今日は12月に入って最初の日曜日。朝からよく晴れて、空には雲ひとつ見えませんでした。今は午後1時半ごろ。山の向こうには少し雲がかかっていますが、コルテスの村の上はきれいな青空が広がっています。
今日は村がなんだかざわざわしています。車がひっきりなしにやって来て、キャンピングカーも4〜5台は停まっています。
サッカー場では試合があるらしく、対戦チームを乗せてきた大きなバスまで来ています。普段は静かな村が、今日はひとつのお祭りのようににぎやかです。
私はというと、2週間ほど車を動かしていなかったので、今日はさすがにエンジンをかけておこうと重い腰を上げました。バッテリーが上がってしまったら大変です。
ところが、サッカー場近くのいつもの駐車スペースに行ってみると車でぎっしり。戻ってくる頃には停める場所などとても残っていないだろうと思い、駅の村まで往復30分ほどの軽いドライブに出かけました。
山を下るだけの短い距離ですが、久しぶりに走る車のエンジン音がなんだか頼もしく感じられました。戻ってくると運良くキャンピングカーの並びに空きがあり、そこへ車を滑り込ませてひと安心。夕方になればまた動かせばいいでしょう。
三連休と、静かに灯る祝日の意味
昨日12月6日はスペインの祝日「Día de la Constitución(憲法記念日)」。1978年に現在の民主憲法が制定された日です。
そして明日12月8日はカトリックの重要な祝日「Inmaculada Concepción(無原罪の御宿り)」。聖母マリアが原罪を持たずに懐胎したとされる日で、スペインでは大切にされている祭日です。
ちょうど土日と重なり、三連休。村でも小さなイベントが開かれていて、昨夜は役場前でバンド演奏などが行われていたようです。
私はというと、そちらには向かわず、近所の友人夫婦の60歳のバースデーパーティーへ出かけました。
オランダ人夫婦の家でのバースデーパーティー
友人はオランダ人のカップル。以前はフランスで暮らしていましたが、このあたりに古い家を買って丁寧に改装し、今は村の景色に溶け込むように暮らしています。古い家らしく1階の天井は少し低めで、私にはちょうどよい高さなのですが、背の高いオランダ人が数人並ぶと、さすがに「低いね」という空気になります。
といっても、昨日集まっていた人たちはオランダ人としては「そこまで高くないほう」らしく、男性で185cm前後、女性も170cmほど。それでも日本の感覚から見れば、やっぱり見上げるような高さです。
村の友人たちも大勢集まり、その中には数年前に駅の村に越してきたハンガリー人とイギリス人のカップルもいました。久しぶりに会うと、自然にハンガリーの話になりました。
「再訪問はしたくない場所」のこと
実は、私は若い頃にブダペストを訪れたことがあります。ただ、その話をその場で詳しくするのは、少し失礼かなという気もして、あまり突っ込んでは話しませんでした。
私がハンガリーに行ったのは、まだ東欧が共産圏だった時代。日本はバブルで元気いっぱい、という頃です。私はイギリスに語学留学していて、10か月ほどたった頃、一人でヨーロッパをぐるっと旅しました。そのときに、ウィーンでビザを取り、列車でブダペストへ向かったのです。
列車のコンパートメントでは、たまたま日本人2人と一緒になりました。私と、日本から来た学生さんと、ニューヨークから来ていた男性。どこでどう出会ったのか、細かいことはもう覚えていませんが、3人でおしゃべりしながら国境を越えました。
印象に残っているのは、国境付近での検査です。警察官がコンパートメントに入ってきて、乗客を立たせ、懐中電灯の強い光で座席の上や荷物棚を隅々まで照らしながらチェックしていきます。パスポートやビザも当然確認されましたが、その緊張した空気を、今でもはっきりと覚えています。
ブダペストに着いてからは、3人で少し贅沢をして、当時としては「いいホテル」に泊まりました。私は若かったし、そういうホテルの楽しみ方もよくわかっていなかったので、今思えばずいぶんもったいない過ごし方をした気がします。スパのような施設もあったし、朝食ビュッフェもきっと充実していたはずなのに、あまり活用せず、ただうろうろしていただけでした。
夕食は街中のセルフサービスのような食堂に行きました。「これとこれ」と指さすと、お皿に盛ってくれるタイプのお店です。私と学生さんはほどほどの量を選んで、ちゃんと食べ切りましたが、ニューヨークから来た男性は、あれもこれもと山盛りにしてしまって、結局「まずい」と言ってかなり残していました。
横を見ると、現地の人たちはスープとパンだけを静かに食べていて、その対比がなんとも言えない気持ちを呼び起こしました。あれほど山盛りにしておいて食べ残すのは、やっぱり失礼だよなあ、と心の中で思いながらも、何も言うことができず、複雑な気持ちでその光景を眺めていたのを覚えています。
崩れゆく体制の予感と、街の傷あと
駅からホテルに向かうタクシーの中で、運転手さんがぽつりと言いました。
「もう少ししたら、この体制は崩れるよ」
これは1988年の9月中旬頃の話。その翌年、本当に東欧の体制は次々と崩れていき、ベルリンの壁が崩壊しました。日本でそのニュースを見たとき、「あのタクシーの運転手さんが言っていたことは本当だったんだ」と、妙に現実味を持って思い出されたものです。
ブダペストの街をひとりで散策し、1本裏道に入ると、まだたくさんの銃弾の跡が壁に残っていました。生鮮食品の市場で、ドイツのソーセージの10分の1くらいの値段でとっても美味しい茹でたソーセージを食べて感動したのを思い出しました。そのときの味も、どこか記憶の片隅に残っていて、ふっとした時にフラッシュバックします。
だからこそ、あの頃のブダペストは、私の中では「そのときの姿」のままでいてほしい場所でもあります。
街が変わってしまうのは自然なこと、今のブダペストはきっと近代化した都市に違いない。でも、新しい景色を上書きしてしまうと、昔の記憶が薄れてしまいそうで、それが少し怖いのです。コンピューターのデータが上書きされるみたいに。
そんな理由もあって、私は一度訪れた場所には、あまり再び行きたいと思わないタイプです。強く心に残っているところほど、「あのときのまま」で取っておきたくなります。
カラオケと「真夜中のドア」
そんな旅のことを、パーティーで出会ったハンガリー人の彼女に、結局きちんとは話しませんでした。「あの頃は共産圏でね」と言い始めると、どうしても貧しさや遅れの話になってしまう。それは今の彼女にとっては、あまり気持ちのよい話題ではないかもしれません。なので、心の中だけでそっと思い返すことにしました。
肝心のバースデーボーイの友人はというと、どうも娘さんから風邪をもらったらしく、パーティーの途中で早々に寝室へ引き上げてしまいました。主役不在の誕生日会というのも、なかなか珍しいものです。
夜遅くには、なぜかカラオケ大会のような流れになり、私も一曲だけ歌うことになりました。選んだのは「真夜中のドア」。海外でも動画サイトなどをきっかけに再評価されているらしいと知って、そういえばそんな曲があったな、と懐かしくなったのです。
世界中で受け入れられやすいリズムとメロディなんだろうな、と改めて感じました。カラオケ音源のキーが少し高くて、もうちょっと低かったら歌いやすかったのに…と思いつつ、なんとか一曲歌い切りました。
なんと友人がビデオて撮って、勝手にFacebookにアップしているのです。が〜ん。
バリ島のドラゴンと、「共通の話題」
パーティーで友人夫婦の息子さんとも話す機会がありました。彼は今、インドネシアのバリ島を拠点に暮らしているらしく、旅の話が次々に飛び出してきます。
私はバリには二度行ったことがありますが、細かい地名はほとんど覚えていません。ただ、小さな島に渡ったことと、観光用に設けられた場所にコモドドラゴンの子どもがいて、一緒に写真を撮ったことだけは、強く印象に残っています。
この写真は25年以上前のもの、今ならきっとこんな写真撮影は許されないでしょう。時代は変わるもので、意識も今とはずいぶん違っていたんですね。
そんな旅の話をしながら、ふと思いました。
知らない場所に行くことは、いつか誰かと話すための「共通の引き出し」を増やすことなんだと。
訪れたことがあるからこそ話せること、見たことがあるからこそ共有できる感覚。そのひとつひとつが、人と人とをつないでくれるのだと思います
そんなことを考えながら、にぎやかな誕生日会の夜を過ごしました。
最後までお読みいただきありがとうございました。



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