幼いころにスペインに来て、今は完璧なスペイン語と英語を操りますが、本人は「イギリス人」と言います。けれど、イギリスに行けば違和感を感じるようです。
もう一人の友人は、スペイン人の母とイギリス人の父。大学時代に少しだけイギリスに住んだだけでずっとスペイン暮らし。彼女は綺麗な英語を話すのですが、時々、スペインらしい情熱のこもった響き、というかとってもきつい言い方の英語になる時があり、戸惑うこともしばしば。でも今ではそれも彼女らしさだと理解するようにしています。
パスポートよりも、心の居場所
この村に育った外国籍の若い世代の中にも、スペインがいやになり20代でイギリスや他の国へ戻った人たちがいます。けれど、想像していたのと違ったようで、しばらくするとまたここに帰ってくるのです。隣の芝は青く見えるようで、ここに住んでいるときはイギリスが良く見えるようです。
「やっぱり自分の家はコルテス村だ」と思うようです。
パスポートの色や国籍の違いではなく、「どこで育ったか」「どこに心が落ち着くか」。それこそが、本当の「自分の国」なのかもしれません。
黄金の満月
外が暗くなった7時すぎにバルコニーの正面のから光が見えてきました。今日は満月、それも大きな黄金色をした美しい月です。
最後までご覧いただきありがとうございます。



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