昨日まであんなに青空が広がっていたのに、今朝の空は一面のグレー。いつ雨が降り出してもおかしくない空模様です。天気予報では夕方から雨とのことですが、念のため傘を持って散歩に出かけました。
空気はひんやりとしていて、まるで冬の入り口に立っているような、そんな冷え込みです。
月曜日のハイキングでできた足の水ぶくれがまだ痛みます。つぶすかどうか迷いながらも、外に出ることにしました。痛みは少しありますが、それでも歩くと気持ちが落ち着くものです。
散歩の途中で出会う人たちは、だいたい決まっています。近所のバイク屋さんのご主人、そして犬を連れた人たち。
思えば、コロナ以降、この村でも犬を飼う人がぐんと増えました。
私がこの村に来た二十数年前は、大型犬を連れて歩いていると、ちょっと嫌味を言われることもありました。
「犬はフィンカ(郊外の農地の家)で飼うものだ」と。
その当時は、犬はまだ「家族」ではなく「労働の手伝い」としての存在だったのだと思います。村の中を散歩させるのは、あまり好ましくないことだったのでしょう。
でも今では時代も変わり、大型犬を連れて歩いていても誰も気にしません。むしろ犬と一緒に歩く若い家族の姿も増えました。
犬に対する目線が、確実に柔らかくなった気がします。
私が犬を飼っていたとき、多いときには3匹いたので、合わせて15年近く、毎日欠かさず散歩をしていました。
その頃も犬の散歩仲間のような人たちがいましたが、しばらくすると見かけなくなることが多かったのです。
犬の世話に手が回らなくなり、みなフィンカへ連れて行ってしまうのです。そこでは飼い主と共に暮らすのではなく、番犬として外で過ごすようになります。
子どもたちの希望で飼い始めた犬も、高校を卒業して街へ出ていくと、世話をする親たちが負担に感じてしまうようです。結局その犬たちもフィンカへと移されていきます。
犬たちが寂しく暮らす様子を想像すると、心が痛みます。
この村では、そうしたフィンカを持っている人も多く、さらに海辺にピソ(別荘のようなアパート)を持っている人も少なくありません。
お金が貯まると銀行に預けるより不動産を買う。土地を持つことが財産を守る手段の一つなのです。日本のように「貯金で安心」という感覚とは少し違う、土地と共に生きる文化があります。
歩いていると、村の清掃をしている女性たちに出会いました。村の中心部から随分離れているので、こんなところまで来ているのかと少し驚きました。
村の掃除は、役場に申し込んで希望者が順番に担当する仕組みです。私も以前、一度だけやったことがあります。
月曜から金曜は朝8時から午後2時まで、土曜は8時から11時まで。途中には30分の朝食休憩があり、1か月の契約で働きます。
最低賃金が支払われ、社会保険もつき、さらに2日間の有給もあります。今の為替レートで計算すると、日本円にして手取り20万円近く。
なかなかの金額に見えますが、ユーロで暮らすこの村の物価を考えると、それでも「最低賃金」です。
その「為替レート」が、今の私にはとても重くのしかかります。
私は日本の会社から翻訳の仕事を請けていて、日本円で支払われます。
それをユーロに換算してこちらで受け取るのですが、円安が進むたびに、数字を見てため息が出ます。
思い返せば、私が初めてアメリカに行った頃は1ドル240円。
その数年後にイギリスへ渡ったときは、1ポンドが240円でした。
あの頃も円安ではありましたが、物価が今ほど高くなかったので、まだ何とかやっていけました。
けれど今は……同じ円安でも、生活への影響がまるで違います。
そんなことを考えているうちに、バイク屋のご主人とすれ違いました。どうやら彼は私とは逆回りのコースを歩いているようです。
挨拶を交わし、また歩き出すと、身体がぽかぽかと温まってきました。
やっぱり歩くのは気持ちがいい。できるだけ毎日続けたいものです。
犬がいたころは、散歩は「義務」でした。
今はその義務がなくなったぶん、自分に言い聞かせながら歩いています。
季節の移ろいを感じるために、そして心を整えるために。
グレーの空の下、今日も静かに村の道を歩きました。
最後までご覧いただきありがとうございます。

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