昨日の青空が嘘のように、今日は朝から雨でした。ちょうど小雨が止んだ隙に散歩に出てみると、空はすっかりグレー。
この季節は本来なら雨の多い時期なのですが、今年はほとんど降っていなかったので、まさに“恵みの雨”です。それにしても寒い。まるで1月のような冷え込みで、季節がひと足早く進んでしまったような感覚になります。
雨のあと太陽が出れば、いつもならこのあたりのコルクの山にはキノコが生えるのですが、今年のように気温が下がり過ぎると、期待は薄いかもしれません。
■どんぐりの山で育つイベリコ豚
散歩しながら、YouTubeで見た “熊とどんぐり” の話を思い出しました。コルクの山にはどんぐりが無数に落ちていて、それを食べて育つイベリコ豚は香り豊かで、最高級の生ハムになります。
どんぐりをスペイン語でベジョータと言いいます。
日本でも熊が冬眠前にどんぐりを食べて脂肪を蓄えるという話がありますが、どんぐりの栄養価は本当にすごい。改めて「どんぐりって自然の恵みそのものだな」と感じます。
今年はどんぐりが豊作のようで、先日のハイキングでもたくさん落ちていました。YouTubeの熊の専門家によれば、豊作・不作は単なる気まぐれや、温暖化ではなく、木が自らの種を残すために行う“生存戦略”なのだとか。
不作の年は動物が飢えて数が減り、翌年の豊作では食べきれないほど実が残って発芽につながる。自然は本当によくできていますね。
■山の動物たちと狩猟のこと
このあたりの山にはイベリコ豚が放されていますが、これは耳タグで管理された家畜です。野生として暮らしているのは、イノシシ、鹿、ウサギ、キツネなど。どんぐりを食べるのは、もちろんイベリコ豚と、イノシシ、そして鹿です。
鹿は年に2回、大きな“間引き”のハンティングがあります。
通常の狩猟は村役場でライセンスを申請する必要があり、最も安いのはウサギ。鹿のライセンスは、5〜6年前の話では400ユーロほどだったと思います。もっとも、鹿に出会って仕留めるのは簡単ではないので、村人のほとんどはウサギ専門です。
一方、間引きハンティングになると、都会から裕福なグループがやってきて、鹿を追い込みながら狩ります。話を聞く限り、かなり壮絶な光景のようです。そのライセンス料は村の収入源にもなります。
「可哀想だな」と心が痛みますが、かつてこの山にはオオカミがいて、鹿の数は自然に抑えられていました。今はオオカミが消え、鹿が増えすぎれば畑を荒らす被害も出るため、どうしても人が管理せざるを得ないのです。
仕留められた鹿は獣医の検査を受けた後、食肉業者が解体し、どこかへ運ばれていきます。
この地域の鹿料理は、ほとんどが長時間煮込むシチューのようなもの。安全のためでもあり、肉質のためでもあります。イノシシはステーキなど焼く料理も多いですね。
■どんぐりの木の成長に気づく
散歩道の見晴らし台にあるコルクの木の下にも、今日はどんぐりがたくさん落ちていました。
そういえば、この木が実をつけているのを、私は今回初めて見た気がします。
植えられたのは15年ほど前。まだ5年ほどの幼木だったと思います。それが樹齢20年ほどになり、ようやく立派などんぐりをつけるようになったのだと思うと、自然の時間の流れにしみじみしてしまいます。
どんぐりにも形はいろいろで、細長いもの、丸く太ったもの、小さなもの。先日のハイキングでは、歩きながらあれこれと眺めて楽しみました。
■村の葬儀の風景
共同墓地の近くまで来ると、チャペルに人が集まっていました。誰かが亡くなられたのでしょう。
ここでは、昔は自宅で安置していたものの、今は墓地横のチャペルに十字架の下で安置され、花とキャンドルに囲まれ、人々が弔問に訪れます。夕方には葬儀があるはずです。
葬儀は教会で行われ、棺は霊柩車、または親族の男性が担いで運ばれます。その後ろに親族や村人が続き、ゆっくりと教会へ向かいます。
ミサが終わると、再び墓地まで戻ってくる――そんな昔ながらの葬送の形が、この村ではまだ残っています。
静かな村の日々の中で、こうした場面に出会うと、「ああ、今日もここで誰かの人生が一区切りついたのだな」と胸が締めつけられます。
雨が止んだ静かな散歩のつもりが、どんぐりの話から山の動物のこと、そして村の日常の営みまで、思いがけず深い時間になりました。自然に囲まれたこの土地では、季節の移ろいも、生き物の営みも、人の暮らしも、すべてがゆっくりと、同じ時間の流れの中にあります。
最後までお読みいただきありがとうございました。


















































