村を見下ろす空は、今日もよく晴れています。うっすらと薄い雲はかかっているものの、まだ「いいお天気」と言っていい青さです。天気予報では、明後日には雨になるとのこと。だから余計に、今日のこの明るさを少し大事に感じます。
キャンピングカーでいっぱいだった駐車スペースも、今日はもうずいぶん空いていました。連休をここで過ごしていた人たちは、それぞれの場所へと戻っていったのでしょう。
それでもレストランやバルは、近隣の村からの人たちでそこそこ賑わっています。村の空気に、まだ連休の名残のようなものがふわっと漂っていました。
昼下がり、バルのテレビに映っていたもの
昨日の日曜日は、朝ゆっくり起きたころに友人からメッセージが届きました。
「みんな集まってるから、おいでよ」
そんな一言に背中を押されて、近くのバルへ出かけました。テラス席にはちょうど太陽が当たっていて、冬の日差しが気持ちいい。そこでビールを二杯ほど飲んでから、みんなでタパスを食べに別のバルへ移動しました。
そのバルには大きなテレビがあって、そこで流れていたのが 1996年の村のカーニバルのビデオでした。画質は今の感覚からするとお世辞にも良いとは言えませんが、かえってその粗さが「昔の映像らしさ」を際立たせています。
画面の中で歌っている人たちの中に、何人か見覚えのある顔がありました。
メインで歌っているのは、かつて村でクラブのような店をやっていた男性。カーニバルが大好きで、カディスのコンパルサ(カーニバルで歌うグループ)を村に呼んできたり、自分たちで歌ったり、とにかく“カーニバルの人”という印象の人です。
映像の中の彼は、丸っこい衣装を着て、当時の体格そのままに元気よく歌っています。今は病気をして痩せてしまい、村でもあまり見かけなくなりましたが、私が知っている「ふっくらしていた頃の彼」がそのまま画面の中にいて、なんだか胸がきゅっとなりました。
変わらない村と、変わっていくもの
1996年といえば、私はまだこの村にはいなくて、香港で働いていた頃です。その頃の村の様子を見るのは、ちょっと不思議な感覚でした。
画面には、今もおなじみの道路や、闘牛場(プラサ・デ・トロス)が映し出されます。多少ペンキの色こそ変わっているものの、建物や通りの風景はほとんど変わっていません。
違っているのは、そこに駐車している車と、そこにいる人々のファッション、髪型やヒゲくらい。
90年代の車がずらりと並んでいる様子は、と言いたいけど、どう見てももう少し古めかしくて、まるで70年代の車のようにも感じられました。
私は当時香港にいたので、街を走るのは新しい車ばかりという環境に慣れていたせいかもしれません。
バルの中では、「これ、俺だよ!」と映像を指さす人もいました。
当時ティーンエイジャーだったという男性は、太鼓を叩いている自分の姿を見て、「あのときはまだ10代の終わりごろでさ」と照れくさそうに笑っています。
別の青年は、「ここに映っているのは僕じゃなくて兄貴。僕はまだ子どもだったから」と教えてくれました。
30年近く前の映像の中で、みんな若くて、少し時代をまとった髪型をしていて、ヒゲもどこか“昔風”です。でも、笑い方や仕草は、今と同じ人たちなのだと思うと、時間というものが急に身近に感じられます。
あの頃のカーニバルの熱気
この村のカーニバルは、周辺の町の中でも最後のほうに行われます。
カディスの本場のカーニバルが2月に始まり、コンペティションなどが終わったあと、駅のある村や周辺の村を巡り、ここにやってくるころにはもうセマナ・サンタ(聖週間)に近い時期になっています。
私がこの村で初めてカーニバルを体験したときは、その熱気にとても驚きました。
「こんな小さな村に、どこからこんなに人が来たの?」
と思うほどの人、人、人。
その頃は大きなディスコテカもあって、そこでカディスから呼んできたコンパルサが歌ったり、村のグループがステージに上ったりしていました。
アルヘシラスで美容師をしているというドラァグクイーンも登場し、みんながバッチリとメイクをきめて踊る夜。あの華やかで少しきわどい雰囲気は、今思い出しても胸が躍ります。
今では、あの頃のような勢いは残念ながらありません。カーニバルに来る人も少しずつ減り、ディスコも姿を消しました。それでも、あのビデオを見ていると「またいつか、あんな風に賑やかな夜が戻ってくるのかもしれない」と、どこかで信じたくなります。
手ぶれとノイズのある映像が、なぜか温かい
1996年のビデオは、もちろん今のような高画質ではありません。
画面は少し荒く、ところどころ手ぶれもしています。それでも、その“揺れ”や粗さに、かえって温度のようなものを感じます。
最近、YouTubeで有名な人たちの動画を見ていても、完璧に安定した映像ばかりではありません。海外の人気YouTuberやアーティストの映像でも、あえて少し手ぶれが残っていたりする。
あまりにきれいに整えすぎない、その「ちょっとした揺らぎ」が、人の目には心地いいのかもしれません。
ふと、大学1年生のときに参加した 8mmフィルムの自主映画のことを思い出しました。
8mmフィルムの時代と、いま
私が通っていた大学には、近くの進学校のOBたちが作った8mm映画のグループがあって、そこに少しだけ参加していた時期があります。
1本の映画にちょっとだけ端役で出たものもあれば、わりとがっつり出演した作品もありました。もし私が将来なぜか有名人になったとしたら、きっとどこかからそのフィルムが発掘されるのでしょうが、たぶんその心配は要らないまま、フィルムごと静かに消えていくのでしょう。
当時の8mmは、とにかくお金がかかる媒体でした。
フィルムを買い、現像し、編集する。
1本作るのに30万円くらいかかっていたはずです。長さだって15分とか20分とか、その程度。NGを出せば、その分だけフィルムが無駄になる。だから、ひとつひとつのカットを撮るとき、みんな呼吸を合わせて真剣でした。
監督をしていた人は、その後大阪の芸術大学に進んで映像の道に進んだと聞きます。小さな事務所を借りて、仲間たちが集まるたまり場にしていたことも、懐かしい思い出です。
今は、ビデオカメラもスマホも、何度撮り直してもお金はかかりません。
良いカメラで撮ろうとすると30万円くらいはかけると思いますが、安い機材でも十分に撮れるし、極端な話スマホだけでも映画のような映像が撮れてしまう時代です。
写真だって、昔はフィルム1本36枚を大事に大事に使って、「無駄にしないように」と気をつけて撮っていたのに、今では連写して「あとで選べばいいや」という感覚になりました。
便利になったことは、もちろんありがたい。
でも、フィルムの時代の、あの一枚一枚を大切にする感覚や、失敗できない緊張感は、どこかで懐かしくもあります。
1996年のカーニバルのビデオを見ながら、村の人たちの若い姿と、自分自身の昔の記憶が、一本のフィルムのようにつながっていくのを感じました。
最後までお読みいただきありがとうございました。






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